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TUGUMI

吉本ばななの有名な作品ですが、読んだのは初めてです。吉本ばなな自体を。

病弱で非常に嫌な奴である少女「つぐみ」を、なんとも魅力的に描いています。
吉本さん、お上手。
デビュー当時、あれだけ話題になったのがうなずけました。

作品の中で心理描写が占める割合がきわめて高い。
半分、いや、7割くらいは心理描写なのではないかしら。
きめ細やかで説得力があるので、読者は十分納得させられます。

が、こういう小説が好きかと尋ねられたら・・・
別に嫌いではないけれど、大好きというわけではないです。

あとがき(←誰が書いたのか忘れた)に
「マンガを読んで育った世代らしい文体だ」
とかなんとか書いてありました。
決してけなしているわけではなく。

なるほどと思いました。
私はほとんどマンガを読まないけれど、30年くらい前(かな?)から日本のマンガ、特に少女マンガの質がぐんと高まったということは、どこかで読んで知ってます。そして、その中には「絵を媒体にした文学」というべき域に達した作品も少なくないのだろうということは、容易に想像できます。

吉本ばななの小説は、そういうマンガ作品の雰囲気を持った文学作品なのかも。


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by foggykaoru | 2007-01-27 08:58 | 普通の小説 | Trackback | Comments(6)

大村彦次郎著「文士の生きかた」

年末のモロッコ旅行に持っていった本。

この本で取り上げられているのは以下の13人。
1)芥川龍之介
2)葛西善蔵
3)嘉村礒多
4)直木三十五
5)徳田秋声
6)近松秋江(←「あきえ」ではなく、「しゅうこう」と読む)
7)葉山嘉樹
8)宇野浩二
9)久保田万太郎
10)谷崎潤一郎
11)高見順
12)山本周五郎
13)和田芳恵(←「よしえ」だけど男性)

この中で作品を読んだことがあるのは芥川と谷崎、山本だけ。
「文学史」で名前を覚えたのが葛西、徳田、宇野、久保田、高見あたり。
直木は直木賞で知ってるだけ。

「文士」って何?と思いながら読んだのだが、まあみんなろくでもない(苦笑)連中ばかり。
谷崎が佐藤春夫に妻を譲渡した事件は知っていたけれど、あらためて読むと、ほんとに呆れるほどわがままで勝手なヤツである。
時代が古い人ほどひどい。養子で養父母や伯母に気を遣ってばかりだった芥川は別だが。特に葛西と直木というのは「いったい自分を何様だと思ってるの?」と言いたくなるほど。
そして、どんなにひどいヤツにも妻がいる。今だったら考えられないことだ。
でもまあ、あえて葛西と直木を弁護するなら、彼らはイケメンなのである。
イケメンじゃなくて、生活力もさっぱり無くて、しかも女性関係にだらしないという、最悪の男たちにもちゃんと妻がいて、けなげに連れ添ってくれているというところに、時代を感じる。

思うに、明治・大正の時代、そこそこの学校を出て文学やってる男性というのは、それだけで、とっても偉そうでかっこよかったのだろう。
男性優位の時代であった上に、文学の地位も今よりずっと上だった。
「文学のため」「小説のため」というのが、すべての免罪符になったということなのだろう。

直木という人は、今だったら小説なんて書いていないだろうな。
たぶん、違うメディアのプロデューサーになってたんじゃないだろうか。
「ヒルズ族」になってるかも。

で、「文士」って何?
愛人のところに子どもの1人や2人いるものらしい。
そして、それをモチーフにしてどろどろした私小説を書くものらしい。
私の場合、旅をすることによってネタを見つけてきてるのだが、文士というのは、自らの恥をネタにして小説を書くものらしい。

今は「小説書いてますんで」ですべてが許されたりはしない。
女性も黙っていない。

だから文士はもういない。


自らの恥をネタにして記事を書くライターたちは、文士の末裔なのだろうか?
たとえば、「だめんず」書いてる彼女とか、ショッピング狂のために首が回らなくなったことをネタにしてる彼女とか。

思いつくのが女性ばかりというところに、またさらに時代の流れを感じてしまった。



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by foggykaoru | 2007-01-03 20:40 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(2)

瀬尾まいこ著「図書館の神様」

最近とんとフィクションを読まなくなってしまった私。
たとえ読んでも、その内容にちょっとでも西洋史とか海外事情にひっかかりがあると、物語自体を楽しむよりも、その方面の「おべんきょ」モードになってしまいがちです。
好きでやっているお勉強なのですから、別に何も問題は無いのですが、疲労しているときには、やっぱり不向きです。
それに加えて、「もしかしたら自分は、そういう要素が全くない、日本の普通の小説を、のんびり楽しむということができなくなってしまったのではないか?」という不安すら覚えるようになってきました。

こんな悩み(?)を友人にぶつけてみて、薦められたのがこの本。

主人公である、高校で国語の非常勤講師をやっている女性と、彼女が顧問をする文芸部の男子生徒の、ほのぼのした交流が描かれています。
今時こんな大人っぽい高校生、いるのかね?と思いつつも、楽しくさらさらと読み進みました。
薄いし、1時間半くらいで読み終わったかな。
お茶漬けの味。胃が疲れているときにぴったり(笑) 外国の小説ではこうはいかないわ。
骨太なテーマは無いけれど、あえて言えば、「心の傷の癒し」がメインなのでしょうか。
サブテーマは「読書の素晴らしさ」。私はこれにいたく共感しました。

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by foggykaoru | 2006-10-18 20:33 | 普通の小説 | Trackback | Comments(2)

澤地久枝著「石川節子---愛の永遠を信じたく候」(文春文庫)

かの啄木の妻・節子の伝記。
まるで不幸になるために結婚したようなものだと、かねがね思っていたけれど、そのとおりだった。

娘全員をミッション系の女学校にやれるほど裕福で見識ある家庭に育った彼女は、伴侶によっては幸せにもなれる人だった。
一方、啄木のほうは、不幸になるべくしてなったのだと思う。(啄木ファンには申し訳ないが)

とはいえ、啄木にも気の毒なところはあった。
実家の零落が彼の人生のスタート時に影を投げかけたということは知っていたが、それが祝言の直前だったというのは知らなかった。
たったの19歳である。両親の扶養というとんでもない重荷がのしかかってきて、これに加えて妻まで養うなんて冗談じゃない!と、ビビってしまい、結婚から逃げ出そうとしたふしがあるのだそうな。

でも、啄木は素直な自分の気持ちを節子に伝えることはなかった。一生を通じて。ええかっこしいで。
さらに、勤勉ではなく(仕事を得てもすぐにサボる)、すぐに人にすがって借金をする。女遊びにうつつを抜かして、生活費の送金も怠るし。それでもってかなりのマザコン。
はっきり言って、亭主としてはサイテーである。

でも、これだけ借金できたというのは、援助する人がたくさんいたということで、これはとりもなおさず、啄木が魅力的だったということなのではないかと思う。
いわゆる「人たらし」だったんじゃないかしら。

単身赴任状態のときの放蕩生活を赤裸々に綴った日記を、啄木は焼き捨てろと言い残した。しかし、節子はそれを読んだ上で保管した。
それはなぜか。
まず第一に、たった7年の間にこれ以上無いというほどの苦労をし尽くして、「惚れたはれた」を超越してしまったということがあろう。「私があんなに苦労していたときに、生活費も送らないでこんなことをしていたのね、悔しいっ! キーッ!!」というレベルはとうの昔に卒業していたのだろう。
でも、それだけではないと思う。
ポイントは「知性」である。
亭主としての啄木ではなく、彼の才能を愛していたからなのだ。

そもそも、2人を結びつけたのは文学への情熱。
今から100年以上前、義務教育すら定着していない時代に、文学を語り合う友を見つけたのだ。

好きな本について語り合える友というのは貴重である。最高の友と言ってもいい。
しかもその友が、同い年の異性だったのだ。
思春期にそういう相手に出合ってしまったが最後、惚れるなと言っても無理というもの。

そういうふうに愛した人の書き残したものは宝である。
たとえそこに自分への裏切りが書きつづられていようと。

いろいろな意味において、もしも節子がいなかったら啄木はなかっただろうと思った。


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by foggykaoru | 2006-07-24 20:07 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(12)

珍作? 怪作? はたまた傑作?

洋子姉さまが、もっとわがままに、もっと烈しく、あたしを責めて下さつたなら……。
あたしを抑えつけて、眼の廻るほど、ぐんぐん引つぱつて下さつたなら……。

今日からこのブログは同人系に衣替えすることにしました。というのは冗談です。

上に引用したのは友人@ネタ大明神が貸してくれた小説の一節。中学の頃に愛読したのだそうです。すごいですねー! 栴檀は双葉より芳し(爆)

ところでこの小説、誰が書いたと思います?

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by foggykaoru | 2005-06-02 21:15 | 普通の小説 | Trackback | Comments(13)

あさのあつこ著「バッテリー3」(角川文庫)

これは巧1人の物語ではなくて、巧と豪というバッテリーの物語なんだなあと、今さらながらに思いました。もちろん最初からわかっていたんだけど。

薄い文庫本、しかも児童書、しかも会話が多くてそれほど文字が詰まっていない本を、この私ともあろうに、一気に読めませんでした。つまらなかったのではありません。忙しすぎたのです。断続的に3日ぐらいかけて読んだのですが、そのお陰で、紅白戦の結果がどうなるのか、あれこれ想像を廻らせてみたりすることができました。予想はどれもハズレでしたが(苦笑)

面白いんだけど、ちょっと飽きてきたかも。

前から薄々感じてはいたのですが、児童書の場合、私は海外の作品のほうが好きなようです。そのほうが夢を追えるからなのかなあと思います。大人向けの小説なら、日本の作家のものもけっこう好きなのですが。
児童書を読むときに私が求めるのは、「夢」とそれに微妙に重なり合う「遠くの土地への憧れ」であるようです。
もちろん、「バッテリー」にも、巧たちの夢がぎっちり詰まっています。
でも、舞台が日本なのです。そこがあまりにも身近で、私には物足りないのです。

「バッテリー」ファンの方、ごめんなさい。「外国好き度」が異常に高い私がいけないのです。どうか気にしないでください。
このシリーズは、読み始めたら面白くてやめられなくなる人のほうが圧倒的に多いはずです。


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by foggykaoru | 2005-04-22 22:25 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)

あさのあつこ著「バッテリー2」(角川文庫)

主人公巧たちがいよいよ中学に入学。彼の言動は、(予想どおり)周囲に波紋を巻き起こします…。
1巻のときも思ったのですが、人間の描き方が丹念なことに感心します。なので、これ1冊かかって、まだほんの数日間しかたってない。どうしたって続きを読まざるを得ません(苦笑)
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で、ここに唐突に桜の写真。
最近ようやく写真が撮れる携帯に変えたのに、撮る写真といえば、書店の児童書コーナーに並ぶランサム全集だけ、というのも、我ながらなんだかなあと思ったのです。

巧は桜が嫌いなんですって。つるんで咲くから。恐れ入りました。こんなにきれいなのに。

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by foggykaoru | 2005-04-10 19:06 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)

あさのあつこ著「バッテリー」(角川文庫)

面白いと評判なので読んでみた。
読んでみて、良い意味で、予想を裏切られた。

裏表紙に「これは本当に児童書なのか!?」と書いてあるが、まさにそのとおり。私の場合、もしもこれを12、3歳の頃に読んでいたとしたら、絶対に好きになれなかっただろう。(これは全くあり得ない仮定。なぜなら、この作品が発表されたとき、私はすでにオバサンになっていたから。) 小中学生の頃の私は、あまりにも子ども過ぎて、こういう主人公を受け入れられなかっただろうと思うのだ。

主人公・巧は「出る杭は打たれる」日本の土壌には、めったに登場しないタイプのヒーローである。しかもまだ12歳。日本人すべてが年々幼稚になりつつある昨今、こんな大人っぽい12歳の男の子がいるのだろうか。男の子というのは、一般に女の子よりもオクテなものだ。「青っぽくて角があるところにこそ、子どもっぽさが現れているのだ」という意見もあろうが、いやいや、この青っぽさは15歳以上のものではないだろうか。親に対する態度などは、反抗期のそれにひどく似ている。おそろしく早熟な12歳である。

早熟なのは、主人公だけではない。巧の弟・青波と、友人・豪もまた「こんな子どもはいないよ」と言いたくもなるほど大人で、「できた奴」なのだ。

リアルさを優先するなら、少年たち全員を3歳上に設定するべきだったのかもしれない。にも関わらず、この年齢に設定したのは、この後の、彼らと野球との関わりを、じっくり描きたかったからなのだろう。それに、この年齢設定が、作品を楽しむことの妨げになるわけではない。少年の心のひだが、これだけ丹念に描かれているということ自体が驚異的だし、巧・豪・青波のバランスが絶妙だからである。

周囲の大人たちもまたいい。子どもの目から見た大人のありのままの姿が、感傷に流れずに淡々と描かれている。

ぜひ続編も読みたい。
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by foggykaoru | 2005-02-24 20:27 | 児童書関連 | Trackback | Comments(0)