保柳健著「音楽と都市の出会い---大英帝国とロンドン」(音楽之友社)

まだ読みかけなのだが、忘れないうちにメモしておく。

誰でも知っているヘンデル作曲の「ハレルヤ」だが、あれの歌詞は英語で書かれている。

♪ハーレルヤ! ハーレルヤ! ハレルヤ! ハレルヤ! ハレールヤ!・・・
♪キーングオブキーングズ
♪ロードオブローズ

「クラシック=ドイツ」と刷り込まれていた私にとって、これは非常に奇異な事実だった。(モーツアルトはドイツではなく、オーストリアだが、小さい頃の私にはドイツとオーストリアの区別はつかなかった。)長じて映画「アマデウス」を観たら、ドイツ語でオペラを書いたのはモーツアルトが最初で、それまではイタリア語で書かれていたということを知った。いずれにしても、英語の出る幕は無い。
その後、ヘンデルが、招かれてイギリスに行き、長いこと滞在していたという事実を知った。なーるほど、出稼ぎしていたのね。だから英語の合唱曲を書いたわけだ。
しかし、新たな疑問が生まれた。

なぜ、よりによってイギリスに? 

こう言っては申し訳ないが、イギリスと音楽というのは、どうもそぐわない感じがするのだ。
この本を読んで、答えがようやく見つかった。

以下はその答え。






ヘンデルがイギリスにいた頃の国王はジョージ3世。ハノーヴァー家の人である。ドイツからやってきたジョージ1世以来、3代目なのに、イギリス国民となじむことができず、王室では依然としてドイツ語が幅を利かせていた。
(↑この部分には間違いがあります。詳細はこちら
こんな状況下で、ドイツ系の音楽家が招かれたわけだ。ちょうどその頃、ドイツ語圏には優れた音楽家がたくさんいたし。ヘンデルだけではなく、バッハもモーツアルトもイギリスに招かれ、滞在している。
さらに、この時代のイギリスは、市民革命をとうの昔に終え、いち早く議会制民主主義になっていた。まだ産業革命には間があるにしても、身分制がかなり崩れていた。だから、イギリス王室は他の国の王室に比べ、かなり貧乏臭かったのだが、その反面、市民のオジサンたちの中には資産を蓄えた人もたくさんいて、彼らはそれまでのただのオジサンではなく、「ジェントルマン」という教養あるオジサマになった。あの謎めいた「クラブ」もこの頃生まれた。要するに、王侯貴族でない人たちも、友人達と力を合わせれば、音楽家を雇って音楽会を開くことができるようになっていた。そういう人たちのほうがむしろ、王様よりも金払いがよかった。だから、ロンドンという町は、音楽家にとって、手っ取り早くお金を稼ぐための、最高の場となった。

世界史年表で確認してみた。赤字が音楽家関連の事項。( )内はイギリス以外の国の政治状況。

1649 清教徒革命
1660 王制復古
1688 名誉革命・オレンジ公ウィリアムが王様として迎えられる
1714 オレンジ公の血筋断絶・ドイツのハノーヴァー家から王様を迎える 
     以後、現在までハノーヴァー朝は続いている
(1715 ルイ14世死去)
(1740 マリア・テレジア即位)
1750 J.S.バッハ死去
1759 ヘンデル死去
1765 蒸気機関の発明→産業革命へひた走る
1770 ベートーヴェン誕生
(1789 フランス革命)
1791 モーツアルト死去
(1793 ルイ16世の処刑)

政治史と芸術史は、頭の中で結びつけにくいのだが、ようやくすっきりした。

ちなみに、モーツアルトにとって、イギリスは魅力がなかったらしい。著者は「彼は権威に頼るタイプだった」と言う。そういう言い方はひどく否定的に響くが、王侯貴族にパトロンになってもらうのは、当時の音楽界の常識だったのではないだろうか。つまり、彼は音楽的には天才であったけれど、時代感覚に関しては、当時の常識人の域を出なかったということに過ぎないのではないかとも思う。また、映画「アマデウス」には、彼が子供だったころ、これまた子供だったマリー・アントワネットに求婚したというエピソードが紹介されている。これは私の根拠の無い想像だが、お姫様がいる宮廷の優雅な雰囲気になじんでいて、それがたまらなく好きだったのではないかしら。そんな彼にとって、フランス革命は大きなショックだったらしい。マリー・アントワネットのことも心配だっただろうし。

ベートーヴェンはお金が欲しくてイギリスに行きたくてしょうがなかったのに、(そして、向こうも招待してくれたのに)ご縁がなくて行けなかったとか。もしも行っていたら、「第九」の合唱は英語になっていたかも? 私としては、「喜びの歌」はあくまでも「フロイデ!」で始まって欲しいので、彼には悪いけれど、行けなくてよかった(笑) 
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by foggykaoru | 2005-01-19 20:58 | 西洋史関連 | Trackback

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