「This is it」また観てきました。
今回は金曜日の夜7時ということで、
前回(土曜日の朝9時)とは客層が違うだろうなとは思っていたのですが、予想どおりでした。
左隣は茶髪の兄ちゃんとその彼女、右隣は30代ぐらいのカップルでした。
映画が始まる前はポップコーンむしゃむしゃ状態の両カップルでしたが、始まった瞬間、完全なる沈黙。ことりともしない。観客全員が息を殺して画面に見入る。
2回目の私は、そういうところに感動する余裕(笑)すらありました。
終わったあと右のカップルの女性が「は~」と息をつき、「納得した」
彼氏も「うん」
この映画の評判のことなのだろうと、私は理解しました。
外に出るとき、大学生ぐらいの女の子がこう言っていました。
「変なおじさんだとばかり思っていたんだけど・・・もっと尊敬してあげればよかった」
で、2回目なので(←くどくてごめん)、前回、「人並み外れた大きな才能を支えるのは、とてもしんどいことなのだろう。」としか書けなかったことを、きちんと(かどうかわからないけれど)まとめたいと思います。
最近、立て続けに2冊も天才的な人が登場する本(「一瞬の風になれ」と「夏から夏へ」のことです)を読んだせいもあるのですが、天才というのは、自分の才能に対する一種の責任を負っていると思うのです。
なんというか、その才能を伸ばし、発揮しないのは、神様(?)に申し訳ない、というような。
で、いかに天才とはいえ、才能を伸ばすには努力がいるわけです。
(努力すれば伸びるんだからいいじゃないか、と凡人は言いたくなるけれど)
そして、天才がその才能を発揮すると、周囲がほうっておきません。
もちろん手を貸してくれる人もいる。でもスポイルする人もいる。何か魂胆を持って近づく人もたくさんいる。
これだけでも相当ストレスフルな状況です。
(才能を発揮したにも関わらず、世間がそれにおいついていなくて、そのまま埋もれてしまう天才もいます。たとえば、生前絵が1枚も売れなかった画家とか。でもそれはおいといて)
MJの場合、すべてがあてはまります。
(金儲けのためですが)息子の才能を見出し、伸ばしてくれた父。でも、マイケルにとって、それは暗い思い出であり、一生消えないトラウマとなった。
世界を魅了した彼のダンスパフォーマンス。もとからセンスがあったとはいえ、一朝一夕にはできなかったはず。血のにじむような努力のたまものだったはず。
彼の成功のおこぼれをもらおうという人々が寄ってくる。
家族はもちろんぶらさがる。
そしてコンサート。
彼のコンサートは巨額な投資です。
なんでも、機材だけのために飛行機3機が必要だったそうですが、映画を観て、なるほどと納得しました。
演出担当者はいるけれど、かなり細かい点までMJ自身が指揮をとる。なにしろエンターテインメントを彼ほど知り尽くしている人はいないのですから。彼がそのことを苦にしていわけではないでしょう。それどころか喜びだったはず。だけれど、負担の大きい仕事であるということは否定できない。
「もしも失敗したら」という不安はいつだって心の底にあっただろう。
蓄積されたストレスは大きかったのだろう。
だからあんなに激しく動いても夜眠れなかったのだろう。
眠れなくて体調を崩したら、彼を中心として動いているプロジェクト全体がダメになる。
だからなおさら眠れなくなる。
でも、天才MJのもとには、優秀なスタッフが集まる。
潤沢な資金があるから、冒険的な試みができる。
人々がMJから良い刺激を受け、さらに高いレベルに上がるということもあっただろう。
そして歴史に残る作品やコンサートを作りあげた。
昔は、王侯貴族に富と権力が集中した。
王侯貴族が無駄遣いしてくれたからこそ、超豪華な建造物が作られた。
当時の庶民は何一ついい思いをしなかったのだけれど、おかげさまで後世の私たちは観光客として楽しむことができるわけである。
1人の王様が贅沢三昧をするために、数万あるいは数十万の民が肉無しスープしか食べずに一生を終えるという状況がなくなってしまった現代において、「途方もないもの」を作り出すことは難しくなっているはず。
でも、MJのような天才のもとでなら、まだ可能なのかもしれない。
でも、パトロンと芸術家の両方を兼ねるのは、非常に便利ではあるが、負担が大きい。
1人の人間が背負う役割としては重すぎるかも。
「あいつは私の値打ちを何もわかってない」「これ以上生意気なことを言ったらクビしよう」と角突き合わせているほうが、むしろ気が楽。相手のせいにできるから。
・・・などということを、前回からずーっと考えていたんです。
映画を楽しむにはよけいなことです。
考えるのは私の癖にすぎないので、これから観ようという人は忘れてください。