ネヴァーランドの女王

ケイト・サマースケイル著。1999年刊。新刊では買えないようです。

メアリアン・バーバラ・カーステアズ、通称ジョー・カーステアズという、大富豪の女性の伝記。
見開きの説明には「アメリカ生まれのレズビアン。モーターボートレースの英国代表として活躍」などとある。
これだけだとさしてそそられないのだが、新潮クレスト・ブックスというのは、裏表紙に推薦文が載っているのである。
もし、今世紀のある時代にタイムトリップできるとしたら、私は迷うことなく1920年代を選ぶだろう。
1920年代。この言葉にやられた。

ジョーは1900年生まれ。自分を女だと思ったことが一度もなかった。今やよく知られるようになった「性同一性障害」だったのだろう。彼女にレズビアンの手ほどきをしたのは、オスカー・ワイルドの姪なんだとさ。舞台はパリ。第一次世界大戦で痛手をこうむりながらも、最後の輝きを放っていたパリ。だからいろんな人が集っていた。アメリカの大富豪の跡取り娘も。
かつ、戦争で多くの男性が命を落としたため、女性の労働力が必要とされていた。

このパリの描写はかなり個人的にツボ。というのは、ココ・シャネルとリンクしたから。当時の社会的風潮の中で、働く女性のための新しいファッションを生みだしたのがココ・シャネルだったのです。。。

脱線しました。
で、そんな中、ジョーは充実した20代を送る。
生来の乗り物好きで、モーターボートに入れ込み、湯水のごとくお金を注ぎこみ、自らモーターボートレースに出場する。
でも、ついにチャンピオンにはなれずに終わる。
そうこうしているうちに、「やっぱり女は女らしく」という風潮になり、自分の居場所を失ったジョーは英領西インド諸島の島を買い、そこに自分の王国を作る・・・

まあそこそこ面白いのだけれど、所詮は暇とお金をもてあましたドラ娘の生涯なわけで、感動するというわけにはいかない。そして、言い古された言葉だが「お金では愛は買えない」のだな、という気分になる。欠落感が伝わってきて、ちょっとつらい。いちばん引いたのが、彼女の無二の親友トッド・ウォドリー卿。これは人間ではなくて、昔の愛人からプレゼントされた人形なのです。どうです、引きませんか?

ジョーの周囲の人間の多くは、麻薬中毒で亡くなっている。大金持ちで働く必要がないという境遇で、前向きで健全な人生を送るのは、非常に難しいことなのかもしれない。そんな中、決して麻薬に手を出さず、93年の生涯をまっとうしたジョー。これはもしかしたら偉いのかも。

というわけで、そんなにお薦めというわけではないのだが、この本の222ページの1文をご紹介するのは私の義務なのだろう。
こうした海賊ゲームには、アーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』の気分も多少入っていた。
おお、ランサムはいろんな人に影響を与えたのね!と、感慨を覚えるのだが、この病的なジョーがナンシイだなんて、考えたくもない。だからあんまり嬉しくない。

ここで一句。

嬉しさも 中くらいなり 言及も・・・ひじょーにおそまつ!

# by foggykaoru | 2010-02-10 20:31 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(0)

ケストナー

クラウス・コードン著。
副題は「ナチスに抵抗し続けた作家」
原題「Die Zeit ist Kaputt」の意味は「時(時代)は壊れた」
これはナチス政権下にケストナーが製作に携わった映画「ミュンヒハウゼン」の中の台詞。
ナチスの検閲をかいくぐることのできるギリギリの線を狙って彼が書いた、渾身のひとことである。

読み終わってから背表紙に「ドイツ児童文学賞受賞」と書いてあるのに気づいた。
どうりで字が大きいし、注がやたらに詳しいわけだ。字が大きいのはありがたい(笑)
でもこの本は子どもだけのものにしておくのはもったいない。良書である。
私はケストナーの生涯はそこそこ知っているので、さほど目新しいことはなかった。それでも充足感を覚えた。そのぐらい良書である。

時代の目撃者たろうとしたケストナー。
しかし、戦後になってもナチス時代のことを多くは書かなかった。
というより、書けなかったらしい。
極限まで張りつめた日々が長く続きすぎたために、言葉として綴るということができなくなった、ということのようだ。
あふれ出る言葉を軽業師のように操った、あのケストナーでさえも。

1999年刊。もうユーズドでしか買えないようです。
偕成社刊。だからやっぱり児童書なのです。
でも最近の日本の子どもはケストナーなんて知らないよ。
だから児童書として出すよりも、子どものときにケストナーに親しんだおじさん・おばさん向けに出したほうが売れたんじゃないかな?


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ケストナーの生まれ故郷ドレスデンには「ケストナー博物館」があります。
どんなところなのか興味のある方は、メインサイトの「児童文学の旅」へどうぞ。

# by foggykaoru | 2010-02-08 20:40 | 児童書関連 | Trackback | Comments(2)

バチカン

副題は「ミステリアスな神に仕える国」
著者は秦野るり子というジャーナリスト。今はアメリカの大学で教えているらしい。

バチカンを説明するためには、どうしてもキリスト教の成立から始めなくてはならないのだが、この部分が実に手際良くまとめられている。

バチカンがあんなに小さくても独立国家でなければならない理由がよくわかった。
というか、独立国家としての地位を勝ち取ったのは、したたかさの証なのである。

新書1冊で奥深いバチカンを語りつくせるはずがないし、証言のかなりの部分が「オフレコ」となっているらしいのが残念。でも軽く読めるし、バチカンに興味があるなら入門書として最適。


この本に関する情報はこちら

# by foggykaoru | 2010-02-06 11:12 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(2)

世界の博物館

副題は「知と技の宝庫を訪ねて」

世界各地の28の博物館の紹介。
書き手が全部違うので、ばらつきがあり、退屈で斜め読みしたのもいくつかある。
特に面白かったのは
・ビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム
・ドーバーのホワイト・クリフス館
・スウェーデン空軍博物館
・ロシア国立博物館
・ワシントンのホロコースト博物館
・エリス島移民博物館

書き手の力量によって面白く読ませるのが「ビクトリア~」
「スウェーデン~」飛行機オタクである著者が、ほとんど情報がないまま、手さぐりで行ったという、オタク探訪記である。「私も行きたい」とは決して思わないけれど、旅行記として面白い。
「ホロコースト~」は怖い。興味深いけれど、行きたいかときかれると、悩んでしまう。
「ホワイト~」は趣向を凝らした博物館らしい。ドーバー海峡を渡る船に乗った気分にさせてくれるというのがツボ。
「ロシア~」は、貴族の財宝がざくざくあるのだそうだ。将来モスクワに行ったら見るぞ。
「エリス島~」はアメリカ移民の入口であった島にある。船でやって来た人全員がここ経由だったわけではなく、1等船客は直接マンハッタンの桟橋から入国できた。つまり、ここでチェックを受けたのは貧乏人。「アメリカ社会の迷惑になる」と判断された人はそのまま帰国させられたのだそうだ。子どもが帰国する際は、1人で帰すわけにはいかないので、家族全員が帰ることになった。現在のアメリカ国民の4割の人の祖先がこの島経由である・・・という歴史が面白い。もしかして、将来ニューヨークを再訪することがあったら行ってみよう。そう言えば、自由の女神にさえ行ってないんだっけ。


あと、大英博物館。
ここには英国図書館が同居していて、岩波のランサム全集が開架に置いてあった。その写真を見せてもらったことがある。でもこの図書館はもう今は別の場所(セント・パンクロス)に移転してしまったのだそうだ。大英博物館に置いてあるのなら全集を見に行ってみてもいいかもと思っていたのだけれど。
図書館があったところを含め、2003年には大英博物館のリノベーションは終わる予定(この本は平成11年刊)なのだという。様変わりした大英博物館、それはそれで見てみたい気がする。


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# by foggykaoru | 2010-01-31 08:27 | その他のジャンルの本 | Trackback | Comments(6)

kermesse

前項の続きです。昨日の時点では、連載ものになるなんて思ってもいなかったのですが。

今日、「kermesse」という単語に、まったく別のところで出くわしたのです。
「カーマニアが集まって一緒に愛車を走らせるイベント」も「kermesse」

で、検索してみたら、英語版のwikiが出てきました。
Kermesse (Bicycle Race)
Kermesse (festival)
La Kermesse héroïque, a film by Jacques Feyder
Kermess, a rock band from Quebec, Canada
The Kermess, painting by Pieter Brueghel the Elder, also known as The Peasant Dance
Kermesse: cubist painting by Wyndham Lewis, exhibited 1912

ブリューゲルが出てきたので、思わずにやついてしまいました。

Kermesse (festival) に飛んでいってみたら、アメリカではどんなentertainmentもkermesseと呼ぶことができるらしい。チャリティー関係のイベントが多いけれど。
ラテンアメリカでは学校や教会の資金集めのイベントをそう呼ぶ。

なるほどね。

以上はあくまでも英語に入ったkermesseの用法ですが、サークルの資金集めやお祭り騒ぎがメインの日本の大学の学園祭には、ぴったりの単語です。

# by foggykaoru | 2010-01-27 21:37 | バベルの塔 | Trackback | Comments(4)

フランス語版のだめ Vol.5-6

「のだめ」フランス語版の5・6巻を立て続けに読みました。

ヨーロッパに羽ばたいていった映画ののだめを楽しんだばかりなので、日本の学祭に気分が戻りきらず、思いのほか淡々と読み終えてしまった。マングースが登場する、重要なエピソードなのにね。

で、その「学祭」なのだけれど、la Kermesse de l'universite と訳されてます。
「k」という文字は本来のフランス語の単語には存在しないので、違和感たっぷりなのですが、辞書を引いてみたら、やっぱり外来語でした。
フラマン語起源の単語で
「オランダ・ベルギー・北フランスの小教区での守護聖人祭、村祭り、野外でのバザー」
だと。
こりゃあブリューゲルの世界ですな(苦笑)
普通のフランス語では「祭り」は「fete」なのだけれど、フランスの大学には学園祭なんか無い(なにしろ大学は勉強するところです)から、ただ「fete de l'universite」と訳してもイメージが伝わりにくいと考えたのでしょう。

もうひとつ、「呼び捨て」をフランス語でどう訳すか。
千秋の元カノ・多賀谷彩子がカラオケボックスのトイレでのだめと出会い、「あーら失礼。呼び捨てにされたものだからつい」とか言うところ。
多くのヨーロッパ言語同様、フランスでは学生同士の呼び捨ては当たり前のことで、そもそも「呼び捨て」という概念が無い。
苦心の訳は
「『さん』無しで呼ばれたものだから」
そして次のような脚注が。
「『さん』はムッシュー、マダム、マドモワゼルに相当する語。日本語では、よく知らない相手に対しては『さん』を付けるのが普通である」

こういうのって、文化論の第一歩のような気がします。

# by foggykaoru | 2010-01-26 20:29 | その他のジャンルの本 | Trackback | Comments(6)

古典教養そこつ講座

夏目房之介著。ユーズドでしか入手できないようです。

実はこの本を読んだのは正月。
感想文を書くのがこんなに遅れたのは、2回読んだから。
何かネタを拾ったはずのに、そのまま付箋も付けずに読み進んで忘れてしまったような気がして、いったいそれがどういう関係のネタだったのかさえ思いだせないという、雲をつかむような状況で2回目を読んだ。そんなふうに読むと面白さが半減してしまうし、結局何も見つけられなかった。まさに骨折り損のくたびれ儲け。

でも1回目はとても楽しく読んだのである。

なにしろこの人は言葉がうまい。感じたことを言語化するのがうまい。
軽口の文体で、中身のあることをわからせる技に長けている。
「血は争えない」と言うと、ご本人はとても嫌なのだろうけれど、ほんとうにそう思ってしまったのだからしょうがない。

今、私たちが房之介氏のこの文章を読んで感じる軽さ・爽快さと、明治時代の人たちが漱石が「猫」とか「坊ちゃん」を読んで感じたものは、ほとんど同じなのではないだろうか。(わかりにくくてすいません)

印象的なのは次の2か所。
芸能や書、絵画の伝統様式の体系は、それをおぼえこむことで身体のなかを整理掃除することなのかと思う。掃き寄せてできるぽかりとできた空間に、様式以外の何かが降りてくるのを期待しているのかもしれない。

文明とは「ちがい」がワカラナクなることだ。本物のコーヒーをワカルのが文化なら、誰でも容易にコーヒー(に似たもの)が飲めるように即席コーヒーを商品化するのが文明なのだ。


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# by foggykaoru | 2010-01-23 21:53 | エッセイ | Trackback | Comments(2)

昨今の若いもんの歌詞は

やたら饒舌だけど、ありゃ歌詞とは言わん。単なる独り言だ。
・・・なあんて言っても、単なる年寄りの繰り言なのでしょう(苦笑)

ちょっと前からとっても気に入っているフレーズがあります。
CMで流れる坂本冬実の
「またきみーにー こいしてる いままーでよーりも ふーかく」
というあれです。
これこそ「歌詞」。
曲もその言葉を生かしている。作詞・作曲ともプロの技。

思いついて検索してみたら、作詞は松井五郎。
聞いたことある名前だと思って、さらに検索してみたら、安全地帯の歌詞を担当していた人なのですね。

彼の公式サイトに行ってみたら、ブログ(Cahierをクリック)の文章にちょっと驚きました。
一般的に、物書きをやっている人のブログは、わりとあっさりめな印象があります。
「私の文章を読みたかったら買ってください」ってことかなと思っているのですが。

松井氏の場合、商品はあくまでも「歌詞」だから、ブログに濃密な文章を書いても、損した気にはならないのかも?(他の作詞家のブログは見たことがないんだけど。)


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# by foggykaoru | 2010-01-21 19:35 | Trackback | Comments(8)

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