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「大英帝国とロンドン」(その2)

昨日の訂正(汗)と追加です。

まず訂正事項。

ヘンデルがイギリスに行ったのは、ジョージ1世のとき。
ジョージ3世ではありません。それはモーツアルトの訪英時の国王。このときモーツアルトは、同じく招待されてロンドンに来ていたバッハにとても可愛がられて、いろいろ教えてもらったんだそうな。

そして追加事項。





ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルはイギリスに滞在したどころか、2回目の訪英後そのままずっと居着いて、帰化してジョージ・フレデリック・ハンドル(笑)になったんだそうです。
英語の歌詞の「ハレルヤ」を作曲したのは、そこまでイギリスに浸ったからこそだったのでしょう。

その後のイギリス音楽事情をたどります。

世界に先駆けて産業革命を経験したイギリスは、ヴィクトリア朝に栄華をきわめます。当然のことながら、ヨーロッパ大陸の著名な音楽家が大挙してロンドンにやってきます。そして、ようやくイギリスにも音楽家が生まれます。エルガー、デリアス、ヴォーン・ウィリアムズ、グスタヴ・ホルスト、ケテルビー等々。彼らは揃いも揃ってヴィクトリア朝生まれ。

と、いかにも知っているかのようにずらずら書きましたが、ほとんどの名前が初耳でした。
クラシックの作曲家名について私が持っている知識は、日本人の平均レベルに(一応)達していると思う(思いたい)のですが、知っているのはエルガーだけ。。(^^;; 
最高に恵まれた音楽環境だったわりには、大して有名な人が出ていないような。やっぱりイギリス人は芸術的センスが無いのでしょうか?

それもあるかもしれないけれど(爆)、そればかりではないような気がします。

時は既に19世紀末。
世界の特定の国や地域が、特定の分野の天才を輩出するいう時代はもはや終わっていた、ということなのではないでしょうか。

もうちょっと昔なら、そういうことがありました。
ルネッサンス期のイタリア、フィレンツェとか。
もちろん、音楽界の3Bを生んだドイツも。

by foggykaoru | 2005-01-20 20:44 | 西洋史関連 | Trackback

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