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日本語が亡びるとき--英語の世紀の中で

水村美苗著。超有名なベストセラー。
私がベストセラーを、売れているうちに読むというのはめったにないこと(苦笑)

これもけっこう前、10日ぐらい前?に読んだのです。
ポストが遅くなったのは、忙しがっていたということもあるけれど、それ以上に私にとってはイタいことが含まれているから、書きにくかったということもあります。
読む前から、というより、副題を見たときから、予想はついていたんですけれどね。

読み応えがあります。特に後半の日本近代文学史あたりからは怒涛の勢い。筆者の熱い思いが伝わってきて、読み終わったときは「ふう」と息をついてしまいました。

筆者はアメリカ育ちのいわゆる帰国子女だけれど、アメリカ生活になじめなかったうえに、大学ではフランス文学を専攻している。日本でこういう本を書く人の多くは、日本語しかやっていない人、または英語メインの仕事をしている人(しかも英語LOVE!)なのだけれど、筆者はそうではない。英語をつきはなして見ることができて、もうひとつの外国語であるフランス語を理解と憐憫をこめて語ることができて、そしてもちろん日本人として日本語を心から愛している。この本が言語関連本とは一味違うものになった最大の要因はそこにある。

私はあまり日本文学を読んでいるわけではないのだけれど、漱石の「三四郎」は好きなんです。明治のインテリたちのにおいが好き。しかも主人公がインテリの「卵」である三四郎だから、とてもわかりやすい。ちょうど「長い冬休み」のドロシアのごとく。(限られた人にしかわからない比喩だ。)なおかつ三四郎は「天然キャラ」。笑えます。(これもドロシアに通じるところがある?) 今回、水村さんの解説を読んで、改めてフムフムと思うこと多かったです。(ランサムの言及があるわけではありません。あしからず)
二葉亭四迷の「浮雲」も読んでみたくなりました。

いろいろなことが濃く語られているこの本、最終的な結論は「学校でしっかりと読む国語教育をせよ。せっかく素晴らしい日本文学があるのだから、もっと触れさせよ」ということです。
「書く」だけではダメである、多少難しくてもちゃんと読ませろ、と。

そうですよね。
自分が書ける範囲内の文章にしか接していなかったら、向上はないのです。
頑張って読んでいるうちに、書くレベルだってそこそこ上がってくる。
(書かせなくていいというわけではないですが)

ウェブサイトを開設して早10年、自分が書いた文章を正しく理解してもらうことの難しさをしょっちゅう感じてきました。
もちろん、私の書き方が悪いところもある。
でも、いくらわかりやすく書いても、わかってもらえないこともあるらしいということも、感じています。
他の方の掲示板やブログで、的外れなコメントを目にすると、他人事とは思えません。コメントを残す人はごく一部です。つまり、同程度にわかってない人の数はその何十倍にものぼる。そう思うと愕然とします。
的外れなコメントに落ち込んだ経験のあるサイト主さんやブロガーさんたちになりかわって、ここで断言します。
読解力がない奴には何をどう書いても通じない。
(↑これは傲慢、不遜、問題発言です。でも、このブログでコメントしてくださるのは私以上に読解力がある方たちばかりなので、真意をわかってくださるだろうと信じています)

そう、これは文学作品に限ったことではないのです。
旧約聖書によると、神は傲慢な人間を罰するために、もともとひとつだけだった言語を、たくさんの言語にしてしまい、お互いに通じなくなるようにした、ということですが、たとえ言語がひとつしかなくても、人間は通じあわないのですよ。同じ言語を話していると、通じあっているという幻想を抱いてしまうのが厄介なところなのです。
通じる部分を多くするには、みんなして母語の力をつけるべく、努力していかなくてはならない。
国語の時間を減らして英語を増やすなんて、愚の骨頂です。
日本語で語れないことは、外国語でも語れないのです。
「外国人に道を聞かれたときに英語で答えられるように、小さいうちから英語を教えよう」ですって? やめてちょうだい。
子供は日本語でも道案内なんかしたことないんだから。中学で始めれば十分。
第一、日本に来たら日本語で道きくのが礼儀でしょ。もっと外国人に日本語を教えろよ・・・って、どんどん脱線してきりがなくなるのでこのへんでおしまいにします。

この本に関する情報はこちら

by foggykaoru | 2009-07-23 21:13 | バベルの塔 | Trackback | Comments(10)

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Commented by hami_tree at 2009-07-23 23:15
あう、耳が痛い・・・(苦笑)
文章を書いて相手に伝えるというのは、本当に難しいことです。
読書量の少ない私はボキャブラリーも貧困で表現力も乏しいですから。
そして読解力も弱いのです。。。
それでも、
>読解力がない奴には何をどう書いても通じない。
の、言わんとしたいことはわかります。
自分の表現力も問題もあるけれど、
通じない歯がゆさを何度も味わってきましたから・・・。
Commented by むっつり at 2009-07-24 00:05 x
ネットの世界の拡充に伴い英語がスタンダードに…
英語が苦手な私には辛いです

いつも的外れな私が言うのもなんですが、理解してもらうと言うのは難しいですね
誤解されないように長文にすると見向きもされませんし…

明治の小説って西洋の文化に触発されて日本語を大改造した結果ですね
明治のインテリ・文豪って、ものすごい仕事をしています
Commented by サグレス at 2009-07-24 00:15 x
>たとえ言語がひとつしかなくても、人間は通じあわないのですよ。
まったくです。学生の頃、倫理学の先生が、「自分の言葉と相手の言葉が同じだと思ったら間違いだ」と言っていらしたのを思い出しました。

母語に習熟する必要性の1つは、言葉によって人は物事を認識し、概念を作り出すから、でしょうね。抽象概念を作り出す程度に習熟できる言語は、ほとんどの人にとっては母語しかないわけで。
「がいねんって、なぁに? まだ食べたことないよ~」といういい年のヒヨッコと出会うと、「どうすりゃいいんじゃ」と頭を抱えたくなります。
Commented by foggykaoru at 2009-07-24 21:32
はみさん。
はみさんのお書きになる文章はとても明快だと思うんですけど。
わからない方が悪い!!!
Commented by foggykaoru at 2009-07-24 21:33
むっつりさん。
>誤解されないように長文にすると見向きもされませんし…
そのとおり。
読まないっていうか、たぶん、読めないんですよ。。(溜息)
Commented by foggykaoru at 2009-07-24 21:37
サグレスさん。
仕事でもよく「ああ、私の言ってることと、この人が言っていることは、言葉としては同じでも、違うんだよなあ」と思うことがあります。
でも、たぶんそういうことに気づく人は多くない。
気づかないほうが楽かも(苦笑)

>「がいねんって、なぁに? まだ食べたことないよ~」
そっ、それって・・・
学生ですよね? 
学生ならまだ許せるけど、社会人だったら・・・
やめてくれーーー
Commented by ケルン at 2009-07-24 22:40 x
この著者は、英語に親しみをもてないまま(きっと習得はして達者に使えるのだろうけれど)、ずっと大学まで行ったんですよね。かおるさんのいうように、英語信奉者ではないその距離感が大事なポイントですね。

『私小説 from left to right』という作品にもそういった居心地の悪さが描いてありました。この『日本語が亡びるとき』は、書店で読みはじめたらとまらなくなりそうだったので、立ち読みではなくちゃんと読もう、と思っています。

Commented by foggykaoru at 2009-07-26 21:20
ケルンさん。
恥ずかしながらこの本を読むまでこの著者は知らなかったんです。小説も面白そうですね。
Commented by meadow02 at 2009-07-26 22:57
私の友人の旦那は母国語C言語とまでいう人です。学歴もよくありません。若い時はとんでもない日本語で語録が出来たそうです。
奥さんの友人は今でも恥ずかしい場面があるそうですが、論理に優れ、危機管理に優れ、人の輪も取れるすごい人です。彼は住民説明などいろんな所へ引っ張られていきます。
言語って何だろうと思うと、論理をはっきりさせ相手に伝えることなんだろうなあと思います。
美辞麗句で飾るより、簡単ではっきりした言葉で、狙いを一点に絞って狙い撃つ言葉がいい言葉じゃないかなあ。

ここで、私は常に素っ頓狂で、斜め53度上を行ったコメントしかしてないから、偉そうなこと言ってごめんなさい。
Commented by foggykaoru at 2009-07-27 22:42
meadow02さん。
>母国語C言語
C言語って何? コンピューター?
よくわからないけれど、その人は言語が拙くても、きちんと伝えようという姿勢がしっかりしているんじゃないでしょうか?
あと、人柄も大切ですよね。
そういう力というのは、この本に述べられている書き言葉の問題とは違うような気がします。。。

書き言葉としての美しい日本語は、美辞麗句ということとは違うと思います。
美辞麗句というのは、表面だけが美しくて内容が空疎な言葉という意味ですから。
ほんとうに美しい言葉というのは、豊かな内容を持つもの。
「そういう日本語を目指す姿勢を失わないでほしい」というのが、著者の言いたいことではないかと思います。
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