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「赤瀬川原平の名画読本---鑑賞のポイントはどこか」(カッパブックス)

この本は、友人たちに貸しまくっているうちになくなってしまったのです。久しぶりに本屋で見かけて思い出しました。

西洋絵画の入門書として、どなたにもお薦めの1冊です。

思えばこの本で赤瀬川氏の文章に初めて接して、舌を巻いたのでした。尊敬しました。さすが、芸術家兼作家だけのことはある、と。(ご存知のとおり、赤瀬川氏は「尾辻克彦」というペンネームを持つ作家でもあります。)
西洋絵画に関する知識も関心も無い人ですら、これを読んだら「今度はひとつ、美術館というところにでも行ってみようか」という気になること間違いなし。

非常に有名な画家の、非常に知られた作品であっても、良くないものは良くないと言い切っています。以前から漠然と感じていたことを、はっきり指摘してもらえて、実に気分がすっきりしたことを覚えています。

続編として「日本画編」もあります。

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by foggykaoru | 2005-04-29 18:37 | 過去に読んだお薦め本 | Trackback | Comments(4)

K.M.ブリッグズ著「魔女とふたりのケイト」(岩波書店)

「王妃エレアノール」の著者・石井美樹子氏が翻訳した児童書。図書館で手にとってみたところ、見開きにイングランド北部からスコットランドに及ぶ地域の地図が描かれ、なんと、「←コニストン」という文字が! 迷わず借りたことは言うまでもありません(笑)

「ケイト・クラッカーナッツ」という妖精伝説が下敷きになっているのだそうです。
時は清教徒革命前夜。冒頭から誰それがカトリックだとか、王党派だとかといった、とうてい子ども向きとは思えない話題がぽんぽん出てくるので、てっきり「伝説の魔女、その真実はこうだった!」という話になるのかと思ったのですが、大はずれでした。正真正銘、思い切り魔女なのです。「ほんとうは害のない人なのに、薬草の知識を豊富に持ち合わせていたために、周囲に魔女扱いされた」というような話ではないのです。自分自身が魔女であると自覚している魔女なのです。これにはがっくりしました。

考えてみれば、児童書なのですから、題名に「魔女」とあれば、魔女が出てくるわけで。もし出てこなければ、読んだ子どもが怒ることでしょう。
だから、がっくりきた私がいけないのです。

でも、ちょっとだけ文句を言わせてください。
こうも歴史背景をきっちり書かれると、読んでいる側は、ファンタジーモードから現実モードに切り替わってしまうのです。ファンタジーなら徹頭徹尾ファンタジーにしてくれたほうが、ずっと受け止めやすい。子どもなら、小難しい歴史をいちいち頭に入れようとせずに、魔女のところだけを楽しめるのかもしれませんが、年寄りの私にはそういう芸当はできませんでした。

「バッテリー3」の項で、「私は児童書は海外のもののほうが好き」と書きましたが、この本はダメでした。「バッテリー」のほうが好きです。

また、翻訳者としての石井美樹子氏にも、ちょっぴり失望しました。

「フェアが開かれる」には我慢できません。どうして「市」じゃいけないの?
それに、「セブン・ウィッスラーズ」って何ですか? すぐ後に、「成仏できない魂を、最後の審判の日まで追いかける妖犬よ」という台詞が続くから、わざわざ日本語に訳す必要は無いと判断したのでしょうか。「ああこれが瀬田貞二氏だったら!」と思ってしまいました。第一、「成仏」というのも問題ではありませんか? 

あれこれ文句をつけてしまいましたが、これはあくまでも私の個人的感想にすぎません。ほんものの魔女が好きな人や、英国史に興味がある人は、ぜひお試しを。

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by foggykaoru | 2005-04-26 20:38 | 児童書関連 | Trackback | Comments(2)

ようやく!

c0025724_2111114.jpg紀伊国屋新宿本店にて、ようやく全巻そろった姿を写真に撮ることができました。
「ランサム・チェック」はこれにて終了?

いえいえ、とんでもない。これからもずっと続けます。
呆れられてもいいのです。
私はオタクですから(自爆)
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by foggykaoru | 2005-04-25 21:15 | ランサム・チェック | Trackback | Comments(6)

英語のたくらみ、フランス語のたわむれ(東京大学出版会)

東大で教鞭をとる2人の若手の学者(英語の斎藤兆史、フランス語の野崎歓)の対談集。当然、話し言葉なので、読みやすい。

読みやすくても、文学に関しては、基礎知識の無い私にはあまりぴんとこなかった。ただ、「フランスでは文学批評も文学とみなされている」というところだけは、「うんうん、自分の興味のある作品の優れた批評は面白いものね」という程度ではあるが、納得できた。

言語、及び外国語教育に関する部分が、なかなかに刺激的で、読んでいて心地よい。

外国語教育の論議は盛んである。盛んだが、不毛だと思う。その原因は、元来言語が日常の道具であるところにあるのだろう。だから、「外国語ができる」という言葉の意味が、人によって異なる。その結果、同じことについて語っているつもりであっても、実際はそうではなく、議論がかみ合わないことが多いのである。

たとえば、海外旅行に行って、お土産を買おうとしたら、言葉が必要になる。そのときにほんの2、3の基本文が口をついて出てくるかどうかが「外国語ができる」かどうかである、と考える人も少なくない。

そして、たいていの人が理想のレベルとするのは、外国語で仕事ができること。いわゆるビジネスのための外国語。

でも、最高のレベルというのは、実はそんなものではない。

「実用英語本を出しているような、いわゆる『できる商社マン』など、初段のレベルにすぎない」(←忠実な引用ではありません)という言葉には唸った。

昔から日本には、外国語の十段や名人はいたのだ。その人たちは、その外国語のネイティブが舌を巻くほど格調高い文を書き、ときには複数の外国語に通暁し、古典的名訳を残した。
そしてその当時、それ以外のほとんどの日本国民が十級であり、初段に到達する人は非常にわずかだった。

今は初段レベルがかなり増えてきている。
それ自体は悪いことではない。問題は、初段が理想の姿だと思われがちだということ。
理想というのはその程度のものではない。

初段レベルだったら、頑張れば到達できるかもしれない。だからそれを個人的目標にするのは、決して悪いことではなかろう。でも、社会全体がそれを理想にするのは、志が低すぎるというものだ。二段、三段になる素質を持つ人も伸びなくなる。そして、「文法はいらない」「慣れればよい」という考え方が横行する。その結果、「実用会話」に、時間を割くことになる。でも、仮に学校で「実用会話」をやって、多少は身に付いたとしても、しばらく使わなければ、それすら忘れてしまうだろうに。書き言葉を学ぶことをおろそかにしてはならない。

昨今、幼児の頃から英語に親しませるということが流行っているらしいが、そんなことをしても意味はない。日本語で語れること以上のことが、外国語で語れるはずがないのだから。私は以前から思っているのだが、幼児に外国語教育を施すのなら、「さまざまな言語のありとあらゆる音」に対する感受性を高めることのできる音声教材を与えるのがいいのではないだろうか。(そんな教材は無いけれど。)「英語の音」にだけ親しませるのには、私は反対である。英語訛りのフランス語やイタリア語ほど聴くに耐えないものはないから。英語訛りに比べたら、日本語訛りのほうがはるかにマシである。

この本は、翻訳談義にも多くのページが割かれている。

私はその昔、翻訳家になりたかった。でも、ほんの数回だけ、アルバイトをやってみて、さっさと断念した。「こんなに苦しいことはやっていられない」と思ったのだ。なにしろ、どんなに訳しにくくても原文を変えるわけにはいかないのだから(自爆) 苦しみながら訳すからこそ、日本語の新たな地平が開けるのだということはわかるのだが、私はそれに耐え続ける自信も意欲も、持ち合わせていなかった。

この本で、「翻訳者というのは、誰が読んでくれるというあてもないが、とにかくこの手で訳したいという気持ちになることがある」というのを読んで、なるほどと思った。確かにそういうことはあるのだろうな。

以下に、印象に残ったことを列挙する。(正確な引用ではない。勘違いも大いにあり得る)

カタカナ英語をそのまま使うのは、直接英語の世界につながっているつもりだろうが、実は精神的な鎖国である。

「鎖国」という用語自体、外国人が作ったものを、翻訳したもの。元来、日本人は江戸時代のあの状況を指す用語を持っていなかった。つまり、他者との相対化によって初めて、自分がわかる。

アメリカにおける翻訳書の全書籍に占める割合はたったの3パーセント。アメリカはほど内向きの国はない。

コミュニケーション手段である言語は、本来1つだけであったほうがいいというのは間違い。人間の営みに関する事柄は、すべて複数なのである。


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by foggykaoru | 2005-04-24 12:17 | バベルの塔 | Trackback | Comments(2)

あさのあつこ著「バッテリー3」(角川文庫)

これは巧1人の物語ではなくて、巧と豪というバッテリーの物語なんだなあと、今さらながらに思いました。もちろん最初からわかっていたんだけど。

薄い文庫本、しかも児童書、しかも会話が多くてそれほど文字が詰まっていない本を、この私ともあろうに、一気に読めませんでした。つまらなかったのではありません。忙しすぎたのです。断続的に3日ぐらいかけて読んだのですが、そのお陰で、紅白戦の結果がどうなるのか、あれこれ想像を廻らせてみたりすることができました。予想はどれもハズレでしたが(苦笑)

面白いんだけど、ちょっと飽きてきたかも。

前から薄々感じてはいたのですが、児童書の場合、私は海外の作品のほうが好きなようです。そのほうが夢を追えるからなのかなあと思います。大人向けの小説なら、日本の作家のものもけっこう好きなのですが。
児童書を読むときに私が求めるのは、「夢」とそれに微妙に重なり合う「遠くの土地への憧れ」であるようです。
もちろん、「バッテリー」にも、巧たちの夢がぎっちり詰まっています。
でも、舞台が日本なのです。そこがあまりにも身近で、私には物足りないのです。

「バッテリー」ファンの方、ごめんなさい。「外国好き度」が異常に高い私がいけないのです。どうか気にしないでください。
このシリーズは、読み始めたら面白くてやめられなくなる人のほうが圧倒的に多いはずです。


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by foggykaoru | 2005-04-22 22:25 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)

ランサム・コーナー更新のお知らせ

ランサム好きでココにおいでの方は、ふだんからメインサイトもチェックしてくださっているので、わざわざお知らせする必要などないのでしょう。
一方、特にランサムに興味が無い方にとっては、もともと不要なお知らせです。
でも、一応お知らせします。

メインサイトのランサム・コーナーを更新しました。

このブログに「書店に並んだランサム全集」の画像をアップしているので、それとは違う(角度の)画像がこちらにもございます、ということです。
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by foggykaoru | 2005-04-17 09:26 | ランサム・チェック | Trackback | Comments(2)

そんなに英語がいいですか?

ある映画館にて、予告編で見た濃い~感じの映画。幼なじみの青年同士の感情のもつれ?だかなんだかが主題らしい(少なくとも予告編ではそう見える)
青年の1人は「イグレシオ」という名前らしい。
「バモス(=行こう)」と言っているのが聞こえる。
おお、これはスペインの映画なのね!
と思っていたら、最後にタイトルが重々しく流れました。

バッド・エデュケーション

げげっ、、センスわるーーー

すっかり興醒めしてしまったのは私だけですか?

別のとき、暇ができたから、面白そうな映画があったら観ようかなと思って、映画情報サイトで映画館と映画名をざっとチェックし、たいして観たいのはないなぁと思いつつ、まあこのへんで、と、ある映画を見ました。
そのちょっと後になって、知ったのです。
「ロング・エンゲージメント」がフランス映画だということを。
しかも、「アメリ」の監督・主演女優のコンビだというではありませんか!
知ってたら観に行ったのに!

それとも、アメリカ映画のふりをするほうが、客が入るんですか?



英語の映画であっても、カタカナ英語の題名は嫌いです。

映画のことは詳しくないのですが、「映画の題名はカタカナ英語」という流れは、「ダンス・ウィズ・ウルブス」あたりから始まったような気がします。(映画自体を観ていないから、何とも言えないのですが、少なくとも、原題から判断できる限りにおいて)どうして「狼たち(と)の舞い」ではいけないのか、わかりません。
その少し後に「リバー・ランズ・スルー・イット」という題名を目にして、呆然驚愕しました。カワハソレノアイダヲナガレテイル。
映画配給会社というのは、何を考えてるの? 芸が無いにもほどがある。

映画の題名におけるカタカナ英語の氾濫、お願いですから、なんとかしてください。ある程度英語がわかる人間にとってさえ、あれは単なる記号に過ぎません。

ショーン・コネリーが最高にセクシーなジェームズ・ボンドを演じた「007ロシアより愛をこめて」。
もしもあれが「フロム・ラッシャ・ウィズ・ラブ」だったら、あんなに鮮烈に印象に残っていないと思います。

トールキン原作の"The Lord of the Rings"は「ロード・オブ・ザ・リング」という邦題で公開されました。
いまだに「ロード」が「道」だと思っている人は多いはず。

せっかく日本語という言語を持っているのだから、日本語を使いましょうよ。。。
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by foggykaoru | 2005-04-14 20:40 | バベルの塔 | Trackback | Comments(13)

あさのあつこ著「バッテリー2」(角川文庫)

主人公巧たちがいよいよ中学に入学。彼の言動は、(予想どおり)周囲に波紋を巻き起こします…。
1巻のときも思ったのですが、人間の描き方が丹念なことに感心します。なので、これ1冊かかって、まだほんの数日間しかたってない。どうしたって続きを読まざるを得ません(苦笑)
c0025724_1932788.jpg

で、ここに唐突に桜の写真。
最近ようやく写真が撮れる携帯に変えたのに、撮る写真といえば、書店の児童書コーナーに並ぶランサム全集だけ、というのも、我ながらなんだかなあと思ったのです。

巧は桜が嫌いなんですって。つるんで咲くから。恐れ入りました。こんなにきれいなのに。

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by foggykaoru | 2005-04-10 19:06 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)

美術館と博物館

「アルキカタ・ドットコムの裏情報」のトラックバック記事として書きます。

英語で"museum"(ミュージアム)
ドイツ語でも"museum"(ムゼウム)
フランス語で"musee"(ミュゼ。最初の"e"の上に右上がりのアクサンが付く)
イタリア語で"museo"(ムゼオ)

これを日本語では何と言う?

6年ほど前、「世界の美術館を斬る」というコーナーのコンテンツを作り始めて間もなく、「美術館」と「博物館」の違いに悩むことになりました。

ルーブルが美術館であることは誰もが認めるでしょうが、その付属の"Musee des Arts Decoratifs"、これは「装飾美術館」? それとも「装飾博物館」? 

ウィーンにある、ブリューゲルの「バベルの塔」で有名な美術館、あれは普通、「美術史博物館」と訳されています。きっと「美術史美術館」はくどすぎるから、「博物館」としたのでしょう。

映画「マスター・アンド・コマンダー」の中に「これは『博物学』上の大発見だ」という台詞があり、英語で"natural history"と言っていました。同じ映画で「博物学者」は"naturalist"だった。
そういう意味からすると、自然史以外の博物館は、厳密には博物館ではないということになるけれど、「切手博物館」とか「交通博物館」とか「おもちゃ博物館」とか、自然史には関係ない博物館は山ほどあります。

パリには"Musee National Eugene Delacroix"というのがあります。ガイドブックによると「ドラクロワ美術館」。ドラクロワのアトリエが公開されていて、とても雰囲気が良いので、個人的にパリのお勧めスポットなのですが、確かドラクロワの作品は無かったと記憶しています。複製は有ったと思うけど(記憶が曖昧でごめんなさい)。
なので、私としては、これを「美術館」と呼ぶのには抵抗があります。「記念館」と言うべきでは。

このように、悩みの多いこの単語ですが、だからと言って、「ミュージアム」とか「ミュゼ」と書いて片付けたくはないのです。悩みながら日本語を使っていきたいと思っています。

そう言えば、「ギャラリー」という単語もありましたっけ。
ロンドン最大の美術館は「ナショナル・ギャラリー」。
「ミュージアム」として、すでに"British Museum"つまり「大英博物館」があるせい?
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by foggykaoru | 2005-04-09 09:00 | バベルの塔 | Trackback | Comments(4)

風海りんね著「アジア恋愛のススメ --- 七転八倒、ビルマの花嫁日記」(ワニ文庫)

タイトルから受ける印象と違って、これは真剣な恋の記録です。

ビルマすなわちミャンマーは、軍事独裁政権国家。国際問題に興味が無い方でも、スーチーさんの軟禁問題はご存知のことと思います。軍事政権の横暴は、スーチーさんのみならず、ミャンマーの一般の人々の日々の生活を圧迫しています。

たとえば、外国人を家に泊めてはいけない。泊めたのがバレたら、刑務所送り。(ミャンマー人だけ。外国人はお咎め無しです)
実を言うと、私はミャンマーで、たまたま知り合った地元の人のお宅に泊まって、心のこもったもてなしを受けたことがあります。相手とその家族に多大な迷惑をかける恐れがあることなど、つゆ知らずに。今までの旅の中で、文句なしに最高の思い出なのですが、このときの体験はHPには公開していません。できないのです。万が一、ミャンマー政府関係者の目に触れたら、親切を仇で返すことになるから。
(詳細を省いた記事はここにアップしてあります。)

この本の著者は、ミャンマー人男性と恋に落ちてしまった。
ところが、軍事政権はミャンマー人と外国人の結婚を認めていない。

いまどきの常識的な国においては、個人の幸福の追求は、可能な限り保護されているものですが、ミャンマーは常識の外にある国なのです。

著者の風海りんねさんとは、以前、オフ会でお目にかかったことがあります。
彼氏との出会いや、日本に帰ってからの苦悩などを、ご自身のHPに、ほとんどリアルタイムにアップなさっていたときのことでした。
その記事が出版社の目にとまり、この本ができたのです。

旅人たちの間に大きな話題を巻き起こしたそのHPも、今はもうありません。
風海さんの幸せを祈りつつ、この本を紹介させていただきました。


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by foggykaoru | 2005-04-06 21:27 | 過去に読んだお薦め本 | Trackback | Comments(7)