音楽家の社会史--19世紀ヨーロッパの音楽生活
2009年 01月 12日
正月休みに読んだあと放っておいたら、もうかなり忘れてしまった(涙)
とても面白い章とそれほどでもない章の差があるのだが、全般的にけっこう面白かった。5点満点で4点というところ。
一番印象的だったのは、当時の音楽家がいかに恵まれていなかったかということ。
金銭面はもちろん、それ以外の面でも。
それ以外というのは、当時の演奏家の技量が低く、楽譜が読めない楽団員が珍しくなかったということ。つまり、心血を注いで作曲しても、正しく演奏してもらえるとは限らなかったということ。
下手な上、練習が足りない。完成した新曲をお披露目するための練習は、1日ぐらいしかなかったのだそうだ。
演奏会において人々が耳にするのは、しばしば、音楽の妙なる響きではなく、むしろ、拍子を取るための足の音と、譜面台をたたく音であった。(中略)手足を使って必死に拍子を取る指揮者に合わせて、団員があちこちで頭をふる様は滑稽であったらしい。何が良くてそんな演奏にお金を払うんだろう?と思ってしまうけれど、それは現代人の感覚。それほどまでに、当時と現在の音楽状況は違うのだ。
作曲しても、演奏を他人任せにするわけにはいかなかったでしょうね。
演奏技術が高い作曲家の曲は難曲が多いけれど、きっと作った本人しか弾けなかったのでしょう。ショパンとかリストとか。
今、天国のモーツアルトやベートーベンは嬉しがっているかも。自分の曲を意図したとおりに再現してくれる演奏家がたくさんいるから。なーんて無意味なことを考えてしまいました。
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by foggykaoru | 2009-01-12 21:31 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(6)

相対的なものですし、基準となる「常識」も時代によってかわりますから

演奏もする作曲家(あるいは作曲もする演奏家)は、昔は多かったようですね。パガニーニは演奏して作曲もして、自分で入場料を受け取って(!)、「只聴き」されないために演奏会場に自分で鍵までかけて(!!)から弾いた、というのをどこで読んだんだったかな~。
>基準となる「常識」も時代によってかわります
そうですよね。
ただ、天才はそれを超越する。
モーツアルトあたり、「自分の音楽はこんなものじゃない。正しく演奏してくれる人がいたらいいのに」と思っていたかも。

最大スポンサーの国王・王族が音楽を理解してくれなくて、見抜いていたのは同じ作曲家だけ
マリー・アントワネットのお兄ちゃんが、モーツアルトの新曲をきいて「音が多すぎる」とコメントするんですよね。