鹿鳴館の貴婦人 大山捨松
2011年 06月 21日
帰国後、18歳年上の陸軍卿・大山巌の後妻となり、鹿鳴館の花形として知られ、津田梅子の英学塾創立を手助けしたりした・・・ということは知っていたので、新鮮な驚きは少なかったが、ここまで優秀だったとは知らなかった。なにしろ、名門ヴァッサー女子大の卒業生代表としてスピーチを発表したのだ。すごいじゃありませんか。
そんな優秀な人でも、帰国後の日本では、結婚する以外の道はなかったのだ。本当は仕事をしたかったけれど、そんな場はなかった。日本語が下手なのもネックになった。
「日本が戦後処理を考えて戦った唯一の戦争」が日露戦争だとは聞いていたけど、その中心が大山巌だったとは知らなかった。
薩摩出身の彼は、才色兼備の捨松を見込んで結婚を申し込んだ。会津藩士の娘なのに。捨松は大山と何回かデートして、その人柄に納得した上でOKする。彼は若いときフランス留学をしていて、話題や価値観が合ったのだろう。とても仲がよかったという。
ちなみに、著者の久野明子は、大山巌の先妻の娘のひ孫にあたる人。
捨松が大山と結婚したのは、そうすることによって、仕事はできないにしても、「お国のためになることができる」と考えたから。実際、津田英学塾の前には、華族女学校(女子学習院)の創立にもかかわったし、それこそ、鹿鳴館で良きホステス役を務めたし、日本初のバザーなんてことを上流階級夫人によびかけて催したり。
もちろん、もしも男性だったら自分が大臣になって日本の政治を推し進めるぐらいのことはできただろうけれど。
「時代」の抑圧の中で、自分にできる最大限のことを知性によってなしとげた女性の一生。「すごい」と感嘆すると同時に、ちょっと切ない。
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by foggykaoru | 2011-06-21 22:11 | 伝記・評伝 | Trackback | Comments(6)

> 「時代」の抑圧の中で、自分にできる最大限のことを知性によってなしとげた女性の一生。「すごい」と感嘆すると同時に、ちょっと切ない。
同感です。

思いがけなく知っている作品だったのでちょっと驚いてかなり嬉しい。
久野明子さん。
以前働いていた協会機関紙の取材でお会いしました。
日米協会の役員をされていらっしゃいました。
この作品、TBSでドラマ化したのですが、著作者としてかなりブーイングなところが...と盛り上がりました。
まず、主役の発音がなんともならんと、そして津田梅子役だった壇ふみさんの発音はさすがだったとか...。
とにかく懐かしくも思いである作品です。
大山という人物、こういう人が今の日本には本当に必要だとしみじみ。12月、坂の上の雲、3部。楽しみに注目したいです、大山さんに。

結婚するしかなかったって、映画「マイ・フェア・レディ」でオードリー・ヘップバーンが結婚を勧められて「貧乏でも体だけは売らなかったのに、上品になったら体だけしかないの?!」と嘆くシーンを彷彿とさせます
女性は男性の付属品程度に考えられていた時代ですね
中学の時に英語の授業でミセスの使い方を説明し(ミセス・ジョン・スミスだなんて!と絶叫)、その夫人の従属的な事からミズを奨励していた先生が居た事を思い出しました
ウーマンリブ運動が産んだ造語ですがMsなんて完全に消えましたね
なんと、最近お読みになったんですか?! 私は古本屋で見つけたのに。
>あの時代でなかったら、もっと活躍できたかもとも思うし、あの時代だから、あのような形で活躍できたのだとも思う。
同感です。
結婚というのは社会制度ですよね。
今みたいな「好きな人と一緒になる」というのは、結婚の基本でもなんでもない。今、非婚時代になったのは、まさに「好きな人と」が原則になってしまったからで。。。
Msは消えてなくなってませんよ。
海外通販とか、海外旅行の手配のとき、Msという選択肢は必ずあります。
フランス語はいまだにMademoiselleとMadameだし、ドイツ語もFrauとFrauleinの区別です。
ウーマンリブみたいに戦う気はないけれど、英語のMsみたいな呼称があったほうがありがたいです。区別されるのが嫌というより、面倒くさい。