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遠い朝の本たち

その死を惜しまれた須賀敦子さんによる、珠玉のエッセイ集。

幼い日からの読書にまつわる思い出がつづられています。
内容はもちろんのこと、文章が素晴らしい。
読んでいて須賀さんの豊かさがこちらにしみとおってくる感じがして、折りにふれて読み直したい本です。

ネット上で本の引用というのは、むやみにするものではないのかもしれないけれど、どうしてもしないではいられません。
何冊かの本が、ひとりの女の子の、すこし大げさにいえば人生の選択を左右することがある。しかし、そんなことには気づかないで、ただ、吸い込まれるように本を読んでいる。自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめりこむ。その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう。

幼いときの読書が私には、ものを食べるのに似ているように思えることがある。多くの側面を理解できないままではあったけれど、アンの文章はあのとき私の肉体の一部になった。(注:アンとはアン・リンドバーグのこと)

山を歩いていて、前方の霧がふいに晴れ、自分がめざしている方向が一瞬のあいだだけ見えることがある。小学生の私がプルタルコスの話に読みとったものは、どこかそんな旅人の経験に似たものではなかったか。もちろん霧はまたすぐにすべてを包みこんでしまうから、旅人は、自分がめざしていたのはたしかあっちのほうだった、というたよりない記憶だけにたよって、ひとり歩きつづける。


ふと、美智子皇后を思い出しました。
ご自身の幼少期の読書体験について話しておられるのをNHK教育テレビで見たような。
英語の講演だったかな?

須賀さんは美智子さんの先輩にあたります。家庭の雰囲気も似ているのでしょう。
優れた素質をもった女性が、恵まれた環境の中でその才能を花開かせた好例なのではないでしょうか。

今さらのように思ったのは、本というのは「読め」と言われて読むものではないということ。
読む子はほうっておいても読みます。
読まない子に「読め」と言ったところで、「読まされた本」は「肉体の一部」にはならない。
では大人はどうしたらいいのか。
月並みですが、環境を整えることでしょうかね。あと、大人自身が読書を楽しむこと。


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by foggykaoru | 2009-02-04 20:59 | エッセイ

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