古典教養そこつ講座

夏目房之介著。ユーズドでしか入手できないようです。

実はこの本を読んだのは正月。
感想文を書くのがこんなに遅れたのは、2回読んだから。
何かネタを拾ったはずのに、そのまま付箋も付けずに読み進んで忘れてしまったような気がして、いったいそれがどういう関係のネタだったのかさえ思いだせないという、雲をつかむような状況で2回目を読んだ。そんなふうに読むと面白さが半減してしまうし、結局何も見つけられなかった。まさに骨折り損のくたびれ儲け。

でも1回目はとても楽しく読んだのである。

なにしろこの人は言葉がうまい。感じたことを言語化するのがうまい。
軽口の文体で、中身のあることをわからせる技に長けている。
「血は争えない」と言うと、ご本人はとても嫌なのだろうけれど、ほんとうにそう思ってしまったのだからしょうがない。

今、私たちが房之介氏のこの文章を読んで感じる軽さ・爽快さと、明治時代の人たちが漱石が「猫」とか「坊ちゃん」を読んで感じたものは、ほとんど同じなのではないだろうか。(わかりにくくてすいません)

印象的なのは次の2か所。
芸能や書、絵画の伝統様式の体系は、それをおぼえこむことで身体のなかを整理掃除することなのかと思う。掃き寄せてできるぽかりとできた空間に、様式以外の何かが降りてくるのを期待しているのかもしれない。

文明とは「ちがい」がワカラナクなることだ。本物のコーヒーをワカルのが文化なら、誰でも容易にコーヒー(に似たもの)が飲めるように即席コーヒーを商品化するのが文明なのだ。

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by foggykaoru | 2010-01-23 21:53 | エッセイ | Trackback | Comments(2)

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Commented by むっつり at 2010-01-24 09:02 x
至言ですね
土着的な文化と普遍的な文明の違いを、ここまでわかり易く説明してくれているとは…
Commented by foggykaoru at 2010-01-26 20:04
むっつりさん。
なかなかでしょ。

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