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アフリカにょろり旅

友人が貸してくれました。

「にょろり」というタイトルにドキドキしてしまったが、ウナギのことだった。
著者は青山潤という人。東大海洋研究所所属の研究者である。海外青年協力隊あがりの彼が、アフリカにウナギを探しに行く旅である。

とても読みやすい。
けれどとにかくハードな旅です。

「このあたりで見つかったらしい」という情報だけを頼りに、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエを走り回る。
いつ、どこで出会えるとも知れないのだから、限りある研究費をできるだけもたせなければならない。
よって、移動は公共の交通機関つまりバス、そして宿泊するのは安宿である。
趣味のバックパッカーだって、このあたりは楽に旅できるところではない。
さらに「ウナギを見つけなくてはならない」という使命に縛られているのだ。(特にモザンビークはシャレにならないほど物騒で、使命感がなかったら行けるところではない。)
まさに命を削りながらの旅。

そこまでやって、得られるものは何か。
「謎を解明した」ということで、達成感は得られる。
その専門領域における名声も。「ウナギの研究に関して世界でトップレベルの研究チームの一員」という名声である。
でも、金銭的には何もない。

世の中にはこういう人たちがいて、命をかけて世界の真理を追求している。

尊い仕事だと思います。
でも、もしも自分が著者の親だったら、「お願いだからやめて」と泣いて頼むかも。
そこまでしなくても、少なくとも、溜息をつくだろう。「なんでこの子はこんなふうになってしまったのだろう」と。

そういえば、以前高地考古学者の本を読んだときも同じようなことを感じたのでした。

そういう人たちが頑張っているのに、私を含めてほとんどの人は、のうのうとお茶飲みながらテレビを見ているだけ。
いやー、ほんと、いつもどうもすいません。


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by foggykaoru | 2008-10-29 20:10 | ルポ・ノンフィクション | Trackback | Comments(8)

博物学研究室でのお茶会

c0025724_19525143.jpg日曜日の昼下がり、某大学の研究室にて美味しい紅茶をごちそうになりました。
牛乳がなかったのでホットラムでしたが(^^;

なんとオリエント・エクスプレスのカップ&ソーサーです♪

で、なぜかシャミナードの歌曲の楽譜もあったりして。
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by foggykaoru | 2008-10-27 19:57 | ちょっとおでかけ | Trackback | Comments(17)

ケルト第三弾: 北アイルランド

タイトルは『北アイルランド「ケルト」紀行--アルスターを歩く』

このケルト紀行シリーズ、アイルランド編はないのです。これは北アイルランド。
あえてケルトの王道であるアイルランドははずしているのでしょう。
で、この北アイルランド編ですが、どうしてもケルトだけではなく、現在のアイルランド問題が浮き彫りになってきてしまいます。
それが悪いとは言わないけれど、のんびりと「ああいいな、行ってみたいな」という気分にはなりにくい。

ちなみに、アルスターというのは現在の北アイルランドよりも大きい地域をさすのだそうです。
つまり
アルスター>北アイルランド


以下は覚えておかなくちゃと思ったこと。

アイルランド問題というと、カトリックかプロテスタントかという話題になってしまうけれど、プロテスタントの中にもいろいろあって、国教会派でないプロテスタント(たとえば長老派)は迫害されたんだそうです。
スコットランドからアルスターに渡ってきた人々(=スコッチ・アイリッシュ)が迫害されて、さらにアメリカに渡ったというケースがけっこうある。

アイリッシュの米大統領で有名なのはケネディー。
ニクソンとレーガンもアイリッシュだが、カトリックはケネディーだけ。

でも、スコッチ・アイリッシュにまで範囲を広げると、なんとさらに13人もいる。
モンロー主義のモンロー、原爆投下を決めたトルーマン、アイゼンハワーとかクリントンとか。
彼らの先祖はみんなアルスター出身。
みんながみんな、迫害されて新大陸に渡ったわけでもないだろうけれど、こんなに狭い地域の中から、こんなに輩出しているなんてすごい。


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by foggykaoru | 2008-10-24 20:29 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)

ティティカカ湖のタキーレ島

c0025724_1035314.jpg良い天気だったし、ほんとうに素敵なところだったんです。
元気だったらどんなに感動したことか(涙)

タキーレ島から湖を望んだ写真を1枚選ぶとしたら、これではなかったということなんです。
選ばれた写真はメインサイトに連載中のペルー旅行記にあります。
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by foggykaoru | 2008-10-19 10:34 | メインサイトのボツ写真 | Trackback | Comments(0)

北洋船団女ドクター航海記

ランサム掲示板で話題になっていた本。先日、映画の試写会のために神保町に行ったとき、ふらっと入った古本屋で偶然見つけて、迷わず購入しました。

タイトルどおり、北洋船団の船医になった田村京子さんという女性の体験記。
昭和57年、男ばかりの遠洋漁業の世界に、一人で飛びこんでいったのです。もちろん日本初の壮挙。

田村ドクター、なかなか魅力的な人です。この人が男だったらさぞかしモテたことでしょう。
その上、内容的に興味深いことばかり。つまらない本になるはずはない。
とはいえ、ただあったことを書いたってそうそう面白い本にはならないのだけれど、この人、なかなか筆が立つんです。どなたにもお薦め。

読み終わってから何日かたっているので、細かいことは忘れてしまったのだけれど、「航海の前半は陸地から持ってきたウィルスのせいで風邪が多く、後半はストレスがたまってきて胃腸障害が増える」というところに「へえええ」。
石油高騰のせいで、漁船がストライキをしたりする昨今ですが、この本を読んでも漁業の大変さは伝わってきます。
魚は高くてもしかたがないんだろうなあ。
でも高いから買わなくなっちゃうんですが。

いちばん興味深かったのは、この本を大絶賛していたSさんが、なんとなーく田村ドクターに似ているような気がしたこと。
もしも彼女がお医者さんで、「船医になる人はいないか」と言われたら、きっと即座に手をあげるんじゃないかと思うんですよね。


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ユーズドでしか入手できません。
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by foggykaoru | 2008-10-18 20:13 | その他のジャンルの本 | Trackback | Comments(4)

ケルト紀行を読んでアンに思いをはせる

ケルト関連の本を2冊読んで、いちばんのツボだったのが、実は「アン」関連のネタでして。アンと言ってもブーリンではなくてシャーリー。つまり「赤毛のアン」です。

「赤毛のアン」の舞台であるプリンス・エドワード島がノヴァ・スコシャ(=ニュー・スコットランド)という地方に属することは知っていました。
スコットランドは中央集権化が進まず、各地方にクラン(族)があって群雄割拠状態だったということも知っていました。

で、「スコットランド紀行」によると、クランの中でも強力だったのがマクドナルド家。
ルイス島も(マクギンティではなく)マクドナルドが支配していました。


「イングランド紀行」にはスコットランドのこともちょこっと書いてあり、それによると、エジンバラのちょっと南にリンディスファーンという島がある。
この島は「聖なる島」と呼ばれ、その昔、有名な修道院があった。
この修道院にいた有名な聖人が聖カスバート!! Cuthbertなんです。
これはマシューとマリラの苗字です。
村岡花子さんの「クスバート」になじんだ人にはぴんとこないかもしれないけれど。

松本侑子さんの研究によると、
「アン」という名前は聖母マリアの母である「聖アンナ」
「マリラ」は「聖母マリア」
「マシュー」は「聖マタイ」
ということで、この3人は「聖家族」を象徴しているのだそうです。

でもきっと、ファーストネームだけではなく、苗字にもキリスト教的な意味がこめられていたのです。(深く考えずになんとなくカスバートという苗字を選んだという可能性もゼロではないけれど。)

そして、モンゴメリの夫はマクドナルド牧師。つまりスコットランド系。
モンゴメリ自身もきっとスコットランド系であるはず。

「赤毛のアン」にはスコットランド移民の物語であり、スコットランドのキリスト教徒の宗教感が込められている。(スコットランドの人々が新大陸に渡ったのは、「クリアランス」と呼ばれる、イングランドによる陰険な「追い出し政策」のせいである、ということも初めて知りました。)

スコットランドのキリスト教というのは大勢としては非カトリック。
節約・勤勉を旨とする。

アンの周囲の人たちって、ほんとに倹約家で働き者だったなあ・・・
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by foggykaoru | 2008-10-16 21:40 | 児童書関連 | Trackback(1) | Comments(2)

ケルト第二弾: イングランド

先日読んだスコットランドのケルトの本がよかったので、同じ著者のケルトシリーズを買いまくりました。

第二弾は『イングランド「ケルト」紀行―アルビオンを歩く』
これはシリーズとしては後の方に出た本ですが、ユーズドでしか入手できない他の本と違い、これだけは新品の在庫があったのです。注文した翌日に届いたのに驚いて、つい順序を狂わせてしまいました。

まず「はじめに」が面白い。
専門家の中には「ケルト」というくくりを否定する人も少なくないという話と、「ケルト」というくくりで旅している著者が「でもぼくは素人だから許してね」と言い訳している文章。
うんうん、私も素人だから許します♪

そして旅行記が始まります。
ところがこれが、なんとなく最初がもたついている。
あとがきによると、著者自身、イングランドでケルトの旅ができるとは思っていなかったのが、だんだん途中からノッてきたのだそうですが、まさにそんな感じ。
読んでいるほうもだんだんとノッてきて、そのうちにイングランドの田舎にあるケルトの遺産をめぐる旅をしてみたくてしょうがなくなります。

マン島、北イングランド、ノリッジ、ウォルトン・・・というラインナップを見ると、「おおっ!」と身を乗り出したくなりますが、この旅はあくまでもケルトの旅。湖水地方も、ノーフォークの沼も、ひみつの海も無関係なので、期待しないように(笑)

後半はアーサー王でおなじみのスポットのオンパレード。
快調に読みすすんで最後はシリー諸島の登場です。
数あるアヴァロンの候補地のひとつとしてですが。

ちょっとツボだったのは
・(エクスカリバーをはじめ)「ケルト」の世界ではたいせつなものを水に帰す傾向が強い
・テムズは聖なる川だった
というところ。

ウィルの実家はテムズ谷だっけなあと思って、「光の六つのしるし」の大洪水のシーンが頭に浮かんだだけなんですけれど。


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by foggykaoru | 2008-10-15 21:00 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(2)

「宮廷画家ゴヤは見た」観ました。

どう考えても「家政婦は見た」を狙っている邦題ですが、実際そういう内容ではあります。
でもねえ。もうちょっとなんとかならなかったのかしら。

高校の世界史の授業で、スペインという国は、レコンキスタ、そして大航海時代のいっときスポットが当たり、そのあとは第二次世界大戦中に「スペイン内戦」というものがありました、、、とだけ習っておしまいです。

というわけで、観たあとでにわか勉強しました。以下はそのまとめ。

ゴヤ(1754~1828年)が活躍したのはフランスが革命で大騒ぎしている時代のスペイン。
スペインの悲劇というのはハプスブルク家のカルロス1世(=神聖ローマ皇帝カルロス5世)以来ずっと、スペインにまったく興味のない国王たちに治められたことにある、とどこかで読みました。ゴヤ関係をちょこっと調べてみたところ、実際、内政はまったく顧みられなくて、一般のスペイン国民にとってほんとうに権威があるのはカトリック教会だけだったらしい。

で、スペインの教会は、他の国では中世で終りになった「異端審問」をずーっとやっていたんだそうです。
というわけで、ナタリー・ポートマン(←こないだはアン・ブーリンだった(苦笑))演じる美しい娘がいきなり呼び出されて、生き地獄に送り込まれるのです。

そうこうしているうちにフランスで国王がギロチンにかけられたんですってさ、うわー大変!!と言っていたら、なんとナポレオン軍が攻めてくる。
スペインにおけるナポレオン戦争というのは1808年から1814年まで、6年も続いたんですね。。。知らなかった・・

でもナポレオンの野望はイギリス軍(正確にはポルトガルとの連合軍)によってくじかれる。
王室が復権する。
もともと人気があったわけじゃないのに、フランスが出て行ったということで国民は大喜び。
カトリック教会も復権する。
イギリスのおかげで。

面白いなあ。
レコンキスタ以降、カトリックの一大拠点であったスペインが、カトリックに喧嘩売って出て行ったイギリスに助けてもらうんです。

まあ、当時のヨーロッパでは、ナポレオンは悪魔ですから。
無能な国王だろうが、強権ふりかざす教会だろうが、ナポレオンよりはましってことなのでしょう。

でも、ナポレオンにもチャンスはあったらしい。
彼の失敗は、「スペインなんてフランスの属国みたいなもんだ」と馬鹿にしてかかったことなのだそうです。そのへん、兵士たちに「今、われわれの眼の前には4000(だったかな?)年の歴史がある」と語ったというエジプトとは正反対。もうちょっとうまくやったら、王室に対する失望感を抱いていたスペイン人が少なくなかった---ゴヤもその一人だったらしい---のだから、もうちょっとなんとかなっただろう、と手元の本に書いてありました。

スペインはフランスのことが好きではなくて、むしろイギリスに好意的だということも聞いたことがあります。
確かスペインは、イラクの多国籍軍(実質的には米英連合軍)にも、ヨーロッパの他の国々よりも積極的にかかわっていたんじゃなかったでしょうか。
そのへんの根っこはナポレオンに対する恨みにあるのかも。
そのあたりもエジプトとは正反対。エジプトは今もけっこうフランス好きです。ぶんどられたオベリスクが今もパリのコンコルド広場にあるというのに。(単にイギリスが嫌いだからその敵だったフランスが好き、ということかもしれないけれど。)


日本のWikipediaによると、異端審問がいくらスペインで長く続いたとはいえ、18世紀末にはそれほど行われていなかったらしいです。
でも、まったくなくなっていたわけではない。
ゴヤ自身もちょっと危ないときがあったとか。
でもナタリーみたいなお嬢さんがあんな目に遭うというのは、時代的にはあまり合っていないのかも。

ですが、ついでにスタッフやキャストのことも調べてみたら、監督のミロス・フォアマンと、ナタリー・ポートマンはユダヤ人なのでした。
だからこういう映画を作ったんだ、と決めつけてはいけないかもしれないけれど、そう思いたくなります。

この映画は傑作です。
「ブーリン家の姉妹」よりずっと上質。なにしろあれは「大奥」ですから・・・
でも、日本で受けるのは、断然「ブーリン家」のほうでしょう。

キリスト教国では議論が巻き起こったり、忌避する人が少なくないかも。
そのぐらい、キツイ内容を含んでいます。


この映画の公式サイトはこちら
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by foggykaoru | 2008-10-13 19:11 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(8)

フランスと歌が好きな人へ

世にフランス好きは多くても、「フランス語で歌うコンテスト」の存在を知っている人はそう多くないことでしょう。

お誘いがあったので、ちょっと覗いてみたのですが、いやー驚いた。
フランス好きの歌自慢のおやじが日本にこんなにいるとは!

数としては女性の出場者のほうが多くて、最初のうちは「お、この程度だったら私も挑戦してみようかな」なあんて思っていたのですが、おやじたちが登場すると、こっ、これはレベルが違う・・・!!
歌がうまいのは言うまでもなく、フランス語の発音・滑舌が完璧! うなりました。

優勝者はもちろん男性でした。
北海道の、なんと尺八の先生。

このコンテスト、敷居が低めなわりに、優勝賞品が「パリ・東京往復航空券」と超豪華。
来年もおやじたちが頑張るのかな。
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by foggykaoru | 2008-10-12 09:39 | ちょっとおでかけ | Trackback | Comments(0)

ひとつの情報に頼ってはいけない

しつこくてすいません。
初めての方にお断りしておきますが、このポストは3本連載の最終章です。
第一弾はこれ、次はこれ


* * * * * * * * * *
日本語版Wikipedia に「アン・ブーリンはフランス王妃クロードの侍女だった」と書いてあったので、ついでに「クロード・ド・フランス」を調べてみたら、食い違いを発見。

以下は「クロード・ド・フランス」の項目内にあった、アンに関する記述です。

1514年に夫フランソワ1世が即位したのと同じ頃、クロードの侍女に2人のイングランド人姉妹がいた。メアリー・ブーリンとアン・ブーリンである。メアリーは1519年に帰国するとヘンリー8世の愛妾となった。1520年頃には、アンはクロードの通訳として仕えていた。
また、クロードの妹ルネ(フェラーラ公エルコレ2世妃となる)のよい話し相手でもあった。彼女も1521年に帰国し、姉と同じく愛妾となり、やがてはイングランド王妃となる。

21年に帰国してしまったら、国王フランソワの母である摂政ルイーズの活躍を見る機会なんてないじゃないか! (注: ルイーズは1515年にもちょこっと摂政をやってますが。)


というわけで、もっと信頼のおけるところ、つまりイギリス版Wikipedia でAnne Boleynを検索してみると・・・

生年不明。1507年とも1501年とも言われるが、01年のほうが有力っぽい。
彼女にはメアリーという姉妹がいるが、どちらが年長だったかはわからない。メアリーのほうが姉だという説のほうが有力。
最初はフランス王妃アンヌ(クロードの母。1514年死去)の侍女だった。その次に王妃クロードの侍女になる。
21年に父に呼び戻されて帰国。
それほど美人ではなかったが、ダンスが上手で会話が面白く、非常に魅力的で、カリスマ性があり、男を引き付ける手管にたけていた。
ヘンリー8世に目をつけられて言い寄られても、「愛人じゃあいやよ、あなたの奥さんになりたいの」と言って拒絶し続けた。
32年、ついに彼を受け入れ、妊娠する。
正式に結婚していないと、生まれた子供は庶子になってしまい、もしも男子であっても後継ぎにできないので、ヘンリーは無理やり王妃キャサリンを離婚し、アンと結婚する。
なのに生まれたのはエリザベスだった・・・
ヘンリーはアンのきつさ、鋭い舌鋒に辟易し、夫婦関係は冷えていく・・・


以下は私の感想。


もしもアンが「奥さんじゃなくちゃいやよ」と言わなかったら、ヘンリーはすぐに彼女を手に入れることができたのだろう。
そしたらもっと早く子供が生まれて、それが男子だったかも。
でもそれは庶子だから国王にはなれない。

いつまでたっても男子後継者ができないことに対する焦りがヘンリーの側につのりにつのったのは、アンが引っ張ったせい。
だからこそ、ローマ教会からの離脱という荒技に走ることになったのだろう。

ではなぜアンは「奥さんじゃなくちゃいやよ」と言ったのか?
単にもともと上昇志向が強かった? 

さんざん引っ張っといて、つまんない結論ですいません。。。
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by foggykaoru | 2008-10-11 07:41 | 西洋史関連 | Trackback(1) | Comments(15)