ホテルアジアの眠れない夜
2010年 05月 04日
ずっと前から知っていたけれど、旅行人関連の本は読まず嫌いしていた。(「悪くないかも」と思い始めたのはこれがきっかけです。)
初出1989年で文庫化1994年。それを古本屋で買ったわけなので、海外事情に関しては古いところが目につくけれど、彼の言うことには共鳴するところが多い。
たとえば、
「貧乏旅行でなければ、その土地のことがわからない」は間違いである。
とか
「旅が教えてくれたこと」それは「自分自身のこと」である。
とか。
私がそういう考えにたどりついたのは、たぶん、今から10年ぐらい前。
「旅が教えてくれるのは自分自身」というのはもっと後。たぶん今から6,7年ぐらい前。
1989年の時点でいち早くそう言いきれたというのが旅の先駆者たるところ。(蔵前氏は私と同い年)
(以下は蔵前氏の言葉ではなくて、私見である)
同じ地域で同じくらい貧乏な旅をしても、見聞きして感知できることは人によって違う。人それぞれアンテナが違うのだから。(たとえば私は理系分野が弱く、動植物のことはまるでわからない。)だから貧乏旅行をしても何もわからないことだってありうるわけで。
それに、社会の中には貧乏でない部分もある。それもその社会の真実なのだし、それを見るにはそれなりのお金を使わなければならないわけだし。
「旅は自分自身がどういう人間なのか」ということを教えてくれる、ということは、いわゆる「自分探しの旅」という言葉につながる。
数年前にイラクに旅行に行って殺された若者も「自分探し」するために戦闘地を旅しようとしたらしいけれど、なにもそんなところに行かなくても、どこでも「自分探し」はできる。ただ、日常とちょっと違う環境に身を置いたほうがやりやすいのは確かだ。だから外国に行くのはかなり有効な手段ではある。でもわざわざ危険な場所に行く必要はない。そんなところまで行かないと自分が見つけられないというのは、アンテナの感度が低すぎるということ。
by foggykaoru | 2010-05-04 10:13 | エッセイ | Trackback | Comments(8)
詳細はURLに…
旅行に出かけても、自分は自分ですものね
自分にあった旅じゃなければ疲れるだけですし…
どれだけ経っても旅人はよそ者なのも現実…
自分探しもあるだろうけど、何カ国か行くと「人が行かないところに行く自分」に酔う人が多いような(特にバックパッカー)気がします。
この言葉には2つの意味が込められています。
「自分が知らない事柄(物事)を知るために」というのと、
「自分がなにも知らない人間なのだということを知るため」。
後者が
>「旅が教えてくれたこと」それは「自分自身のこと」である。
に当てはまる感覚なのだと思います。
旅を続けていけば、また違ったことを思うようになるのでしょうか?
それもまた旅の楽しみのひとつかな^^
へええ。
湖水地方一帯はナショナル・トラストが管理しているという意味で、努力してあの美しさを保ってきているのだから、観光客が協力しても悪いことはなかろうと思います。
日本人のツアーに限らなくてもいいと思うけど。。。あそこにツアーで行くのは日本人だけなのか?!
>「人が行かないところに行く自分」に酔う人が多い
それは言えるかも。
私もそのケはあるかも。
「人が行かない国」には行かない(行けない)けど、、「人がそこまでは細かく回らないところ」にを丹念に回るということに力を注ぐというか。
日本人は団体でやってきて、湖水地方の自然を荒らして帰っていく、
だからもう入れないようにしたい・・・という話がでていたそうです。
ツアー客全員がマナーが悪いわけではないと思いますが、
ツアーは連れて行ってくれる→だからその国のことをいちいち勉強しない
的な図式で、目に余るようなことをやっちゃう人が少なからずいたのでしょう。
今回の寄付金ってその流れからきたのかな、なんて思います。
やっぱりあそこに団体で来るのは日本人だけ、ということなんですね。

