西洋音楽史--「クラシック」の黄昏
2010年 01月 07日
正月に実家に帰ったときに見つけて読んだのだが、非常に面白かった。自分で買おうかと思っているくらい。
著者があとがきで言っているとおり、西洋音楽の歴史を新書1冊にまとめるなどということは、無謀な企てなのだろう。でもこの本は大成功の部類に入るのでは。
著者の岡田暁生という人は、大学の先生で、以前は一般教養の西洋音楽史を担当していたそうだ。面白い講義だったんだろうなあ。
印象に残ったことを以下に列挙する。[ ]内は私の感想。
1)そもそも、音楽は「音を楽しむ」などというものではなかった。グレゴリオ聖歌の時代は「聞いて心地よい」ことなど念頭になかった。
[何かの本に「カトリックは音楽面でプロテスタントに負けた」と書いてあったけれど、「音楽は楽しくて心地よい」という新しいコンセプトとともにプロテスタントが生まれたんだから、最初から勝負はついていた、というわけね。]
2)バロック音楽において、バッハというのは「本道」ではなく、かなり特殊な存在である。彼と同時代の音楽家と、彼の音楽は違う。
そして、バッハの偉大さは二つある。
第一に「とにかく書けた」ということ。「この偉大さは作曲家でなければわからないだろう」とのこと。
第二に、彼の曲が演奏家にとって面白いということ。著者がどう表現していたか、正確には覚えていないが、要するに「弾いて面白い。それも運動として楽しい」ということらしい。
[わかる気がする。バッハはきちんと練習して弾くと、とても楽しいのです。でも練習していないと全然弾けない。]
3)メロディーを高音部(ピアノで言えば右手)が担当する、という、今の私たちにとっての常識は、ごく近代になって生まれたものである。
4)クラシックというと「静かに真面目に拝聴する」というスタイルは、遅れてやってきた音楽大国ドイツのやり方であり、それ以外の国、つまりイタリアやフランスでは、もっとユル~い雰囲気で楽しむものだった。
[ちょっとドイツが恨めしい。]
5)成金の市民階級がクラシックを愛好するようになり、音楽なんてろくすっぽわからない連中にウケるために、超絶技巧の曲が作られるようになった。
[ええっ、わざと難しい曲を書いたなんて・・・! えらい迷惑。]
6)クラシックの発展と繁栄の歴史には、アングロサクソンは登場しない(イギリスに市民階級がいちはやく誕生し、クラシック音楽の大衆化のさきがけとなったのは事実だが、早い話がたいした作曲家はいなかった)けれど、今の世界を席巻しているポップスは、逆にアングロサクソン中心のものである。
[このこと自体は、なんとなくわかっていたのだけれど、改めてこういうふうにはっきりと説明されると、自分も世界史の大きな流れの中にいるのだなあと実感する。]
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by foggykaoru | 2010-01-07 22:06 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(3)

たとえばパガニーニという一人の達者なヴァイオリニストのために、作曲家たちが争って難しい曲を書いたそうで、それで世の中の「技巧的に難しい曲」のレベルはずいぶん上がってしまったことでしょうね。今だって、超絶技巧といわれる人の演奏は、言い方はわるいけど見せ物とか曲芸のような感じがすることがあります。
バッハの曲の演奏が運動として楽しい、というのは、なんとなくわかる気がします・・・というか想像できます。
いまの音楽、ポップスはアングロサクソンかもしれないけれど、R&Bはまた違いますよね~
面白いです。手元にあればお貸しできるんですけどねえ。
>R&B
アングロサクソンが黒人をも取り込んだという形ですね。
でも実質的には、黒人が白人だけのものだった音楽を変えた、つまり黒人が勝利したようなものなのでしょうが。
それにつけても、英語発信なのが悔しいです(苦笑)
