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イコンのこころ

高橋保行著。
1998年、ブルガリア旅行の前に東方教会(正教)に関する本を読んでいこうと思って探したら、この人の本しかなかった。
そのとき読んだのは「ギリシャ正教」と「東方の光と影」。
前者よりも後者のほうが楽に読めたような気がする。よく覚えていないんだけど。
著者は正教の聖職者、つまり神学のプロ、しかも(たぶん)バリバリのエリートなので、内容が深い。いくら易しく書いてあってても、すべてがすらすらわかるというものではない。でも、この人、よく噛み砕いて上手に説明しているのだろうなあ・・・と思った記憶がぼんやりある。

得た知識のなかで、今も覚えていることはふたつ。

その1
正教においては、右が優位だから、十字を切るときも、西方教会(カトリックとプロテスタント)のように「上→下→左→右」の順ではなく、「上→下→右→左」の順である。
この知識は役に立った。
ブルガリアでよくわからない教会に迷い込んだとき、けげんな顔をして出てきた神父さんに、たまたま出会った日本人の女の子(「ふゆき」という名前です)と私は正教式に十字を切った。すると彼は「はっ」として、「どうぞ奥へ」と通してくれたのである。。。

その2
あと、正教では「聖母マリア」ではなく、「生神女(しょうしんにょ)マリア」と呼ぶ。神を生んだ女。
この知識が特に役に立ったことはない。

で、今回のこの本。

イコンとはひらたく言えば正教の宗教画。
一般に正教の教会というのは、内部に入るとどことなく東洋的で、親しみを感じる。その大きな要因はイコンなのである。西欧の宗教画と違う。写実的とは対極にあって。
だからこの本を手にとってみたわけである。

著者は言う。
「イコンは絵画ではなく、絵画はイコンではない。
イコンは書くものであって、描くものではない。
祈りの延長上にあり、作者は名前を記さない。
作者の多くは修道士。
書き方の「手引き」があって、その手引きと先輩の修道士の導きに従って、同じように書かれてきた。そうでないものはイコンではない。
色使いなどにも決まりごとがある。
写実性などは問題外。むしろ写実的だと祈りの邪魔になる。
影なんかつけてはいけない。聖人は来世に属しているから、影なんかない。
それに対して、西方教会文化圏で描かれる宗教画は、画家の個人的解釈の表現である。
たとえば、ラファエロの描く宗教画は、ラファエロの世界で、ラファエロの描くキリストは、彼の理解の化身にすぎない。
イコンというのはそんな俗っぽいレベルのものではないのである。
また、写しとか印刷されたものも、イコンはイコン。
オリジナルであるかどうかを問題にする西洋絵画とはそこも違う」
以上、私という個人が理解し得たことでした。

神学上の問題にも触れられていて、そのあたり、私にはいっぱいいっぱいでした。

たとえば
「ギリシャ正教における来世とは、時間的にも空間的にも、この世の終わりにただ静止して待つ世ではない。キリストによってすでにこの世にもちこまれてこの世の生活に写しだされつつある来世である」
とか。

正直、きつかった。
ふうふう言いながら読んだ。
最後のほうは理解しようという気力も萎えてしまい、斜め読みで終わった。。。

ところで、
「イコンを書くことイコール祈り」「祈りつつ書かなくてはいけない」というあたりを読んで、ベルギーのゲントで見た「神秘の子羊」のことを思い出した。
運よく日本人ツアーの団体と一緒で、日本語ガイド付きで見ることができたのだ。
「作者ファン・アイク兄弟は、毎日沐浴と祈りをしてから描いたのです」というガイドの説明を思い出すと同時に、だったらイコンの仲間に入れてあげてもいいのではないか・・・と一瞬思ったけれど、技法が違うからダメなのですね、きっと。フランドルに実際に存在する草花とかも描かれているし。イコンには聖人以外登場させてはいけないのだから。・・・じゃ、子羊自体、NGなのかな?

この本は1981年、春秋社刊。
入手したいなら、ユーズドしかありません。


「神秘の子羊」に関しては、メインサイトの「世界の美術館を斬る」コーナーの中の「ベルギーの美術館」に記述があります。どうってことない感想文ですが、非常に感動したことだけはわかります。

by foggykaoru | 2009-08-31 22:15 | 西洋史関連

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