アヘン王国潜入記
2012年 09月 03日
私は1996年にミャンマーに行った。
私のようなごく普通の旅人は空路でヤンゴンに入り、ミャンマー軍事政権が掌握している地域だけを見て廻ることになる。それは世界地図で「ミャンマー」として示されている部分のせいぜい半分程度の面積である。
そこには軍事政権が作り上げたまやかしの平和があり、そして軍事政権を忌み嫌うあまりにも優しい人々との出会いがあった。
私は彼らの幸せを願いつつ、軍事政権に金を落としながら旅している自らを思い、屈折した気持ちの中でこの国に魅せられていった。
魂を揺さぶられる思いだった。
前半生はフランスに捧げた私(←おおげさだ)だけれど、後半生はミャンマーに捧げようかとさえ思った。それほど素晴らしい経験をした。
そして1999年に再訪した。お世話になった人々にお礼を言うために。
でもそれっきり。
ミャンマーごめん。
ミャンマーから足が遠ざかってしまった理由はいろいろある。
いわゆる先進国でない国に行くと、すっかり年老いた親が死ぬほど心配するということはある。
自分も年をとった。あの頃みたいな「えせ」でない本当のバックパッカーの旅をする元気がなくなってきた。
それに加えて、日本からの唯一の直行便だったANAの「関空~ヤンゴン便」が廃止されてしまった。
この路線、私が乗った2回とも、えらく空いていた。横になれて嬉しかったけれど、こんなんじゃ採算取れないだろうと思ったものだ。
なのにミャンマーには空路でしか行けないのだ。
インドシナ諸国を周遊する一環として陸路で入るということができないのである。合法的には。あの国は半鎖国状態だから。
で、この本。
非常に面白かった。
ミャンマーに興味が無い人には敷居が高いかもしれないけれど。
タイ・ラオス・ミャンマーの国境地帯は「ゴールデントライアングル」と呼ばれ、アヘン生産地域としてその名を知られてきたが、高野氏が非合法で潜入した1995年当時には、アヘン生産はミャンマーが中心になっていて、もはや「トライアングル」ではなかったのだそうな。
そしてその「ゴールデン『ランド』」を支配するのは、ミャンマー政府ではなく、ワ族という少数民族である。一般に「反政府ゲリラ」などと呼ばれる。(このあたりの事情は、現在はかなり変わっているようだが)
潜入のための準備がすごい。
タイのチェンマイで1年間、日本語教師として暮らしながら、手引きしてくれるワ族関係者を探し、チャンスをうかがう。
潜入後はアヘン作りをしている「ごく普通の村」で過ごし、アヘン栽培の手伝いをしたり、病気になったり、、、アヘン中毒にもなる!
この本は日本では大して話題にならなかったけれど、英訳され、海外ではかなり注目されたという。世界広しと言えども、ここまでやったライターは他にいないのである。そりゃそうでしょうよ。
解説は早稲田の探検部の先輩である船戸与一。
彼も言っているのだが、高野さんの大きな強みは語学力。
これほどの語学力のある探検家(と私は呼びたい)がこの日本に生まれたことは、1つの奇跡と呼ぶべきなのかも。
この本に関する情報はこちら
by foggykaoru | 2012-09-03 19:54 | ルポ・ノンフィクション | Trackback | Comments(2)
中国経由の麻薬って、源流は此処なのかな?
ともかく興味が引かれたので、また熱帯雨林に三畳記と共に注文しました