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沢木耕太郎著「深夜特急」

今やすっかり忘れ去られてしまった猿岩石の「香港→ロンドンヒッチハイク」。私はあれを第1回から最終回まで(自分の旅行中以外)全部見た。実は飛行機を使っていたとか大騒ぎになったときには「そんなことは番組をちゃんと見てればわかるじゃん!」と思ったものだ。私はあの企画には、インチキもあったけれど、それに負けないだけのたくさんの真実が含まれていたと評価している。

プロデューサーがあの企画を思いついたきっかけがこの本だと知り、大沢たかお主演のドラマも断片的に見たけれど、ぜひ原作を読んでみたいとずっと思っていた。古本屋で文庫6冊が並んでるのを見て、大枚千円はたいて大人買い(自爆)

別にユーラシア地域の旅情報が得られるわけではない。なにしろ古いし。「そんなこと、常識でしょ!」と言いたくなることさえ、当時の沢木氏は知らなかったんだなあ。でもなにしろまだ若かったんだから。それに一切のガイドブック無しで旅しているんだから、まあしょうがないでしょう。

旅行記はエンターテインメントなのです。
そういう意味で、うーんさすがプロ! と思いました。面白かったです。
この本を読んで同じことをしたくなる若者は少なくないだろう。ある意味、罪作りな本かも。

事情が変わってしまったところも少なくないけれど、下川氏の本に書かれていることと共通していることもたくさん。それを「お国柄」と言うのだろう。

こんな旅、私には絶対にできない。年を食ってしまって手遅れだし、沢木氏の旅には男性にしかできないがたくさんある。連れ込み宿に長期滞在するとかね。なんだかんだ言っても、やっぱり男はトクなのよねえ、と嫉妬を感じる。

旅しても、実際に見聞きできるのは、その土地のごく一部だし、接することができるのもごくわずかの人々だけ。その人々の大多数は観光客相手の商売人。さらに、旅のスタイルによっても体験できることは違ってくる。いくら旅しても、結局たいしたことはわからないのだとは、いつも思っていたが、沢木氏も知人の口を借りて「わからないのだということがわかる」と言っている。盲人が象を触るのと同じ。だから旅は人それぞれ。それをぐーんと広げれば、人生いろいろ♪ ←広げすぎ

沢木氏はパリでは寂しくなかったそうである。
「パリが本当の都会だったせいかもしれない」に同感。
都会は人を孤独にするけれど、寂しくはさせない。(だから孤独になる)


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by foggykaoru | 2008-03-15 22:30 | ルポ・ノンフィクション | Trackback | Comments(10)

宮尾登美子作「天璋院篤姫」

宮尾登美子の作品、久しぶりです。

今年の大河ドラマだという意識もなく、貸してもらったので、なんとなく読み始めたのですが、面白かったです。特に上巻が。友人の「心理描写が多いこの作品をドラマ化するのはたいへんそうだ」と感想には同感。篤姫の心理描写は、たとえて言うなら「指輪物語」の後半のサムの心理描写のよう。あのあたり、PJの映画ではぜーんぜん描けませんでしたからね。

篤姫が将軍に輿入れしたいきさつとか、いわゆる「女にしておくのはもったいない」女性だったということは、なんとなく知ってましたが、これを読んで、「もしも男だったら」という妄想にとらわれてしまいました。

もしも男だったら、島津斉彬の養子になったかも。
斉彬の死後、周囲はまっぷたつに割れたかも。
でも、たぶん、賢く久光に譲って、久光の片腕としてがんばって、明治新政府でそれなりの地位を得たかも。
維新における薩摩の二大ヒーロー、西郷隆盛と大久保利通は、その後違う道を進むことになり、結果的に大久保は「うまいことやりやがった奴」と(薩摩では)憎まれ、西郷は「我らが西郷どん」として敬愛されるようになったんだけど、もしも篤姫が男だったら、両方を束ねることができたかも?
つまり、西南戦争は起きなかったかも?
(あくまでも妄想ですので突っ込まないでください)

あと、「女三界に家無し」とか、身分制度というのは、自分自身はその中には絶対に身を置きたくないものですが、そういう「しばり」というのは結局モラルだし、美学なのです。これは女性に限らない。「武士のやせ我慢」という表現もあるけれど、昨今、やせ我慢が無さ過ぎるのかも。その根幹は「プライド」なんだろうな。篤姫は知性に裏打ちされたプライドをもって生きたということなのでしょう。彼女にふさわしい形容詞は「素晴らしい」とか「立派」では物足りない。いちばんぴったりくるのは「あっぱれ」なのかも。



大河の公式サイトでキャスティングを見たんですが、主役の宮崎あおいって誰?
家定役の堺雅人はちょっと見てみたいです。

斉彬役が高橋英樹かあ・・・
高橋英樹は確か「翔ぶが如く」で久光役だったような。

まっ、大昔は美貌の側用人・柳沢吉保役だった石坂浩二が、しばらくしたら吉良上野介役になったときみたいな衝撃はありませんが。


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by foggykaoru | 2008-01-12 10:04 | 日本の歴史 | Trackback | Comments(16)

「精霊の守り人」読みました

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先週、ランサム展の準備に行ったついでにナルニア国にて購入。

かねてより友人たちの絶賛の声は聞いていたのですが、日本の児童文学にはあまり食指が動かず、未読のままでした。それが今回、文庫化され、そのあとがきを神宮輝夫氏が書いていると聞くに及んで、ついに観念して(?)読むことにしたのです。

私は上橋さんのことを、「子どもの頃ランサムが大好きだった」という意味において、勝手に同類だと思いこんでいます。さらに、もしも私がもうちょっと後に生まれていたら、つまり上橋さんと同じ頃に生まれていたら、ランサム以後日本で刊行された数々の外国児童文学の多くを、きっと同じ頃に読んで、きっと同じように好きになったのではないか、とも思いこんでいます。

読み始めてすぐの印象は「エスニックだな、ゲドに似ている」
そして、都の地理的な説明のあたりは「まるで指輪物語♪」
質素だけれど妙に美味しそうなご飯の描写には「ランサムだわ!」

でも、そんな邪念(!)はすぐに吹っ飛ぶことになりました。
「○○に似ている」「××に影響を受けている」などという代物ではないのです。
これは紛れもなくオリジナルな「上橋ワールド」。

この後は微妙にネタバレです。
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by foggykaoru | 2007-06-07 20:33 | 児童書関連 | Trackback | Comments(6)

オバサンをノックアウトする映画

せっかくの土曜日だというのに、あくせく過ごしました。
4時過ぎにようやく身体が空き、このまま帰るのももったいないなぁ・・・というわけで、映画でも観ようと思い立ちました。
駅までの道すがら、「ホリデイ」「華麗なる恋の舞台で」「バッテリー」のうち、どれにしようかと悩みに悩んだ末、「バッテリー」にしました。我ながら色気の無い選択だ(苦笑)

ひょっとしたら、今朝キオスクで買った週刊誌に載っていた、原作者あさのあつこ氏の抱腹絶倒インタビュー記事に影響されたのかもしれません。
野球に興味を持って、初めて少年野球や高校野球を観に行ったあさの先生、「ウヘウヘ、おばちゃん、来てよかったよ。この若い(男の)子で稼がせてもらおうかな」と思ったんだそうな。


原作「バッテリー」はよくできた作品だと思いますが、私はさほどハマることなく、全6巻のうち3巻まで読んでやめてしまいました。主要登場人物の設定程度しか覚えていなかったのが、却ってよかったのかもしれません。「原作のあのシーンが無い」とか「好きなシーンが改変されている」とかいうことに気をもむことなく、おおらかな気分で映画を楽しみました。

そしてつくづく感じたのは文字媒体である小説と、映像媒体である映画の違いです。

原作の巧は、その強烈なキャラで読者を圧倒するのですが、映画の巧は、ビジュアルの魅力でオバサンをノックアウトしました。
もちろん剛も青波も素晴らしかったんだけど、なんてったって巧です。

ウヘウヘ、おばちゃん、観に来てよかったよ(爆)

この映画、子どもたちだけに見せておくのはもったいないです。

世のオバサンたちよ、今すぐ映画館に走るべし!



・・・この映画、5年ぐらいしたら、アメリカ人がリメイクするんじゃないかしら。賭けてもいいです、1000円ぐらいなら(^^;
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by foggykaoru | 2007-04-07 22:22 | 児童書関連 | Trackback | Comments(7)

海老沢泰久著「美味礼賛」(文春文庫)

c0025724_19474597.jpg辻調グループの先代校長・辻静雄の半生を描いたものだが、伝記ではない。というのは「架空の物語である」という著者自身の断り書きが付いているから。とはいえ、静雄本人に入念な取材をしてあるということで、大筋としては、彼の生涯をかなり正確に描いているのだろうと思われる。

すごい人だったんだな。
というのが率直な感想。
月並みですが。

静雄は戦後の日本の料理界に種まきをして、育てたのだ。

料理学校の跡取り娘と結婚したことで、はからずもその後継者とならざるを得なかったのだが、それから後がすごい。
フランス料理というと、ステーキ、エビのカクテル、オードブル盛り合わせくらいしか存在していなかった昭和30年代に、フランス料理に関する原書を読みあさり、「本物はそんなものではない」と知り、渡仏し、超一流レストランの食べ歩きをし、その味を覚えて帰って、自分の学校の教師にそれを教えたのである。

もちろん、太っ腹な義父の経済的援助があってこその渡仏だったし、彼が仏文科出身であり(最初のうちはフランス語もそんなに上手ではなかったらしいが)、かつ、妻が英語堪能で、言語の障壁があまりなかったというのは大きいだろう。
でも、欧米のガストロノミーの大家や四つ星レストランのオーナーが彼を温かく迎えたのは、単に言葉が話せたためだけではないはず。ガストロノミーの大家の著作を原語できちんと読みこなした上でご本人に会ったというのがポイント。人に教えをこうときの正しい態度である。

さらにまた、「教えてやりたい」と思わせるものが、彼の人柄の中にあったに違いない。

彼は何かに興味を持つととことん究めないでいられないという、今で言うオタク心の持ち主であり、学生時代に凝ったクラシック音楽に関する造詣は、非常に深いものだったそうだ。そこが最大のポイントかも。
「外国の人と交流するには、単に語学ができるだけでは十分ではない。語れることを持っていなければ」と言われる。(もちろん、この場合の「外国の人」というのは、土産物屋のおばちゃんレベルを指すものではない。別に土産物屋を馬鹿にしているわけじゃないんだけど。)
「語れること」というのは、ひらたく言えば「教養」である。
要するに、「おおっ、こいつは大したものだぞ」と思わせるものがなくては、相手にしてもらえない。

静雄は好きなことばかりやっていて、受験勉強に身を入れなかったため、大学に二度も落ちたあげく、ようやく二部にもぐりこんだ。
でも、難しい大学に入れることと、知的で教養があるということはイコールではない。
静雄の成功の秘密は、彼が「本物の教養人」だったところにあるのではないだろうか。


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by foggykaoru | 2007-04-03 20:05 | 普通の小説 | Trackback | Comments(2)

角野栄子著「魔女の宅急便」

前の本がつかえていて、なかなか順番が回ってこなかった作品。読み出したらあっという間でした。字は大きいし、短いし。児童書って楽でいいわ(笑)

実は私が観たことがあるジブリアニメは3作だけ。
「ルパン三世---カリオストロの城」「ハウルの動く城」、そしてこの「魔女宅」なのです。

アニメと原作とはずいぶん違うのだと聞いていましたが、この程度の改変なら可愛いもんです。
舞台設定も、登場人物の性格も、原作どおり。原作のアニメ化という点において、「魔女宅」は成功作ですね。

まず最初に、キキ13歳の旅立ちの場面で、目頭が熱くなりました。
そして、最後もまたウルウル。びしょびしょになるほどじゃないけれど。

心の琴線を震えさせてくれるお話っていいものです。


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by foggykaoru | 2007-02-11 18:13 | 児童書関連 | Trackback | Comments(4)

TUGUMI

吉本ばななの有名な作品ですが、読んだのは初めてです。吉本ばなな自体を。

病弱で非常に嫌な奴である少女「つぐみ」を、なんとも魅力的に描いています。
吉本さん、お上手。
デビュー当時、あれだけ話題になったのがうなずけました。

作品の中で心理描写が占める割合がきわめて高い。
半分、いや、7割くらいは心理描写なのではないかしら。
きめ細やかで説得力があるので、読者は十分納得させられます。

が、こういう小説が好きかと尋ねられたら・・・
別に嫌いではないけれど、大好きというわけではないです。

あとがき(←誰が書いたのか忘れた)に
「マンガを読んで育った世代らしい文体だ」
とかなんとか書いてありました。
決してけなしているわけではなく。

なるほどと思いました。
私はほとんどマンガを読まないけれど、30年くらい前(かな?)から日本のマンガ、特に少女マンガの質がぐんと高まったということは、どこかで読んで知ってます。そして、その中には「絵を媒体にした文学」というべき域に達した作品も少なくないのだろうということは、容易に想像できます。

吉本ばななの小説は、そういうマンガ作品の雰囲気を持った文学作品なのかも。


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by foggykaoru | 2007-01-27 08:58 | 普通の小説 | Trackback | Comments(6)

大村彦次郎著「文士の生きかた」

年末のモロッコ旅行に持っていった本。

この本で取り上げられているのは以下の13人。
1)芥川龍之介
2)葛西善蔵
3)嘉村礒多
4)直木三十五
5)徳田秋声
6)近松秋江(←「あきえ」ではなく、「しゅうこう」と読む)
7)葉山嘉樹
8)宇野浩二
9)久保田万太郎
10)谷崎潤一郎
11)高見順
12)山本周五郎
13)和田芳恵(←「よしえ」だけど男性)

この中で作品を読んだことがあるのは芥川と谷崎、山本だけ。
「文学史」で名前を覚えたのが葛西、徳田、宇野、久保田、高見あたり。
直木は直木賞で知ってるだけ。

「文士」って何?と思いながら読んだのだが、まあみんなろくでもない(苦笑)連中ばかり。
谷崎が佐藤春夫に妻を譲渡した事件は知っていたけれど、あらためて読むと、ほんとに呆れるほどわがままで勝手なヤツである。
時代が古い人ほどひどい。養子で養父母や伯母に気を遣ってばかりだった芥川は別だが。特に葛西と直木というのは「いったい自分を何様だと思ってるの?」と言いたくなるほど。
そして、どんなにひどいヤツにも妻がいる。今だったら考えられないことだ。
でもまあ、あえて葛西と直木を弁護するなら、彼らはイケメンなのである。
イケメンじゃなくて、生活力もさっぱり無くて、しかも女性関係にだらしないという、最悪の男たちにもちゃんと妻がいて、けなげに連れ添ってくれているというところに、時代を感じる。

思うに、明治・大正の時代、そこそこの学校を出て文学やってる男性というのは、それだけで、とっても偉そうでかっこよかったのだろう。
男性優位の時代であった上に、文学の地位も今よりずっと上だった。
「文学のため」「小説のため」というのが、すべての免罪符になったということなのだろう。

直木という人は、今だったら小説なんて書いていないだろうな。
たぶん、違うメディアのプロデューサーになってたんじゃないだろうか。
「ヒルズ族」になってるかも。

で、「文士」って何?
愛人のところに子どもの1人や2人いるものらしい。
そして、それをモチーフにしてどろどろした私小説を書くものらしい。
私の場合、旅をすることによってネタを見つけてきてるのだが、文士というのは、自らの恥をネタにして小説を書くものらしい。

今は「小説書いてますんで」ですべてが許されたりはしない。
女性も黙っていない。

だから文士はもういない。


自らの恥をネタにして記事を書くライターたちは、文士の末裔なのだろうか?
たとえば、「だめんず」書いてる彼女とか、ショッピング狂のために首が回らなくなったことをネタにしてる彼女とか。

思いつくのが女性ばかりというところに、またさらに時代の流れを感じてしまった。



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by foggykaoru | 2007-01-03 20:40 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(2)

瀬尾まいこ著「図書館の神様」

最近とんとフィクションを読まなくなってしまった私。
たとえ読んでも、その内容にちょっとでも西洋史とか海外事情にひっかかりがあると、物語自体を楽しむよりも、その方面の「おべんきょ」モードになってしまいがちです。
好きでやっているお勉強なのですから、別に何も問題は無いのですが、疲労しているときには、やっぱり不向きです。
それに加えて、「もしかしたら自分は、そういう要素が全くない、日本の普通の小説を、のんびり楽しむということができなくなってしまったのではないか?」という不安すら覚えるようになってきました。

こんな悩み(?)を友人にぶつけてみて、薦められたのがこの本。

主人公である、高校で国語の非常勤講師をやっている女性と、彼女が顧問をする文芸部の男子生徒の、ほのぼのした交流が描かれています。
今時こんな大人っぽい高校生、いるのかね?と思いつつも、楽しくさらさらと読み進みました。
薄いし、1時間半くらいで読み終わったかな。
お茶漬けの味。胃が疲れているときにぴったり(笑) 外国の小説ではこうはいかないわ。
骨太なテーマは無いけれど、あえて言えば、「心の傷の癒し」がメインなのでしょうか。
サブテーマは「読書の素晴らしさ」。私はこれにいたく共感しました。

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by foggykaoru | 2006-10-18 20:33 | 普通の小説 | Trackback | Comments(2)

澤地久枝著「石川節子---愛の永遠を信じたく候」(文春文庫)

かの啄木の妻・節子の伝記。
まるで不幸になるために結婚したようなものだと、かねがね思っていたけれど、そのとおりだった。

娘全員をミッション系の女学校にやれるほど裕福で見識ある家庭に育った彼女は、伴侶によっては幸せにもなれる人だった。
一方、啄木のほうは、不幸になるべくしてなったのだと思う。(啄木ファンには申し訳ないが)

とはいえ、啄木にも気の毒なところはあった。
実家の零落が彼の人生のスタート時に影を投げかけたということは知っていたが、それが祝言の直前だったというのは知らなかった。
たったの19歳である。両親の扶養というとんでもない重荷がのしかかってきて、これに加えて妻まで養うなんて冗談じゃない!と、ビビってしまい、結婚から逃げ出そうとしたふしがあるのだそうな。

でも、啄木は素直な自分の気持ちを節子に伝えることはなかった。一生を通じて。ええかっこしいで。
さらに、勤勉ではなく(仕事を得てもすぐにサボる)、すぐに人にすがって借金をする。女遊びにうつつを抜かして、生活費の送金も怠るし。それでもってかなりのマザコン。
はっきり言って、亭主としてはサイテーである。

でも、これだけ借金できたというのは、援助する人がたくさんいたということで、これはとりもなおさず、啄木が魅力的だったということなのではないかと思う。
いわゆる「人たらし」だったんじゃないかしら。

単身赴任状態のときの放蕩生活を赤裸々に綴った日記を、啄木は焼き捨てろと言い残した。しかし、節子はそれを読んだ上で保管した。
それはなぜか。
まず第一に、たった7年の間にこれ以上無いというほどの苦労をし尽くして、「惚れたはれた」を超越してしまったということがあろう。「私があんなに苦労していたときに、生活費も送らないでこんなことをしていたのね、悔しいっ! キーッ!!」というレベルはとうの昔に卒業していたのだろう。
でも、それだけではないと思う。
ポイントは「知性」である。
亭主としての啄木ではなく、彼の才能を愛していたからなのだ。

そもそも、2人を結びつけたのは文学への情熱。
今から100年以上前、義務教育すら定着していない時代に、文学を語り合う友を見つけたのだ。

好きな本について語り合える友というのは貴重である。最高の友と言ってもいい。
しかもその友が、同い年の異性だったのだ。
思春期にそういう相手に出合ってしまったが最後、惚れるなと言っても無理というもの。

そういうふうに愛した人の書き残したものは宝である。
たとえそこに自分への裏切りが書きつづられていようと。

いろいろな意味において、もしも節子がいなかったら啄木はなかっただろうと思った。


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by foggykaoru | 2006-07-24 20:07 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(12)