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19世紀のロンドンとパリの音楽事情

最近読んだショパン関連本がきっかけで、19世紀ヨーロッパ、特にロンドンとパリの音楽事情に興味が湧き、たまたま読んだオースティン関連本を通じて、ほぼ同時期のイギリスの政治状況を知りました。そしてふと、かなり前にこんな本を読み、それに関連したことを書き散らかしていたことを思い出しました。読み返してみると、どうやら、ヴィクトリア朝のイギリスは、ヨーロッパ中の音楽家であふれかえっていたらしい・・・

このあたりの英仏中心の年表をまとめてみました。赤字がイギリス関連、青字がフランス関連。

1760ジョージ3世即位
1775ジェイン・オースティン誕生
1789フランス革命
1804ナポレオン、皇帝になる
1810ジョージ3世発病、皇太子が摂政となる/ショパン誕生
1814ナポレオン退位・王政復古
1817ジェイン・オースティン死去
1820ジョージ4世即位
1830ウィリアム4世即位/7月革命・7月王政
1831ショパン来仏
1837ヴィクトリア女王即位
18482月革命・第2共和制/ショパン、英国に避難
1849ショパン、パリに戻って死去

イギリスのリージェンシー(摂政時代)と、フランスの王政復古はほぼ同時期。
どっちもピアノとかサロンに似つかわしい感じ。
だから、音楽家の集合状況は似たりよったりだったかも。

というわけで、想像の混じったとりあえずの結論:
イギリスは19世紀全般にわたって、フランスはナポレオン失脚後、ヨーロッパの音楽界をリードし、ロンドンとパリは各国の音楽家が集う2大都市だった。
両国とも、自前の音楽家が育ったのはそれより少し後。フランスはサン・サーンス、ラヴェル、フォーレ、ドビュッシーなどを生んだ。もっと後にはエリック・サティもね。イギリスは・・・私が知っているのはエルガーだけ。
音楽家を育成する点において、コンセルヴァトワールを作ったフランスのほうがちょっと勝っているようだ。
イギリス人は、もっぱら「音楽を聴く」という点で、音楽界に貢献した。


ちなみに、
コンセルヴァトワールのサイトはこちら
いきなり音楽が流れるので、職場からアクセスしないように(笑)
「のだめ」ですっかりおなじみになった、あの校舎が見られます。

by foggykaoru | 2010-07-05 22:15 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(2)

Commented by サグレス at 2010-07-06 22:24
>イギリス人は、もっぱら「音楽を聴く」という点で、音楽界に貢献した。
ということは、良い演奏家も昔から沢山いたかもしれませんね(今も多いけれど!)。名手が多かったかどうかは別としても、アマチュアからプロまで、演奏家の層が厚かったとか。そうでなければ頻繁に「聴く」ことはできないでしょうから。
Commented by foggykaoru at 2010-07-07 20:08
サグレスさん。
キーワードは「中産階級」。
いち早く産業革命を経験したイギリスに、いちばん中産階級が育っていたということのようです。
ピアノのレッスンなんてのは、まさに中産階級の間に流行ったんです。お嬢様の証!というわけで。
戦後の日本は、中産階級というより、「中流のつもり」階級の親が、せっせとピアノを習わせたんですよね。。。かくして私のような人間が増えた・・・(苦笑)
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