ブルボン家の落日--ヴェルサイユの憂愁
2008年 11月 15日
熱帯雨林のこの本に関するページを参照したら、ひとつもレビューが無くてびっくり。そこそこ面白いので、そんなに無視されなくてもいい本だと思います。とか言って自分だってたまたま古本屋で見つけるまで知らなかったのですけれど。人文書院という出版社も知らなかった。
書名からして、てっきりフランス革命で王朝が倒されるまでの話かと思ったら、アンリ4世、ルイ13世、そしてルイ14世の長ーい人生を語っておしまいでした。
フランスの王様の話は、フランス人の手になるちゃらけた歴史のシリーズを読むぐらいなのですが、あれとは違ってこちらはきわめてお上品な語り口。というか、これが普通なんですけれど。
アンリ4世が開いたブルボン朝隆盛の立役者がリシュリューとマザランだということは高校のときに習ったけれど、2代続けて優秀な側近に恵まれたのはすごい。もちろん、フランス絶対王政が確立したのは、彼らだけの力ではなくて、いろいろ他の要素がからまっているのだろうけれど。
ルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュ、バッキンガム公に関しては、子供のときに読んだ抄訳の「三銃士」以上の知識は無くて、しかも名前以外はほとんど忘れてしまっているという体たらくだったのですが、この本を読んで歴史的背景を知りました。せっかくなので「三銃士」の完訳を読んでみようかな。
ルイ14世は晩年のでっぷり肥ったイメージしかなかったけれど、若いときはなかなか魅力的だったようで。
それにしても、王様というのはその王朝が上り坂のときは元気なのですが(元気だから上り坂になるのだけれど)、安定してくるとだんだんおかしな王様になっていきます。ひとつには近親婚が重なるせいでしょうね。こっちがデビューしたてのときは、結婚相手のほうは近親婚がすでに重なっているけれど、こっちの血が新しい。でも、こちらもベテランになってくると、どこから見ても血が濃くなりすぎてくる。
そういう意味からも、生きのいい王様はルイ14世が最後だったんだろうなと思いました。
西洋史関連の本を読んでいると、固有名詞をどの言語で表記するかが問題になってくるのですが、この本はもちろんフランス語読みが中心。「シャルル・カン」とか書かれていますが、巻末にきちんとした人名索引があって「スペイン王としてはカルロス1世、神聖ローマ皇帝としてはカール5世」と解説されているところが良心的です。
あと、ハプスブルク家から嫁に入った王妃は、フランスでは「○○・ドートリッシュ」(英語に訳せば「○○オブ・オーストリア」)となるのだということに、今さらながらに気付きました。スペインで生まれ育っていても「○○・デスパーニュ」(○○オブ・スペイン)とはならない。そのあたりに、フランス人が「スペインなんか国のうちに入らない」と思っていたことが表れているのかなと思いました。
(だからナポレオンもスペインなんか属国だと思っていたのかな、ということです。関連するポストはこちら)
by foggykaoru | 2008-11-15 20:24 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)

ロシアは田舎者扱いで小馬鹿されていましたが…
それにしてもランサムでも(ヤマネコ号の冒険?)、スペイン・イタリアのラテン系の人々に対する蔑称が出てきましたし白人同士でも複雑な扱いの差がありますね

関係ないけど、人文書院の本は、ジョゼフ・コンラッドの作品集を持っています。1983年の刊行直後に買ったみたいです(私がこの作家へ興味をもったのは、明らかにランサムの影響でした)。
Wikipediaを見比べてみると
たとえばルイ14世の妃だったマリー・テレーズは
フランス語だと「マリー・テレーズ・ドートリッシュ」
英語では「マリア・テレサ・オブ・スペイン」
になるんです。
フランスではハプスブルク家の人は必ず「オーストリアの」になるけれど、
イギリスでは「スペインの」と呼ばれることもある。
そのあたりが不思議です。
20世紀になってからのスペインやイタリアに対する蔑視は、たぶん産業革命以降の発展度の差からくるんだろうと思います。