鈴木孝夫著「私の言語学」(大修館)
2005年 05月 06日
この手の本は、もう二度と読まないだろうと思っていたのに。
思えば言語学という学問の存在を知ったのは、鈴木氏の著作
「ことばと文化」
「閉ざされた言語・日本語の世界」
を通じてでした。若かかりし私は、なんと面白い学問があるのかと感動し、その道を歩もうと決心したのです。
しかし間もなく、氏の言語学が、社会学や文化人類学などといった、他の学問との関連が深い領域であることを知りました。つまりそれは狭義の言語学には属さない、周辺領域だったのです。言語学という学問は、基礎の勉強がえらく難しくて、しかも退屈なのです。(少なくとも当時の私にとっては。)そのうえ、当時の言語学界は、チョムスキーという人が提唱した、妙な等式を使って文の構造を解明するという文法論が幅をきかせ、それがわからない人間は身の置き所がない
という状況。こんなことは私には向かない!道を誤った!と思いました。(その後、言語研究は、狭義の言語学だけではやっていけなくなり(悪く言えば、行きづまった)、研究者たちの興味は、むしろ周辺領域の方に向かっていった…はずです。私は最近その方面にはとんと疎いので、あんまり信用しないでください。)
それでも、言語学を通じて得た知識や概念は、そこそこ頭に残っていて、今の私の一部になっています。あの退屈な勉強は決して無駄ではなかった。でも、今また言語学を勉強し直したいかと問われたら、否と答えるでしょう。難しすぎます、言語学は。
この本は鈴木氏の語りを文章化したものなので、非常に読みやすい。また、「言語学」と銘打ってはいるものの、言語学そのもののことは、たいして書いてありません。でも、そういう本だからこそ、氏の経歴や研究方法が明かされているわけで、そこが面白く読めました。
鈴木氏はもともと動物学を研究していたのだそうです。だからこそ、当時はまだ一般的でなかった周辺領域の先駆者となり得たのでしょう。学問はあまり早いうちから専門化しないほうがいいという好例です。
また、普通の研究者は、言語学の基礎概念を一生懸命頭に叩き込んで、それに沿った研究をするだけですが、氏はそういう行き方とは全く違う人だったのです。大量の文学作品に読み、その中から、言語として面白い現象を見つけだし、独自の切り口で分析をする。ご本人曰く「コロンブスの卵」を発見するわけですが、若かった私は、それに憧れた。でも、それができるのは、アンテナの感度が抜きんでて鋭い人だけだということが、今となればわかります。第一、天才をもってしても、面白い現象を見つけだすには、想像もできないほど大量の読書の裏付けが必要なわけです。鈴木氏のような言語学をやりたいと思ったのは、とてつもなく大それたことだったということを、この本を読んで、改めて思い知った次第です。
この本に関する情報はこちら
by foggykaoru | 2005-05-06 21:51 | バベルの塔 | Trackback | Comments(0)