ハプスブルク三都物語

著者の河野純一という人はウィーン大学客員教授の経験がある大学の先生。

三都とはウィーン、プラハ、ブダペストをさす。
とても読みやすいので入門書としてお薦め。
読んだはしから忘れてしまうのだけれど(涙)

かろうじて覚えていることをメモ。

・マリア・テレジアの息子であるヨーゼフ2世はいろいろ改革を行った。葬式のやり方についても。「棺桶は使いまわしすべし」とか。えらく不評だったそうだ。モーツアルトのあの葬儀のやり方は妻コンスタンツエのせいではなく、法律に基づいたものだった。

・モーツアルトを認めた都市はプラハ。ウィーン市民と違って、プラハ市民は彼の死を心からいたんだのだそうだ。

・ブダペストに温泉施設がたくさんあるのはオスマン・トルコの置き土産。

・ナチスドイツはユダヤ人音楽家の作品の演奏を禁じた。シュトラウスもユダヤの血を引いていたということを、ナチスはつきとめ、ゲッペルスにもその報告は行ったのだけれど、その事実は封印された。シュトラウスの音楽を否定することはナチスにさえできなかった。

・ウィーン・フィルは国立歌劇場(シュタッツオーパー)のオーケストラのメンバーの中から選ばれる。歌劇場での演奏だけでも年に300回あるから、ウィーン・フィルとしての活動は著しく制限される。定期演奏会の回数が非常に少なく、しかも日曜の昼間だという理由はここにある。

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by foggykaoru | 2010-12-13 20:12 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)

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Commented by ふるき at 2010-12-13 21:50 x
 三都で忘れられているブラチスラヴァ。16世紀から18世紀までハンガリー帝国の首都で、マリア・テレジアが即位したのもブラチスラヴァなのに。
Commented by foggykaoru at 2010-12-14 20:29
ふるきさん。
そうそうブラティスラヴァ。
今回、ウィーンから足を伸ばそうかと思ったのですが、結局やめました。
寒い冬はバリバリの観光地とか大都市じゃないと、わびしさがつのりそうなので。
Commented by AngRophile at 2010-12-15 11:56 x
ブラチスラバはウィーンからバスや船で一時間足らずで行けるので、ぼくも行こうと思ったのですが、連れがいたため、断念しました。

名前をぱっと見ると、Brati slava なので、スラブの兄弟という意味かと思い、ググりましたが、結局はっきりせず。

ブレスラフ2世が築いたとか書いてありますね。

どんどん話がずれますが、ナブラチロワは、「返した」さんだとチェコ語の教授に聞きました。世にも珍しい動詞の過去形の名字なんだそうです。

na-vrat-il-ov-a (接頭辞+take + 過去語尾 + 姓をあらわす接尾辞 + 女性形)

全然関係ないなー(汗)。
Commented by foggykaoru at 2010-12-15 21:28
あんぐろふぁいるさん。
そう、ウィーンからいちばん行きやすい町は、ザルツブルクでもリンツでもなくて、ブラティスラヴァ。

動詞の過去形とは面白いですね。
英語でtookさんとかいそうだけど・・・指輪ネタか(自爆)
madeさんは、、、メードじゃないって(爆)

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