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電話の文法

前回の続きです。

コミュニケーションにおいて、言語の果たす役割は大きい。
でも、他の要素、たとえば顔の表情、声の調子などによって伝わる情報量もかなり多い。(だから顔が見えなくて声が聞こえないネット上の掲示板やチャットではもめごとが起こりがちなのです。)
さらに、しぐさもあります。同じしぐさでも、文化によって意味が異なるということは、よく言われること。しぐさにも一種の「文法」があり、それに従っていないと、たとえ言語的に正しく話しても、言いたいことが相手に伝わりにくい。

「屋根の上のバイリンガル」を読んで、言語によるコミュニケーションであっても、それに似たことがあるんだな、と思ったのが、電話の応対のしかたの違いです。

日本では、電話をかけた側が、
「もしもし、鈴木ですが、明子さんはいらっしゃいますか?」
と言うのが礼儀にかなっています。
もちろん、いきなり
「もしもし、明子さんはいらっしゃいますか?」
という人も少なくないけれど、それに対して
「・・・どちらさまですか?」
とききかえせば
「あっ、すみません。鈴木と申します」
となります。

でも、アメリカではそうではないんだそうです。
「ジョンはいますか」
「いません」
「では、ロジャから電話があったとお伝えください」
が普通の流れなので、
「ジョンはいますか?」
に対して
「どちら様ですか?」と訊いたら、ロジャはびっくりしてしまうのだそうです。

では、他の国ではどうなのか?
フランスでは日本式。つまり、電話をかけた側が先に名乗ったほうがいい。

というところまで書いてありました。

ではドイツでは?

私のごく限られた経験によると、ドイツは電話をかけた人から名乗る必要はないみたいです。

はるか昔、ドイツ語を会話学校で習っていた頃、クラスの生徒たちを先生が自宅に招待してくれたことがあります。
そのとき、電話がかかってきて、手が離せなかった先生は、生徒の1人に「電話に出てくれ」と言いました。
その生徒「でも、なんて言えばいいのですか?」

そういえば、ドイツ語の「もしもし」、まだ習っていなかったぞ、何て言うんだろう? と思っていたら、先生---仮に「シュミット」という名前だということにしましょう---は、あっさり「『シュミット』と言いいなさい」と答えたのです。

へええええと思いました。

この流儀、日本でも、つい最近までありました。
電話を受けた側が
「もしもし田中です」
と名乗るほうが、「もしもし」しか言わないよりも、礼儀正しい。
親に言われましたもの。
「『もしもし』だけじゃなくて、『もしもし山田(仮)です』と言いなさい」って。

でも、身に付かなかった・・・(苦笑)

今はいろいろ物騒で、個人情報保護に神経を遣わなければならないから、我が子にそういう応対のしかたをしこむ親はあまりいないだろうと思います。ビジネスにおいては、必ず受けた側が自分の会社名を名乗るけれど。
ドイツではまだ受け手が先に名乗るのかしら。
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by foggykaoru | 2006-02-28 20:18 | バベルの塔 | Trackback | Comments(4)

沼野充義著「屋根の上のバイリンガル」を読んで

ロシア・ポーランド文学の専門家である著者による、言語に関するエッセイ集。
この人はハーバード大学で博士号をとったということで、英語「も」できる。だから視野が広いです。

日本では(当たり前のことなのですが)英語メインの人が多いので、当然のことながら、言語に関する著述も、どこか偏っていると感じることが往々にしてあります。その次に多い(とは言っても、英語に比べたらぐんと少ない)のが、フランス語の重鎮たち。これもまたしばしば偏ってる。

言語を語り始めると、行き着くところは自分の母語です。
ところが、ヨーロッパのメジャーな言語の1つに通じているだけの人は、その言語との比較において、「日本語は主語が省略されることが多い。だから非論理的である」とか言うのです。そういう話はもう聞き飽きました。

とは言え、日本語がどのような言語かを知るには、他の言語の知識が必要不可欠。自分を知るには、他者を知らなくてはならないのですから。
だから日本語学者こそ、いろいろな外国語に通じていなくてはいけないのです。ほんとうは。

日本人が学校で習う文法は、橋本進吉博士が作った「橋本文法」が中心です。(のはずです)
文明開化で欧米の文化がどどっと入ってきたときに、ヨーロッパ言語のための文法体系も入ってきた。それを日本語に無理矢理あてはめた文法。

言葉は現実です。
その現実を体系づけるのが文法。
どこに目をつけるかによって、いろいろ異なった文法が作れる。

学校では習わない国語文法に、松下文法というのがあります。この文法、ちらっと見たことがあるのですが、「動詞」のカテゴリー内に擬音語が入れられているのです。「ドン」とか「パン」とかが。見たときは、目が点になったものです。
でも、この文法、日本語の三大文法の1つに数えられているんです。(ちなみに、残る1つは時枝文法)
ということは、この松下文法、橋本文法とは全く違うけれども、それに匹敵するほど素晴らしい着眼点があるに違いない。

日本語にほんとうに適した文法を、私たちはまだ知らないのではないかと思うんです。

そういう文法を見てみたいな。自分では作れないけれど。
誰かに作ってもらいたいのです。
「ヨーロッパのメジャーな言語(英語とか)、マイナーな言語(ウェールズ語とか)、アジアのメジャーな言語(中国語とか)、マイナーな言語(ミャンマー語とか)、その他(スワヒリ語とかバスク語とかエスキモーの言語とか)を習得した語学の天才が、日本語の文法を作ったら、その姿はどんなものになるのだろう?」と思うと、なあんだかたまらなくロマンを感じてしまいません? 感じないですか。そうでしょうね。感じる私って、たぶん相当変わり者なのでしょうね。。。

脱線しすぎました。

この本の表題になっている「バイリンガル」。
現代日本においては「彼はバイリンガルである」というのは、ある種の羨望がこめられた表現です。バイリンガルはかっこいい。
でも、他の国においては、そうとは限らない。移民等、ある社会のマイノリティに属する人々が、必要に迫られて二つの言語の使用を続けた結果、バイリンガルになることが少なくない。その場合は「バイリンガル」はマイナスのイメージを伴い、「バイリンガルは頭が悪い」とさえ言われかねない。

これを読んで、唐突に思い出したのが、古今東西における「美人」の条件。
昔はお腹一杯にものを食べることができるのは、ごく一部の富裕層だけだった。そういう時代においては、美人の条件は太っていることでした。
飽食の時代である現代においては、やせていなることが美人の条件。
だから美しくなるために、必死になってダイエットする。

価値というのは相対的なもの。

この本に関する情報はこちら

この本の話題はまだもうちょっと続きます。
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by foggykaoru | 2006-02-27 20:38 | バベルの塔 | Trackback | Comments(2)

ランサム関連写真展

3月3日から21日まで、「英国田園紀行」という写真展が開かれます。
このタイトルだけではわかりにくいのですが、これは写真家・中川祐二氏がランサムの作品の舞台を廻ったときの写真展。

3月12日には「英国紀行ーA・ランサムの物語を訪ねて」と題するお話会まであります。

しかも、会場が「スワロウデイル」=「ツバメの谷」ときている。

これは行くっきゃないっしょ!

「スワロウデイル」のHPはこちら、ブログはこちら、写真展の詳細はこちら
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by foggykaoru | 2006-02-24 23:23 | 告知 | Trackback | Comments(4)

ルイスとトールキン

いつまでも「世界ふしぎ発見」を引っ張ってごめんなさい。あともうちょっとだけ。

「ナルニア」の名前の由縁と、ルーシィがなぜルーシィなのかということを説明してましたが、そのネタもとは、たぶんこの本
なぜピーターがピーターなのかということも書いてあります。

この本の著者は、日本の大学で英文学を教えているイギリス人神父。オックスフォードで学んだ人で、ありし日のC.S.ルイス教授とトールキン教授を見知っています。学生の目に映った2人はいろいろな面で対照的だったようです。

私にとって、今回の番組の一番のツボは「子供たちからのファンレターに、ルイスは『ナルニアの物語の残りを書くのはあなたです』という返事をした」というところでした。
指輪愛読者からいろいろ訊かれるたびに、「あっ、また質問がきちゃった! いかんいかん」と、延々「終わらざりし物語」を書き続けたトールキン教授。

どこまでも正反対の2人です。
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by foggykaoru | 2006-02-22 20:19 | 児童書関連 | Trackback | Comments(7)

ターキッシュ・ディライト

昨日の続きです。

ルーマニア土産のターキッシュ・ディライト、実はボスニア製だったそうです。。。

さらに、教えていただいたWikipediaの記事を読みに行ってみたら、へええとか、ふうううんと言いたくなることが書いてありました。

まず第一に、このお菓子は、トルコだけではなく、ギリシャ、バルカン、中東、ルーマニアで一般的に食べられている。ボスニア製のをルーマニアで買ったというのは、お土産として正しかったわけです。

その起源は1773年。19世紀に英国人旅行者によってヨーロッパにもたらされ、「ターキッシュ・ディライト」と呼ばれるようになった、と。

このお菓子を発明した天才菓子職人バキル・エフェンディのことをウィリー・ウォンカになぞらえているこの記事の筆者、間違いなく児童文学愛好者ですね。
最後の「In Popular Culture」の項で「ライオンと魔女」に触れていますが、この人が一番書きたかったのはこの項目かもしれない・・・。

さらなる蘊蓄はこれ。
「この菓子のオリジナルのレシピではハシシが使われていたとする考え方がある。このため、『ターキッシュ・ディライト』は、『ハシシのキャンディー』を指す婉曲表現として用いられることがある。」

今日の記事はイグルーさんのネタふりのお陰で書けました。
イグルーさん、どうもありがとうございました♪ 
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by foggykaoru | 2006-02-21 20:28 | 児童書関連 | Trackback | Comments(2)

「世界ふしぎ発見」を見て

この番組、映画とのタイアップ企画のときは予想を超える展開になります。

「二つの塔」のときは、「ローハンの墓所に咲く花は白い」から「ロケ地となったニュージーランドにも白い花がたくさんあります、それはなぜでしょう?」という強引な展開。
「王の帰還」のときなんざ、フランスのブルターニュ紀行でした。「私のための企画か!」と言いたくなるほど、個人的にはツボだったのですが、フランス嫌いのトールキン教授を思うと、ほとんど言語道断だったといえます。

今回の「ライオンと魔女」は、冒頭こそまともにオックスフォードでしたが、2問目からアイルランドに飛んでいったのにはびっくり。
思わず「そうくるか・・・」とつぶやいてしまった。。。

魔女の食べ物がプリンではなく、ターキッシュ・ディライトであるということを、この番組で初めて知った、という人がけっこう多いらしいです。瀬田さんご自身があとがきで正直に書いてるんですけれど。

名前だけは知っていても、どんなお菓子なのかわからないまま年月を経て、私はやがてインターネットなるものに手をそめます。そして、現在は更新が止まっているこのサイトに出会い、「ターキッシュディライトというのはどういうお菓子ですか?」と質問し、答えを得たのが、2000年。

実際にターキッシュディライトを食べたのは、さらにもうちょっと後。

それは私が属している某英国児童文学作家のファンクラブの会合のときのことでした。
会員の1人がルーマニア土産(!)の謎なお菓子を持ってきたのです。いったい何なのだろうとよくよく見ると、英語で「Turkish delight」と書いてありました。持ってきたご本人はかなりのナルニアファンなのですが、それと知らずに買ったのです。気づいたとき、一堂「おお、これがかのプリンなのか!」と感動の声を上げました。
ウキウキして試食してみたら・・・
・・・・・・みんな無口になって、、、

甘いだけじゃん 
この程度のものでたらしこまれたの?
しょせん子供なのねえ・・・

という結論になりました(爆)


ところで、今回のナルニア特集ですが、なんとそのときのメンバーと一緒に見たのです。別にそのためにわざわざ集まったわけではなく、冬のさなか、たまたま集まる機会があり、たまたまその場にテレビがあり、誰かが「そういえば今日はナルニアだ!」と思い出したというわけ。

その集まりに遅れてきた人がひとりいました。
彼女は、あるものを窓ガラスに投げつけるというきわめてランサム的な方法で、自分の到着を知らせようとしました。
でも、中にいる私たちは、テレビに夢中になっていたため、その合図に全く気づかなかったのでした。。。
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by foggykaoru | 2006-02-20 20:24 | 児童書関連 | Trackback(1) | Comments(11)

「さん」と「よん」

前項の続きです。

「本=hon」の前に数をつけると、「bon」とか「pon」になるのがオモシロイ。
特に「さん」と「よん」は、ともに「ん」で終わるのに、「さんbon」「よんhon」になるのが不思議。

では、「さん」と「よん」に他の行で始まる語(正確には「接尾辞」?)をつけるとどうなるか?というのが今日のテーマです。

あらかじめお断りしておきますが、これは私のオリジナルではありません。日本語学ではたぶん語り尽くされた話。この手のことをあれこれ考えるのが好きなので、まとめてみただけのことです。


★ア行
「円」は「さんえん」「えん」
でも「億」の場合は「さんおく」「よんおく」
「位」も「さんい」「よんい」ですねえ。。。

他の数の場合は変化無し。
いちえん、にえん、、、、、、はちえん、きゅうえん、じゅうえん


★カ行
「個」は「さんこ」「よんこ」
「回」も「さんかい」「よんかい」
「軒」は「さんけん」? 「さんげん」? 「向こう三軒両隣」のときは絶対に「さんん」。「よん」は「よんけん」
(「いち」「ろく」「はち」「じゅう」の場合は「いっこ」「ろっこ」「はっこ」「じゅっこ」になる。)


★サ行
「冊」は「さんさつ」「よんさつ」
「艘」も「さんそう」「よんそう」
でも「足(そく」は「さんく」! 「よんそく」
「千」も「さんん」! 「よんせん」
(「いち」「はち」「じゅう」の場合は、「いっさつ」「はっさつ」「じゅっさつ」、だけど「ろく」は「ろくさつ」)


★タ行
「反(たん)」は「さんたん」「よんたん」
「頭(とう)」も「さんとう」「よんとう」
(「いち」「はち」「じゅう」の場合は、「いったん」「はったん」「じゅったん」、だけど「ろく」は「ろくたん」)


★ナ行
「人(にん)」は「さんにん」「にん」になる。「よんにん」ではなくて。
「年(ねん)」も「さんねん」「ねん」
どうやら、「ナ行」で始まる語をつけた場合、「よん」は「よ」になる。

他の数を付けた場合は変化無し。
いちねん、にねん、、、、きゅうねん、じゅうねん。
「1人」「2人」が「ひとり」「ふたり」になるのは別の問題。


★マ行
「枚」は「さんまい」「よんまい」
「面」も「さんめん」「よんめん」


★ラ行
「里」は「さんり」「よんり」

★ヤ行
例を思いつきません。


濁音の場合

★ガ行
「行」は「さんぎょう」「よんぎょう」

★ザ行
「時」と「字」は「さんじ」「じ」
「膳」は「さんぜん」 「よんぜん」ですよね?
「畳(じょう)」は「さんじょう」。「四畳半」は「じょうはん」だけど、「四畳」は「よんじょう」ですよね?・・・「じょう」とも言いそうな気がする。。

★ダ行
「台」は「さんだい」「よんだい」

★バ行
「倍」は「さんばい」「よんばい」


というわけで、比較的はっきりと法則化できそうなのは、
「ナ行の語の前で、3は『さん』のままだが、4は『よ』になる」
ということだけです。

3ねん san nen
4ねん yo nen
「n」が1つ省略されるというのは、自然だし、ありがちな現象だと思います。だからこの場合は、「さんねん」のほうが不思議なのかも。
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by foggykaoru | 2006-02-16 20:30 | バベルの塔 | Trackback | Comments(17)

エルフ語を習い日本語を思う

「指輪物語」の原作者トールキンが作ったエルフ語には「緩音変異」という現象があります。これは、たとえば単語の前に置かれたある音の影響で、語頭の音が変化するというもの。
エルフ語で「友」は「mellon」ですが、定冠詞「i」が付くと「i ○ellon」になる。(○の中が何なのかは、あえて書きません)

これを習ったとき、私は内心のけぞりました。
・・・ったく~、教授ったらぁ。。
多くの言語に習熟し、さまざまな言語学的現象に慣れ親しんでいる人でなければ、こんな複雑な言語作りませんって。

これに近いものとして、日本語には「音便」とよばれる現象があります。
たとえば、棒状のものの単位を表す「本」という語(というより接尾辞?)の前に、数字をつけると、「本」の発音が変わる。

1本=いっぽん
2本=にほん
3本=さんぼん
4本=よんほん
5本=ごほん
6本=ろっぽん
7本=ななほん
8本=はっぽん
9本=きゅうほん
10本=じゅっぽん

日本語を学ぶ外国人が腹を立てるんじゃないかと、かねがね思ってるんですが。

「hon→pon」となるところの共通点は何?
この変化は、「っ」すなわち促音便と共に起こる。
「いち」「はち」は、タ行である「ち」が「っ」になる。なんとなく納得です。
でも、「ろく」「じゅう」が「ろっ」「じゅっ」となるのは、日本語話者としても不思議な感じ。

「3」「4」を付けると、「さんbon」「よんhon」となるのも不思議。
「さん」と「よん」は、ともに「ん」で終わるのに。

「ハ行」で始まる単位を表す語(接尾辞?)としては、「匹」もあります。
これも「さんbiki」「よんhiki」
つまり、「3」のときは「h→b」という変化を起こすのに、「4」では「h」はそのまま。

「発」は「さんpatsu」「よんpatsu」? それとも「よんhatsu」?
「泊」は「さんpaku」「よんpaku」? それとも「よんhaku」?
ああ日本語って難しい。。。。

この話、次回も続きます。

エルフ語を作るとき、トールキンがヒントにしたというウェールズ語の解説はこちら
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by foggykaoru | 2006-02-15 22:56 | バベルの塔 | Trackback(1) | Comments(4)

ゲアリー・ブラックウッド著「シェイクスピアを代筆せよ!」

「シェイクスピアを盗め!」の続編。

軽く読めます。児童文学だし。と決めつけるのはいけないのでしょうが、やっぱりこの軽さは児童文学ならではなのでは。(でも最近は大人の文学も軽いものが多いかな?)

面白いのは間違いないのですが、個人的になんとなく不満が残りました。
それは、著者の責任ではなく、あくまでも私自身の問題。
どうも私は、このシリーズを、物語を楽しむためではなく、英国史を勉強するテキストとして読んでいるらしくて、読めば読むほど、児童文学という形式が邪魔に感じられるようになってきたのです。
だったら、正面切って歴史本を読んだほうが(私には)いい。

新しく登場した謎の人物がちょっと面白かったです。

この本に関する情報はこちら
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by foggykaoru | 2006-02-13 21:04 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)

またまたナルニア(ちょっぴりネタバレ)

先日のパンフで「エドマンドは魔女から『お菓子』をもらう」と書いてあったのが、ずっと気になってました。
まさかプリンのはずはない。けど、原作と違うすごいお菓子なのかしらん?と。
で、一足先にフランスで「ライオンと魔女」をご覧になってきたElfarranさんにうかがってみたところ、原典どおり「ターキッシュディライト」だったそうです。

で、ふと思いました。
魔女の食べ物が、なぜよりによってターキッシュディライトなのか?

ナルニアの敵役の国カロールメンがオスマントルコをイメージしている---少なくとも、読者にそういう印象を与える---ということは明白です。

で、魔女の食べ物が「トルコの喜び」

ルイスがそこまで意識していたかどうかはわかりません。
(これがトールキンだったら、そういう名前も凝りに凝るから、絶対に裏があるだろうけれど。)
たぶん、子供がよく食べるお菓子を登場させただけなのでしょう。。。
でも、ほんのちょっとだけ、意識してたかも・・・?

「アラブが見た十字軍」に書いてあったのですが、アラビア語(トルコ語?)で「ライオン」は「アルスラン」というそうです。
だから何だって言われそうですが、なんとなくアスランに似てます。
というのが無理矢理なフォローです(^^;
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by foggykaoru | 2006-02-07 21:27 | 児童書関連 | Trackback | Comments(22)