ヨハン・シュトラウス
2010年 12月 21日
旅行の事前研究のために読んだ。
息子のほうのヨハン・シュトラウスの生涯よりもむしろ、彼が生きた頃のウィーンの歴史や世相が中心。副題の「ワルツ王と落日のウィーン」のほうがこの本の内容を正しくあらわしている。
かなり面白い。この前読んだ本の5倍は面白い。
終盤に差し掛かったところで、旅行自体が危うくなってちょっと水を差されてしまったのだが。
ヨハン・シュトラウスが死んだのは1899年、つまりぎりぎり19世紀。
覚えやすいし、彼の音楽にふさわしい感じがする。
近世ヨーロッパの中心はフランスとオーストリア、つまりパリとウィーンだったのだということが改めてわかった。(イギリスは?ロンドンは?と突っ込まれるかもしれないけれど、あれはヨーロッパの脇にある島)
強い王権(ハプスブルク家は王家ではないけど、まあ似たようなものだ)のもとで繁栄し、華麗な文化が花開いた。
その後、市民階級が勃興し、彼らが貴族のやっていたことを真似する。
それがカフェやオペラなど、今、私をはじめとする日本人が憧れるヨーロッパ文化。
だから今も世界中から観光客がやってくる。
つまり遺産で食っているという点もこの2つの都市に共通している。
メッテルニヒ体制というのは、政治的には不自由だけど、経済は自由だった。
目はしのきく人々はせっせと稼いで成り上がれる。なんだか今の中国みたいだ。
でも、一番強く感じたのは、落日のウィーンが今の日本にオーバーラップすること。
でも日本の場合、バブル期の遺産で今後100年も食っていけるとは思えないのが悲しい。
今後の日本の「ウリ」はマンガやアニメぐらいしかないかもよ。あれは立派な日本文化だと思います。大切にしていくべきなんじゃないでしょうか。
この本に関する情報はこちら
「オーストリア」というタグを作るほどではないと思うんだけど、「ドイツ(語)」にしたらウィーンっ子が怒るだろう。「東欧」のほうがマシのような気がする。ほんとうは「中欧」なんだけど。
by foggykaoru | 2010-12-21 22:11 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(10)

オーストリア・ハンガリー帝国はローマ帝国の末裔ですから
日本は常に辺境ですし…


これまでウィーンってあまりピンとこなかったのですが、今年はヨハン・シュトラウスに一歩近いたことと、旧東独&音楽の都ドレスデンを知ったことで、興味が出てきました。なんてったって数々の音楽家が過ごした街でもあるし。
>ヨハン・シュトラウスが死んだのは1899年、つまりぎりぎり19世紀。
>覚えやすいし、彼の音楽にふさわしい感じがする。
ほんとですね。
同じ1899年、ケストナーとヘミングウェイが生まれました。二人とも20世紀の激動とともに生きた作家。
旅行に向けて色々読まれた中にも出てきたかもしれませんが、歴史学の分野には「長い19世紀」という時代概念があります。ウィーン体制から第一次世界大戦終戦までを一続きとして捉えるわけです(これに対するのが第一次大戦後~1989年までの「短い20世紀」)。この感覚を持ってウィーンに行くとより楽しめる…と私は思います。
もし帰国後に関連書をもっと読んでみたくなったらら、ぜひツヴァイクの『昨日の世界』を読んでみてください。彼の自伝であるとともに、この時代に対する挽歌でもあります。
ちなみに、先日お話ししたカフェはハヴェルカといいます。気が向いたらどうぞ。ここは20世紀のお店です。
>ウィーンってあまりピンとこなかったのですが
ぢつは私も・・・昔行ったことがあるのに。
あのときは夏で、とにかく暑かった。
そしてヒットラー信奉者のおじいさんに出会ったこと以外覚えていないのです(苦笑)
第一次大戦までがヨーロッパの世紀なんですよね。
ツヴァイクは「マリー・アントワネット」しか読んだことないです。たぶん。
彼の自伝ですか。それは面白そう。
ハヴェルカ、地球の歩き方に載ってました。ケーキがおいしいオシャレなカフェ、というイメージとは違うみたいですね。
