<   2006年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

ローマの書店にて

c0025724_23585368.jpg

テルミニ駅構内の書店で。
旅行ガイドの占める割合が非常に高いこの店の、小さい児童書コーナーに「エーミール」が二冊あるとは、さすがリンドグレーン!
と思っていたら、もっとすごい作家がいたのです。
それはトールキン。「指輪」関連書がずらり。さらに「エルフ語」という本さえありました。証拠写真を撮りたかったのですが、レジのそばだったのでやめました(苦笑)
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-30 23:58 | 児童書関連 | Trackback | Comments(16)

「ツバメ号とアマゾン号」読了

c0025724_2014669.jpg

旅行前になんとか読み終わりました。

最後になって何が驚いたって、宴会に出てくるお菓子! イチゴアイスだけじゃなかったのです。謎なお菓子がいっぱい! それと歌。408ページには謎な題名の歌がいっぱい。
それともこれらの謎はすでに解明されているのでしょうか?

今回は初めて携帯からのポストです。うまくいくかな?
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-27 20:01 | 児童書関連 | Trackback | Comments(12)

小池滋著「ロンドン---世界の都市の物語」(文春文庫)

私は西洋史好きだが、専門書を読んで楽しめるほどの域には達していない。
その道の権威が、肩の力を抜いて、素人向きに、自分も楽しみつつ、縦横無尽に語ってくれるという感じの本が好き。
この本は、その好例。


著者は言う。
「普通の旅行は場所中心。それを人物中心にしてみよう」と。

たとえば、ロンドンに観光旅行に行ったら、有名スポットを廻ることになる。ロンドン塔、大英博物館、バッキンガム宮殿、エトセトラ。
それらのスポットができた時代、歴史上注目された時代、それらに関連するエピソードを脈絡無く追うのが「場所中心の旅行」。

それに対して、ある人物中心に、その人が実際に住んだ場所、歩いた場所を追うのが「人物中心の旅」。
なあんだ、それはつまり「ランサム・サガ聖地巡礼」と同じようなことじゃないか。そういう旅が面白いのは言われなくても知っている。

で、最初に登場するのがフォルスタッフ。
あーこの間シェイクスピアの解説本を読んだばかりなんだけど、彼が出てくるお芝居、やっぱり一度は見ておかなくちゃいけませんかねえ。

面白かったのはディケンズ関連の章。
この著者はディケンズの訳書をたくさん手がけているのだそうだが、さすがという感じ。読んでみたくなった。

その次のマルクス関連の章も面白い。
ソーホーのぼろっちくて狭いアパート住まいだった彼の彼の生活を激変させたのはお金持ちの親戚が残してくれた遺産だった。実際には労働なんかしたことがない彼がこねくりまわした思想に、その後の世界が100年近く振り回され続けたんだなあ。

また、著者は鉄道マニアでもあるということで。
ロンドンには(他のヨーロッパの大都市の多くと同様)「中央駅」とか「ロンドン駅」は無いのだが、これは鉄道網が民間によって敷かれたためなのだそうだ。郊外から都心に向かう路線はどれも、中央には達することができなくて、その周辺にターミナルが作られ、後になってできた地下鉄がそれらを結ぶようになった。でも、いまだに地下鉄に接続していないターミナルがあるのだとか。それはフェンチャーチ・ストリート駅。
慌ててロンドンのガイドブックの地図を広げてみた。ロンドン塔の目と鼻の先にそんな駅があるなんて知らなかった!

地図といえば、この本は地図がいまいち、いまに、いまさん。
もうちょっとなんとかならんかね。


この本に関する情報はこちら
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-24 20:50 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(0)

澤地久枝著「石川節子---愛の永遠を信じたく候」(文春文庫)

かの啄木の妻・節子の伝記。
まるで不幸になるために結婚したようなものだと、かねがね思っていたけれど、そのとおりだった。

娘全員をミッション系の女学校にやれるほど裕福で見識ある家庭に育った彼女は、伴侶によっては幸せにもなれる人だった。
一方、啄木のほうは、不幸になるべくしてなったのだと思う。(啄木ファンには申し訳ないが)

とはいえ、啄木にも気の毒なところはあった。
実家の零落が彼の人生のスタート時に影を投げかけたということは知っていたが、それが祝言の直前だったというのは知らなかった。
たったの19歳である。両親の扶養というとんでもない重荷がのしかかってきて、これに加えて妻まで養うなんて冗談じゃない!と、ビビってしまい、結婚から逃げ出そうとしたふしがあるのだそうな。

でも、啄木は素直な自分の気持ちを節子に伝えることはなかった。一生を通じて。ええかっこしいで。
さらに、勤勉ではなく(仕事を得てもすぐにサボる)、すぐに人にすがって借金をする。女遊びにうつつを抜かして、生活費の送金も怠るし。それでもってかなりのマザコン。
はっきり言って、亭主としてはサイテーである。

でも、これだけ借金できたというのは、援助する人がたくさんいたということで、これはとりもなおさず、啄木が魅力的だったということなのではないかと思う。
いわゆる「人たらし」だったんじゃないかしら。

単身赴任状態のときの放蕩生活を赤裸々に綴った日記を、啄木は焼き捨てろと言い残した。しかし、節子はそれを読んだ上で保管した。
それはなぜか。
まず第一に、たった7年の間にこれ以上無いというほどの苦労をし尽くして、「惚れたはれた」を超越してしまったということがあろう。「私があんなに苦労していたときに、生活費も送らないでこんなことをしていたのね、悔しいっ! キーッ!!」というレベルはとうの昔に卒業していたのだろう。
でも、それだけではないと思う。
ポイントは「知性」である。
亭主としての啄木ではなく、彼の才能を愛していたからなのだ。

そもそも、2人を結びつけたのは文学への情熱。
今から100年以上前、義務教育すら定着していない時代に、文学を語り合う友を見つけたのだ。

好きな本について語り合える友というのは貴重である。最高の友と言ってもいい。
しかもその友が、同い年の異性だったのだ。
思春期にそういう相手に出合ってしまったが最後、惚れるなと言っても無理というもの。

そういうふうに愛した人の書き残したものは宝である。
たとえそこに自分への裏切りが書きつづられていようと。

いろいろな意味において、もしも節子がいなかったら啄木はなかっただろうと思った。


この本に関する情報はこちら
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-24 20:07 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(12)

日本のコニストンに行ってきました

c0025724_18423411.jpg梅雨末期の豪雨をついて、ARC恒例のキャンプに行ってきました。

イングランド北部ならぬ本州北部の某所に、南北に細長い湖があるのですが、そのほとりに、自然を極力破壊しないようにという配慮のもとに作られた、とても素敵なキャンプ場があります。

私自身は今回で3度目のキャンプですが、ARCとしてここにお世話になっているのは、(よくわからないけれど)少なくとも10年くらい前からなのではないかと思います。

今回、このキャンプ場を発見したご本人から、そのときのいきさつをうかがったので、ここにご紹介します。

とりあえず、「湖畔にある、直火OKのキャンプ場」を探したのだそうです。
そして、このキャンプ場を見つけて、「近くにヨットを借りられるところはありますか?」と問い合わせたところ、

「ヨットならうちにあります」


c0025724_19184742.jpgしかも、このディンギイ、キャンプ場のオーナーさんの愛艇(←こんな言葉あるの?)というわけではなく、キャンパーが持ち込んで、そのまま置いていったものなので、ほんとうにただ置いてあるだけだったのだそうです。つまり、使い放題乗り放題ということ。

このキャンプ場の凄いところは、それだけではありません。

対岸に目をやれば、カンチェンジュンガが堂々たるその雄姿を見せていますし、さらに、この湖には島もいくつかあるのですが、その中の1つがヤマネコ島なのです。なにしろその島には「隠された港」があるのですよ!(2枚目の写真の、水中に没した木立の向こう側に見えるのがヤマネコ島)

これはまさしく私たちのためのキャンプ場だ!

というわけで、夏になるとランサマイトたちは北を目指すのです。

c0025724_1925284.jpg今年は豪雨の影響で、湖の水位が過去最高かもしれないと言われるほど上がっていました。
ふだん私たちがテントを張る場所が水没していたこともあり、参加者のほとんどがバンガロー泊になり、また、「自分たちの手で石を組んでかまどを作る」という一大ポリシーも、大雨の前には曲げざるを得ず、土人キャンパーたちの使う、屋根付きのおしきせのかまどを使うことを余儀なくされました。

それでも、雨の合間に帆走できたし---正確に言うと、帆走できる人にディンギイに乗せてもらえたということです---、手漕ぎボートで出かけ、水かさが増したことによって普段とは様相を一変させた湖の探険をすることができました。(3枚目の写真は、ヤマネコ島の隠された港で休憩する探検家たち)

「雨プロ」として素晴らしい企画だったのは「バウムクーヘン作り」。
「こんなにいぶされてたら、薫製になってしまうのではないか」と心配したのですが、4時間かけて焼き上げたそのお味はなかなかのものでした。
c0025724_20181233.jpg

「あらしの後にはおかゆでキマリ」と言い合いながら食べたオートミールも格別だったし。

身も心も十二分に幸せを味わったキャンプでした。


・COOTさんによる探検家なリポートはこちら
・KIKIさんによるロジャなリポートはこちら
・Titmouseさんによるティティ気分の水位&景色の比較リポートはこちら


・日本のコニストンでの「長い冬休み」はこちら
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-18 20:23 | ほんとうの生活 | Trackback(2) | Comments(20)

ジョンが参考にした本とは

スキンを変えました。気分はすっかりアドリア海♪

「ツバメ号とアマゾン号」を読み始めて、はや半月。
とにかくのろのろ読んでます。
時には声に出して読むときも。
そうすると、すでによく知っていたはずの場面にも、意外な発見があります。

たとえば、釣りの場面の描写の詳細なことと言ったら!
いえ、詳細だということは重々承知していたんですですけどね。
けれど、ここまでとは思いませんんでした。
きっと釣り好きにはたまらないんだろうな。

ランサムは詳細なだけが取り柄かというと、決してそうではない、と私はかねがね思っているのですが、次の部分なんかもその良い例です。

蒸気船もランチもヨットも、ボートさえも、みんなツバメ号よりずっと大きかったので、土人の船だときめられた。ツバメ号とおなじくらいの大きさの船が、ダリエン岬のかなたからあらわれて、屋形船湾へ姿を消すのが見えたのは、島の生活も三日目になってからだった。

これは第七章「続島の生活」の一番最後の部分。
楽しいけれど平穏な島の生活の描写の後に、いよいよ事件が起こるわけですが、この文章はその予告編。章の最後にこういう文章があるのと無いのとでは、次の章への弾みが全く違います。しかも、船の大きさのことに言及したついでのような、実に自然な流れ。
こういうのをさらっと書けてしまうところが、ランサムが熟練の物書きである証拠だとつくづく思います。

今日読んだのは、第十七章「順風」。(旅に出る前に読み終わろうと思って、少しペースを上げてます)
ここを読んでいて、1つ疑問が湧きました。

「海戦ではね。」と、ジョンはある有名な本を思いだしながらいった。「二つのことが大切なんだ。つまり、じぶんたちのやりたいことを確実につかんでいること、そして、それを、敵がぜんぜん予期していない方法で実行することなんだ。」

この「ある有名な本」というのは何なのでしょう?
ネルソン提督あたりが書いた本?
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-13 21:28 | 児童書関連 | Trackback | Comments(5)

阿刀田高著「コーランを知っていますか」

ここのところ、旅行ガイドブック解読に忙しかったのに加え、帰宅後も宿題(=仕事)をすることが非常に多かったのですが、ようやくその目鼻がつきました。これからはまともな読書をする時間が増えそうです。

阿刀田氏の蘊蓄エッセイ、読み過ぎてちょっと飽きてきたのかなあと、「シェイクスピア」を読んだときに思ったのですが、この本はよかったです。

話にだけはよく聞くコーランというのは、いったいどういうものなのか。それを要領よく説明してくれています。しかも、下手をすれば「アラーの神に対する不敬罪?」みたいなことも、ユーモアというオブラートに包んで上手に書いてある。

「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の信者はみな「聖典の民」だと言われます。根っこは同じ、とか。それが実によくわかります。前二者から見たらイスラム教は(悪く言うと)「パクリ」そのものなのです。

西洋史関連書を読んでいると、「イスラムの支配下では、他宗教に寛容だった」という話がしょっちゅう出てきますが、コーランに「一神教は我々の仲間なんですよ」と書いてあるんだから、寛容なのは当たり前のことだったのだと納得。

それに対して、キリスト教、特にローマカトリックは「ニケーアの宗教会議」だかなんだかで、神学論争やって、アリウス派が異端とされた、、、、とかいうことを高校の世界史の授業で教わるくらい、部外者にはちんぷんかんぷんの細かいことに関して目くじら立てて、「異端だ!けしからん!」とやってきたわけで。
そういう体質というか伝統があるから、キリスト教徒は十字軍やら何やらのたびに、異教徒は人にあらず的な態度をとってきたのでしょう。

以上、キリスト教って了見が狭くて嫌ね、という点でした。

でも、キリスト教のほうがいいなと思うこともあります。
それは、女性の扱いです。

コーランには「女性よりも男性のほうが偉い」と明記されている。(そして、だから男性が女性を守らなければいけない、となる)

キリスト教のほうは、教会の発展とともに、原始キリスト教の時代には男性並みの地位を与えられていた女性がおとしめられ、福音書もそれに沿ったものだけが採用され、今の聖書になっていったのだけれど(←このあたり、「ダ・ヴィンチ・コード」ネタです)、少なくとも「男のほうが偉い」と「明記」はしていない。
陰でそう思っていても、書いてはいない。

この違いは大きいです。

その昔、フランスに短期留学したときに、イスラム諸国の人々と知り合いました。
イスラムの男性たちには、いつもなんとな見下されているような感じがして、いい気分ではありませんでした。そのことをイスラムの女性に話したら、彼女は大きくうなずき、「そうなのよ、イスラムの男性は威張っていて、女性を見下しているのよ」と。

レディーファーストの欧米文化というのも、「女性は弱いから大切にしなくては」ということからきているのであって、男女平等の思想とは相容れないと言われますが、「男性のほうが強くて上」と思ってはいても、それは陰に隠れているのですよね。

どちらがいいとか悪いとかいうことではありません。
一定期間、滞在したり旅行するなら、女性にとって居心地がいいのはイスラム圏よりもキリスト教圏。そして、その根本原因は聖典の記述の違いなのではないかな、と改めて思ったのです。

この本に関する情報はこちら
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-10 22:23 | エッセイ | Trackback | Comments(6)

伝書バトとツバメ号

帰宅して、なんとなくNHK教育テレビをつけたら、「戦場の伝書バト---第二次世界大戦下の欧州で極秘任務を負って飛んだ伝書バトの戦い」という番組をやっていて、夕ご飯そっちのけで見入ってしまいました・・・というのは前振りでして。

7月1日から、ネット上の某所でランサム好きが「いっせーのせ!」と「ツバメ号とアマゾン号」を読み始めています。1日1章ずつ。このところ読書ペースが落ちているけれど、1章ずつなら軽いと思って、参加することにしました。

やってみたら、この、のろのろちびちび読むというのが、またなんともいいのです。本来、ランサム・サガはこのペースで読むべきものなのかもしれない、、とさえ思うほど。

また、いつも斜め読みですませていた章の最初の詩の抜粋を、縦にちゃんと読むのは初めてのような気がしてます(自爆)

今まで読んだ範囲内で、琴線にふれた部分をご紹介します。
はじめ、船はすこしも音をたてなかったし、航跡もほとんど残さなかった。けれども、入江の北側の岬をはなれきってしまうと、風をちょっと強く受けて、船首の波切りの下では、波がざあざあと気もちのよい音をたてはじめ、それといっしょに、船尾では、航跡が長く、あわだちはじめた。(第三章「島への航海」より)

こういう部分にドキッとしたのは今回が初めてです。
「ランサム・サガがヨットの話だと思ったことはない」と口走って(だってだって、キャンプの話だと思っていたんだもん!)、大ヒンシュクを買ったことがある私です。それほど船感度が鈍かったのが、昨年あたりからヨットに乗せていただく機会に恵まれたお陰で、ちょっと変わってきたのかもしれません。

あと、ランサムって癒し効果絶大だなあと実感中。

ストレスフルな日々をお過ごしの皆さま、寝酒代わりにランサムを1章読みましょう!
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-05 21:42 | 児童書関連 | Trackback | Comments(10)

阿刀田高著「シェイクスピアを楽しむために」

阿刀田高氏の蘊蓄エッセイは「旧約聖書を知っていますか」を読んで以来、贔屓にしていて、「ギリシャ神話を知っていますか」「アラビアンナイトを楽しむために」「あなたの知らないガリバー旅行記」「楽しい古事記」を読みました。
今のところ、「旧約聖書を・・・」を越えるものはないのですが。

この本でとりあげられているシェイクスピアの作品は以下のとおり。( )内はその作品と私のなじみ度です。

(1)ハムレット(きちんと芝居を見たことがある。けっこう好き)
(2)ロミオとジュリエット(きちんと芝居を見た記憶はないが、わりと正確に筋書きを知っている)
(3)オセロ(オーソン・ウェルズ主演の映画を見た。面白かった)
(4)真夏の夜の夢(きちんと芝居を見たことがある)
(5)ベニスの商人(なんとなく知っている)
(6)ジュリアス・シーザー(シーザーがブルータスに暗殺される話だということを知っている)
(7)ヘンリー四世(題名を知っているのみ)
(8)ウィンザーの陽気な女房たち(題名とフォルスタッフという登場人物名を知っているのみ)
(9)リチャード三世(きちんと芝居を見たことがある。面白かった)
(10)マクベス(映画で見た。戯曲も読んだ。けっこうお気に入り)
(11)リア王(戯曲を読んだ。わけがわからなかった)

解説として楽しく読めたのは(1)(2)(6)(9)(10)
(6)以外はもともと内容を知っているものばかり。

逆にあまり面白くなかったのは(4)(7)(8)(11)
4つのうち2つが内容を知らない(7)(8)です。

ということで、この本はシェイクスピアの作品を知らない人のための入門書としては、あまり高い点はつけられないかも、「ちょっと知っている」程度の人に向いているかも、、、というのが私の結論。

ところで、阿刀田氏はフランス文学畑の人なので、フランスとは関係ないエッセイの中で、フランス文学のことを引き合いに出して説明することがあるのですが、私にとってはそのあたりが参考になって興味深いのです。

今回もフランスの古典劇の「三・一致の法則」を取り上げています。
これは、劇というのは
・24時間以内の出来事でなくてはならない
・1つの場所で起きた出来事でなくてはならない
・筋は1つでなければならない
という、なんとも小うるさい決まりなのですが、シェイクスピア劇はもちろんそのどれも満たしていない。
特に、最後の「筋は1つ」というところ。シェイクスピア劇というのは、本筋とはあまり関係無い話があっちこっちに入っている。
でも、それもまたシェイクスピアの魅力。

この「三・一致の法則」、以前から一応は知っていたのですが、今回この本を読んでしみじみ思いました。
フランス古典劇とシェイクスピア劇の違いは、フランス式庭園と英国式庭園の違いなのだな、と。

ごちゃごちゃしたシェイクスピア劇は、自然のあるがままの美しさを尊重するイングリッシュ・ガーデンなのです。


一番面白く読めたのが、著者がストラットフォード・アポン・エイボンとロンドンのグローブ座を訪れたときの紀行文だったのは、私が旅好きのせいなのでしょうか・・・。


この本に関する情報は
こちら
[PR]

by foggykaoru | 2006-07-02 18:24 | エッセイ | Trackback | Comments(6)