河北新報のいちばん長い日

河北新報は仙台に本社を置く地方紙。創刊以来、(休刊日を除いて)毎日地元の情報を伝え続けてきたこの新聞「いちばん長い日」とはもちろん3.11、東日本大震災の日。その日からの悪戦苦闘の記録である。

あれから3年。日に日に報道がまれになり、被災者でない私にとっては過去のものになりつつある。いかんなあと思っていたら、書店で見つけた。

新聞社自身、つまり記者たちがまとめた本だから、読ませるという点では鉄壁。

印象的だったのは、新聞という今や究極のアナログ媒体の重要性である。
日頃はテレビやネットなどで情報を得ることができる。また、緊急情報はツイッターが強い。
でもやっぱり、新聞は必要なのだ。

河北新報は輸送や販売網がずたずたになった中で、宅配を続けた。
情報を待ち望む人々は口々に「ありがとう」と言い、むさぼるように読んだという。

震災で電源が落ちたとき、オール電化の家はどうしようもなかったという。それと同じ。

自然災害をはじめとする、さまざまな理由で新しい技術がダウンしてしまうという可能性はいつだってあるわけで、そういうときは、もはや時代遅れと思われていたものが意外な強みを発揮する。
新聞をとらなくなって久しい私だが、やっぱり新聞は必要なのだ。

あとは、地元に根付いた地方紙の重要性。東京在住の人間にはあまり関係ないんだけど。
福島原発が危ない!となってから、全国紙はそちらにシフトしてしまった中、河北新報は震災プロパーの情報を発信し続けた。

一読しておいていい本だと思う。

この本に刺激を受けて、Youtubeの震災関連の動画をいくつか見た。

震災直後は、テレビのニュースで見た動画が中心だった。
でも今はもっといろいろな動画がある。
印象的だったのは、高台から撮影されたもの。沖合を撮影しているのだけれど、最初の数分間、ほとんど動きがない。やがてさざ波が静かに川面に見え始める。それが次第に大きくなり、突然牙をむく。この変化がすさまじい。
テレビでは派手な場面だけを編集して見せられたのだけれど、その部分だけでは津波の恐ろしさの半分しか伝えられていない。

被災者の心情を慮って、もはやテレビでは津波の映像は流れない。
それは理解できるけど、果たしてそれでいいのだろうか?という疑問もわく。


この本に関する情報はこちら
当時、実際に河北新報を手にした人々のレビューは必読。
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by foggykaoru | 2014-04-01 21:43 | ルポ・ノンフィクション | Trackback | Comments(6)

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Commented by fu-ga at 2014-04-01 23:42 x
あの日の翌日、マンションのロビーにいた方が、河北新報をもってらっしゃいました。私はそのとき新聞を取っていなかったのですが、見せていただいてびっくりでした。
電気も何もかにも落ちてしまい、全く情報が入らなかったため、新聞の記事に書かれている事態が飲み込めませんでした。そして、あの時はただただショックが大きく気づかなかったのですが、あの日、よくあの新聞を発行できたなと驚きでした。
Commented by Titmouse at 2014-04-01 23:59 x
この新聞社、おととし仙台で泊まったホテルの近くだったんですよね。付近を歩きながら本の内容を思い出したりしていました。
Commented by ラッコ庵 at 2014-04-02 07:19 x
「河北新報」という紙名の由来がでていましたか?明治時代「白河以北一山百文」と言われたことに反発した創始者が、わざとそういう紙名にしたんですよね。もともと反骨精神半端ないです。
Commented by foggykaoru at 2014-04-02 19:59
fu-gaさん。
新聞社自体も大変なことになっていたので、当日の号外はまさに綱渡りだったようです。
それ以後も、取材に行くためのガソリンとか、そもそも社員の食べるものとか、ないないづくしの中、頑張り続けたようです。
Commented by foggykaoru at 2014-04-02 20:00
Titmouseさん。
おお、あのときにすでにこの本、読んでいらしたんですね!
Commented by foggykaoru at 2014-04-02 20:01
ラッコ庵さん。
「河北」の意味はこの本でも説明されていました。
その意気や良し!ですね。

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