阿刀田高著「楽しい古事記」(角川文庫)
2005年 05月 04日
さすがに天の岩戸とか、ヤマトノオロチとかはよく覚えていたけれど、オオクニヌシノミコト、海幸彦山幸彦、ヤマトタケル等々となると、名前以外は忘却の彼方だったので、ほんとうに勉強になりました。しかも、単なる紹介ではなく、阿刀田氏によるわかりやすい解説付き。たとえば、ヤマトタケルという人が実在したわけではなく、朝廷が各地を制圧していく際、いろいろな人によって行われた征伐を、ヤマトタケルという1人の人物の物語に集約したということであるとか。
私はこういう解説を読むのが好きです。
つまり、神話や伝説そのものにロマンを感じるというよりも、歴史が好きなのです。
葦原の中つ国ができた経緯も、一応知っていたけれど、まとまったものを読むのはこれが初めてでした。いろいろ感慨がありました。特にヨーロッパとの比較において。ヨーロッパ各地にも「国造り」に関する伝説や神話はたくさんあったのだろうけれど、後世、キリスト教一色に染め上げられてしまったため、今も残っているものはかなり少ないのではないでしょうか。単に私が知らないだけかもしれないけれど。
古事記に収められている神話だって、朝廷側の都合でかなりねじ曲げられてしまっているらしいけれど、ケルトの信仰が一神教のキリスト教に変質させられたことと比べたら、大したことではないのでは。「八百万の神」という基本理念(!)は保たれているのだから。
島国だということも幸いしたのだろうけれど、同じ島国であるイギリスだって、ローマ化され、キリスト教化された上に、ついにはフランスのノルマンディーからやってきたウィリアム(仏名ギヨーム)に征服されてしまったのだから、ブリテン島の土着の神話なんて消え去ってしまっている(と、トールキンという人は嘆いている)。
そう考えてくると、日本というのは、自前の伝説・神話がかなりきちんとした形で残っているという点で、世界でも特に幸運な国なのかなと思ったりして。
・・・なんだか、すごく平凡な結論で申し訳ありません。でも、つくづくそう思ったんです。
でも、せっかく時代を超えて生き延びてきたものを、学術的に究めることができない現状を、残念に思います。
たとえば、古墳の中を調べられない。
なまじっか天皇制が健在なせいで。
というわけで、もうそろそろ天皇制やめてもいいんじゃない?と思ってしまったというのが、今日の最終的な結論です。
皇室って大変そうですしね。雅子さんを見よ。皇后陛下だって、今でこそお元気ですが、以前声を失ったりしてますし。その一方で、日本にはろくな政治家がいないから、外国とのおつきあいの専門職として、皇室は存続させたほうがいいという意見もあります。それもわからないでもないんですけどね。。うーむ。
この本に関する情報はこちら
by foggykaoru | 2005-05-04 20:52 | 日本の歴史 | Trackback | Comments(2)
「たくさんの神が居る」と答えたら「たくさん?!どれくらい?」
と聞かれて、めんどくさかったので
「800人くらい」と答えたらしい。
800万とか言ったら卒倒モノだし80柱は中途半端で
更なる質問に発展しそうだし、“たくさん”の表現で
ヤオヨロズ・・・微妙。
ウチは神道らしいんですが、分家なので正式な
行事は見たコトありません。島国のあるいみ単一民族
と言ってもいいのに神様だけは、いろいろと折り合いを
着けて複合されて行ったのは面白いですよね。
信仰だから宗教とは違うのですよね^^;
同じ島国でも英国とはエライ違いです(笑)
トールキン先生が、日本の生まれだったら
“シルマリル”はどんな創世神話になっていたか
想像すると面白いです(笑)
皇室・・・カタイですよね~どこかの欧州の王国
みたいに、なんでもアリに近くなれば面白いのに。
無理だろうけど・・・(苦笑)
「日本人は古来、外国の文化のうち、自分が気に入ったところだけを選んで、どんどん取り入れてきた」ということが、今読んでる本に書いてあります。神様も「タイプ!」と思ったのだけ、取り入れたんでしょうね。
どこかの王室、なんだかんだ言って、丸くおさまっているらしいところがすごいです。
ダイアナさんと違って、インテリで理性で物事を処理できる人を迎えたから、絶対に大丈夫だと思っていたのにね。でも、なまじっかインテリだけに、問題が表面化したときは根が深いのかも・・・とも思ったりします。