「本を読む少女たち---ジョー、アン、メアリーの世界」(柏書房)
2005年 03月 21日

取り上げられている作品は以下のとおり。
題名、発表年、著者名、国の順です。
1)広い広い世界 1853 スーザン・ウォーナー 米
2)ひなぎくの首飾り 1856 シャーロット・ヤング 英
3)若草物語 1868 ルイザ・メイ・オルコット 米
4)ケティー物語 1872 スーザン・クーリッジ 米
5)鉄道の子どもたち 1906 イーディス・ネズビット 英
6)赤毛のアン 1908 ルーシー・モード・モンゴメリー カナダ
7)秘密の花園 1911 フランシス・ホジソン・バーネット 米
8)学校のおてんば娘 1917 アンジェラ・ブラジル 英
この本は古本屋で見つけました。8作品のうち4作品、ちょうど半分知っていたから買う気になったのです。つまり「ケティー物語」が決め手になったというわけ。
原題は"What Katy read"。つまり、「ケティー物語」の原題"What Katy did"のもじりです。この作品が、英語圏ではかなり知られた存在であるということがわかります。一方、日本語訳の副題の「ジョー、アン、メアリー」とは、「若草」のジョー、「赤毛のアン」、「花園」のメアリーのこと。
フェミニズムの専門用語の定義をきちんと理解しているわけではないのですが、そこはそれ、自分が女性なので、何が言いたいのかは感覚的にわかりました。わかったつもりです(苦笑)
未読の4作品の分析は、当然のことながら、あまりぴんとこないのですが、それぞれの作品が、書かれた時代の「女性のかくあるべき人生航路」を反映しているのだということは、よくわかります。子ども向けの本が「教え導く書」として生まれたので、初期の作品ほど教訓的な匂いが強いということも再確認しました。また、作家たちが、程度の差こそあれ、当時の児童文学の置かれた地位の低さを呪い、あがき苦しんでいたことも。
「ケティー物語」が、ほんの数年とはいえ、「若草」より後に書かれたということに驚きました。この2作品のうち、より新しさを感じるのは「若草」のほうだからです。ここにとりあげられた作家のうち、オルコットという人は急進的な性格の持ち主だったようで、それが作品の中に反映されているということなのでしょう。だからこそ、「若草」が人気を保ち続け、古典として生き延びたのだろうと思います。
一番良く内容を覚えている「アン」に関する章が、やはり一番興味深く読めました。自ら書きたくて書いたモンゴメリーは、珍しい存在だったと言えるかもしれません。当時の常識的な生き方を望み、実際そのように生きた彼女は、それほど革新的だったわけではないのですが、「アン」の中で、彼女は自分が読み親しんだ伝統的な少女小説のパターンを、次々と覆していきます。例えば、アンが髪を切らざるを得なかったシーン、塀の上を歩いて怪我をするシーン、等々。また、アンは失敗を通して成長していくわけですが、それは決して教訓的には語られていません。そこが「アン」の新しさであり、人気の秘密なのでしょう。思うに、モンゴメリーは本質的には体制順応型ではなかったのではないでしょうか。彼女の評伝は未読ですが、晩年は苦労の連続だったと聞いています。それには、外的な要因によるところが大きかったのでしょうが、彼女自身が、自分の本当の姿を(自分にすら)隠して生きたことも影響しているのではないか、と思ってしまいました。
「花園」に関しては、あまりよく覚えていないため、その分析も今ひとつ消化しきれていません。この際、ぜひ読み直してみようと思いました。10年ほど前、テレビで映画を観て、イギリスの雰囲気が濃厚に漂っていることに驚嘆し、新たな興味が湧いたのですが、再読には至らなかったのです。ちなみに、この作品は「感じの悪いわがまま娘」を主人公にしたという点において、児童文学史上、画期的だったと聞いています。
ジョー、ケティー、アン、メアリーに共通するのは、言葉を操る能力に長けているということ。腕力では男の子にかなわない女の子は、言葉によって世界を創造し、支配しようとするということなのでしょうか? 一般に女の子のほうが言葉が早いとか、言語能力は女性のほうが優れていると言われますが、そのことと関係があるのでしょうか? また、ケティーとアンは、「名付ける」力も持っています。名付けるということは、支配することです。
もう1つ、ヒロインの多くは、おてんば的な傾向を持ちます。ジョーはその典型。残りの3人も、決しておしとやかなお嬢様ではありません。おてんばなヒロインに読者が魅力を感じるということ自体、女性読者自身が女性性から脱却したいと思っている証拠なのかもしれません。また、これらの作品のうち、(メアリーはよくわからないけれど)ジョー、ケティー、アンには作者自身が投影されているのだそうです。「物書き」というのは、元来(男性にとっても)ヤクザな稼業とみなされていたのですから、世間の常識に忠実でしとやかな女性がするべきことではなかったのです。作者の分身であるヒロインがおてんば娘になったのも、当然の結果のように思えます。
おてんば娘という人物像は、北アメリカ文学に起源を持つのだそうです。そして、20世紀に入り、新しい教育思潮が生まれ、第一次世界大戦のあたりから、「女性の概念のアイデンティティの修正」が行われるに至って、「学園もの」というジャンルが確立していき、学校でもおてんば娘が活躍するようになります。
1930年代に入り、アーサー・ランサムという男性の作家が、「語り、名付ける少女」としてティティを、「おてんばなリーダー」としてナンシイを創造した、というのは、なかなか興味深い現象です。
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by foggykaoru | 2005-03-21 09:30 | 児童書関連 | Trackback | Comments(4)

>特に赤毛のアンは母親が好きで
うっ、、、私、お母様の世代だったりして(自爆)

私は「ひなぎく」に描かれた「ヴィクトリア朝の模範的な娘が選ぶべき人生」に非常にオドロキました。アガサ・クリスティーあたりを読んでいても、一昔前のイギリスのいいとこのお嬢さんの生涯独身率の高さが感じられますが、その背景にどういうモラルがあったのか、わかりました。