トイレの話をしよう

副題は『世界65億人が抱える大問題』
著者はローズ・ジョージというイギリス人女性ジャーナリスト。

トイレ問題を論じたまっとうな本。『東方見便録』とは違います。でも面白いのは絶対に『東方~』です。こっちはまとも過ぎ、真面目過ぎてちょっと飽きた。ローズさん、ごめん。

健康に暮らすためには水の問題を避けて通ることはできない、だが、水の問題というと、上水道の整備という方向ばかりに目がいってしまう。しかし、「屋外をトイレとして利用する」ようなことでは、清潔な水は確保できない。だからまずはトイレ問題なのだ!という本。

しょっぱなが日本のトイレ事情である。
日本の輝かしい発明である、高機能トイレの話。
そういうトイレが日本で発明されて広まったことを、著者はちょっと意外に思っているようだが、日本人ってもともと風呂好き、めちゃくちゃ清潔好き、洗うことが好きな民族なんだよ。ローズさん、知らなかった?
「トイレをきれいに掃除すると美人になる」とか「きれいな子が生まれる」というのは、『トイレの神様』で歌われる以前からよく言われていたこと。それは女性につらい仕事を体よく押し付けるためだったとも言えるが、日本人がトイレの清潔さを重視していたという証拠であることは間違いない。
ところでTOTOの人は「アメリカ人はトイレに関心がないから、高機能トイレは売れない」と語ったそうだが、今もまだそうなのかな? 今や中国人が日本のトイレに大注目しているというのに。(この本は2009年刊)

衛生的なトイレを確保するためには、「トイレよりも外で用を足すほうがマシだ」という環境を変えなければならない。たとえば、インドでは意外や意外、トイレを整備するためにけっこうなお金を使っているのだそうだ。しかし、せっかくトイレを作っても、しばらくするとそれが使われなくなり、結局、人々は道端に逆戻りする。

マダガスカルに行ったときのことを思い出す。
学校を作っているフランス系のNPOの人に偶然出会い、話を聞く機会があったのだが、「ただ建物を作ってもダメ。そのあとの維持や運営に目を配らないと」という言葉が印象に残っている。トイレも同じなのだ。

そして、「外のほうがマシ」という気持ちもよくわかる。
マダガスカルではトイレは原則「外」だった。(もちろん、ホテルにはまともなトイレがある。)
長距離バスのトイレ休憩は草原の真ん中。みんなバラバラと散っていって、用を足すのである。(ミャンマーも同じ。)
最初はぞっとしたけれど、慣れてくるとどうってことなくなる。
そして、最後の頃、たまたまトイレがあって、そこで用を足したとき、「こんなトイレよりも外の方がいい」と痛感したものだ。

だから「トイレで用を足したほうが気持ちがいいトイレ」を作り、維持しなくてはならないし、「トイレがあったほうが経済的」、たとえば「そこらで用を足していたときに比べて下痢しなくなり、薬代が節約できるようになった」ということを人々に実感させなくてはならない。
さらにインドの場合は「カースト下位の人たちのトイレ問題を解消することこそが、自分たちの健康向上には不可欠なのである」ということを納得させる必要がある。

ところで、著者は「トイレ問題を語る政治家はいない」と嘆いているが、実はそういう政治家もいるのである。
1955年から5期にわたり三鷹市長だった鈴木平三郎という人である。
彼は「下水道を完備する」ということを公約に掲げて有権者の支持を得た。もともとは社会党系だったけれど、どんどん独自路線に走るものだから、実質的に「鈴木党」みたいになっていったらしい。異端の政治家、とでも言おうか。(たぶんね。私はまだ子どもだったから、このあたり、はっきりとは知らない。)
彼のおかげで、三鷹市は昭和48年に全国に先駆けて下水道普及率100%を達成した。つまり23区よりも早いんです。
このことを知る三鷹市民は、きっと今もそれを誇りに思っているはず。私がそうだから。もう市民じゃないけど。
鈴木さんは三鷹名誉市民なんだそうです。当然です。


この本に関する情報はこちら
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by foggykaoru | 2012-02-09 21:02 | ルポ・ノンフィクション | Trackback | Comments(11)

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Commented by ふるき at 2012-02-09 23:07 x
 私も会員の『JHP・学校をつくる会』はカンボジアの教育支援で学校を作っているのですが、校舎を作るのと一緒に必ずトイレも一緒に作ります。衛生向上のために不可欠だからです。
Commented by むっつり at 2012-02-10 05:49 x
>外の方がマシ
と言う事は、ただの集積地、高濃度汚染地域になっているんですね
低濃度なら自然分解されるのに…
日本では水洗が普及するまえから汲み取り式が完全普及していたのは室町期から下肥が使われるようになったからです(この生産性の向上が戦国時代の人や物資の消耗戦を支えたのですが)
ちなみに江戸・明治のアイヌの人たちは和人の作った農作物を穢れ物として忌み嫌ったそうです
アジア・アフリカの国々でトイレが無いのは、下肥の時代を経ずに化学肥料の時代に入ってしまったからでしょうね
Commented by ラッコ庵 at 2012-02-10 07:33 x
昔は下肥も立派な商品。
歳がばれますが(もうばれてる(^^ゞ)私の子どものころには近郊の農家の人がトイレの中身を引き取って、代わりに野菜を置いていきました。きれいにしてもらうのにどうして何かもらえるのか不思議でした。
江戸時代にはお金持ちの家や大名家などのは、一般の家のより高く買い取られたそうです。いいもの食べてるからね・・・
Commented by luna at 2012-02-10 09:26 x
おおお。
わたしは昭和49年から五年間三鷹市に住んでいたのですが、まさにその恩恵にあずかったのですねw
それまでの汲み取りぼっとんから、和式水洗になって驚いたの覚えてます。

この間まで住んでたみたいな、山間の僻地を抱える自治体は、下水道の普及は非効率なので、地域ごとに設置する大型浄化槽の方が経済的に見合うとも聞きました。
なかなか深いですねえ、この手の話題は……
Commented by foggykaoru at 2012-02-10 22:07
ふるきさん。
公衆衛生の基本だから、トイレの建設・維持・管理が欠かせないのですよね。
Commented by foggykaoru at 2012-02-10 22:11
むっつりさん。
中国は日本と同じですよね。公衆トイレのすごさは伝説になってるけど。
東南アジアは「自分で水を汲んで流す水洗トイレ」です。これは悪くありません。一昔前の日本の公衆トイレよりも数段マシ。温暖・湿潤だから、ほうっておいても作物ができます。
アフリカは・・・ 肥料をやって畑にする気もおきないぐらい暑いってこともあるかも。
Commented by foggykaoru at 2012-02-10 22:13
ラッコ庵さん。
私は6歳まで23区内の公団アパートに住んでいて水洗洋式トイレで育ってから、三鷹市の一戸建てに越しました。
和式汲み取り式に逆戻りして、これが地獄でした。月に1度、バキュームカーがまわってきて。
先日、中学生にこの話をしたら、「?」という顔をされました(苦笑)
Commented by foggykaoru at 2012-02-10 22:16
lunaさん。
おお、三鷹市民だったんですね!! しかも下水道完備後の。それはラッキーでした。
うちは下水道完備を待ち切れずに浄化槽を作ってました。
確かに僻地では浄化槽のほうがいいかも。
Commented by foggykaoru at 2012-02-10 22:24
むっつりさん。補足です。
あのですね・・・ 
用を足すのは中より外のほうが気持ちがいいのです。問題は「人に見られるかもしれないという恐れ」だけで。
広い草原なんか最高です。
だからマダガスカルみたいな過疎な国では「外よりも気持がいいトイレ」をつくり、維持するには、多大な努力がいります。
人だらけのインドの場合は、衆人環視の道端だったりするから、恥ずかしいんですけどね。女性は襲われる恐怖におびえながら用を足すそうです。


Commented by むっつり at 2012-02-11 13:14 x
誰かの旅行記でも似たような記述が有りましたよね
砂漠で用を足すのに、慣れたらとても気持ちが良い、と…

インドですが、調べたら、かの地でも下肥を使っていましたが最下層のカーストの仕事だったんですね
日本のように人口の九割を占めていた農民なら、一部の豪農・庄屋階層を除いて、自ら担いで運ぶのが当たり前の国とは違っていましたから、トイレに関する感覚がかなり違っているのでしょうね
穢わしいから、必要性も考えない?
Commented by foggykaoru at 2012-02-12 08:06
むっつりさん。
それ、私の旅行記では(苦笑)

インドでは今もその仕事は最下層のカーストの担当です。
それこそ手作業でやっているようです。

日本は歴史的に格差が小さいというのがあるかも。殿様といったってそれほど贅沢してるわけじゃなかったし。

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