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フィレンツェ

1966年刊の中公新書。若き日の高階秀爾氏が(たぶん)気合を入れて書いた本。
「ブックオ○」にて105円で購入。

お買い得だった。でも、万人向きではない。
ルネサンス期のフィレンツェの歴史になじみがあり、フィレンツェゆかりの芸術家の代表作品を知っている人でないと、ちょっとつらいだろう。
大学で美術史を勉強している人にはぴったり。(実際、もと美術史専攻だった友人に「この本、貸そうか」と紹介したら、大喜びして持っていきました。)


以下は備忘録。
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豪華王と呼ばれたロレンツォ・デ・メディチが死去したのが1492年。
つまりコロンブスのアメリカ大陸発見の年。
つまり、大西洋に港を持つ国々による、大航海時代の幕開けである。
それと期を同じくして、オスマン・トルコが居座るわけで、つまり、地中海を舞台としたイタリア都市国家による東方貿易の終焉を意味する。

透視画法をいちはやく取り入れたことで知られるマサッチオ。
彼は栄光のクワトロ・チェント(イタリア語で400の意味、つまり1400年代)の初頭の人で、27歳で世を去った。
個人的に、この人の絵は「普通の絵」に見えてしまって、いまひとつ興味が湧かない。
それよりも、平面的で華麗なビーナスや春を描いたボッティチェルリやら、色っぽいマドンナを描いた破戒僧フィリッポ・リッピやら、清らかな壁画を修道院の壁に描いた敬虔なフラ・アンジェリコやらのほうに魅力を感じる。
そして、「遠近法を見慣れた目には、それ以前の絵に面白さを感じるからだろう」と思いこんでいたのだが、実はマサッチオのほうが古い人だったのである。
マサッチオはフィレンツェ美術史において、孤高の先駆者みたいな存在で、クワトロ・チェントに大輪の花を咲かせた芸術家たちは、フィレンツェ独自のスタイルを追求していった人々だ、ということらしい。

フィレンツェは共和制。
ロレンツォが権力をふるうこともあったけれど、原則的にはすべてが合議で決まる。芸術のコンクールが盛んに行われたが、シロートの集団が審査するわけなので、ピントはずれなこともなきにしもあらずだったらしい。
優れた芸術家をはぐくむ環境は整っていたけれど、彼らはみんな、世に出てからフィレンツェを離れてしまい、二度と戻らなかった。
その大きな理由は、
1)ロレンツォが芸術家を外交戦略のコマとして使った
2)東方貿易の衰退によってフィレンツェが没落した
3)シロートが小うるさくて、切磋琢磨して世に出るまでは良い環境だったけれど、抜きんでた一人前の芸術家にとっては居心地がよくなかった
ということらしい。

3についてだが、フィレンツェの人々の好みは女性的で装飾的な芸術だったそうな。
なるほど。
フィレンツェの町自体にそういう雰囲気が漂っている。私は大好きなんだけど。(また行きたいな)
ボッティチェルリなんか、まさにその典型だと思っていたら、なんと彼の作品は「直線的で男性的」と評されていたんですとさ。
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この本、てっきり絶版かと思ってたら、今も刊を重ねてるロングセラーなんですね。
情報はこちらです。

by foggykaoru | 2010-10-18 22:23 | 西洋史関連

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