ハプスブルク三都物語
2010年 12月 13日
三都とはウィーン、プラハ、ブダペストをさす。
とても読みやすいので入門書としてお薦め。
読んだはしから忘れてしまうのだけれど(涙)
かろうじて覚えていることをメモ。
・マリア・テレジアの息子であるヨーゼフ2世はいろいろ改革を行った。葬式のやり方についても。「棺桶は使いまわしすべし」とか。えらく不評だったそうだ。モーツアルトのあの葬儀のやり方は妻コンスタンツエのせいではなく、法律に基づいたものだった。
・モーツアルトを認めた都市はプラハ。ウィーン市民と違って、プラハ市民は彼の死を心からいたんだのだそうだ。
・ブダペストに温泉施設がたくさんあるのはオスマン・トルコの置き土産。
・ナチスドイツはユダヤ人音楽家の作品の演奏を禁じた。シュトラウスもユダヤの血を引いていたということを、ナチスはつきとめ、ゲッペルスにもその報告は行ったのだけれど、その事実は封印された。シュトラウスの音楽を否定することはナチスにさえできなかった。
・ウィーン・フィルは国立歌劇場(シュタッツオーパー)のオーケストラのメンバーの中から選ばれる。歌劇場での演奏だけでも年に300回あるから、ウィーン・フィルとしての活動は著しく制限される。定期演奏会の回数が非常に少なく、しかも日曜の昼間だという理由はここにある。
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by foggykaoru | 2010-12-13 20:12 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)


名前をぱっと見ると、Brati slava なので、スラブの兄弟という意味かと思い、ググりましたが、結局はっきりせず。
ブレスラフ2世が築いたとか書いてありますね。
どんどん話がずれますが、ナブラチロワは、「返した」さんだとチェコ語の教授に聞きました。世にも珍しい動詞の過去形の名字なんだそうです。
na-vrat-il-ov-a (接頭辞+take + 過去語尾 + 姓をあらわす接尾辞 + 女性形)
全然関係ないなー(汗)。
そう、ウィーンからいちばん行きやすい町は、ザルツブルクでもリンツでもなくて、ブラティスラヴァ。
動詞の過去形とは面白いですね。
英語でtookさんとかいそうだけど・・・指輪ネタか(自爆)
madeさんは、、、メードじゃないって(爆)