音声言語と文字言語
2005年 05月 12日
鈴木氏は語ります。
人間の言語は音声言語。当たり前だと思われるかもしれないけれど、他の動物のコミュニケーションの方法には、音声を仲立ちとしていないものもある。たとえば「匂いつけ」。匂いというのはそう簡単には消えない。けれど、人間の言語は、言ったはしから消える。消えるということは、短所なのか。否、消えるからこそ、同じところにいて、次々と重ねられる。音が消えなかったら、走るか駆け回ってしゃべらなければならないし、聞く側も走り回らなければならない。
その音声言語を記録するために、文字が発明された。これはもちろん、進歩である。
従来、音声言語と文字で書かれた言葉の間には、はっきりとした線が引かれていた。
ところが今、その境界線が曖昧になりつつあるような気がします。インターネットによって。
ネットで書き散らかされる言葉、これはいったい何なのでしょうか?
メールは一応、手紙の一種なのですから、従来の言語使用感覚からはそれほどかけ離れていない感じがします。どれほど文体がくだけていようと、手紙は手紙。
ウェブサイトの言語はどうなのでしょう?
私の感覚では、書き言葉です。(文体がどうという意味ではなく)記録するというはっきりした意志に基づいて書かれているからです。少なくとも、私のサイトでは。「旅とらトラ」は過去の旅行の記録ファイルであって、決してリアルタイムのものではない。
私の場合、息切れしないようにと、あえて更新を週1回と決めているということもあります。
ブログは…少なくともこのブログは、記録なのでしょうね。なにしろ備忘録なのだから。
文筆業でない人間が、自分の文章を、こんなに簡単に世間様に向かって発表することができるなんて、夢のような嘘みたいな状況です。楽しみでやっているので、感謝こそすれ、文句を言う筋合いではないのですが、それでも、こんなことは間違っているのではないか、という考えが頭をよぎります。「旅とらトラ」のテキストは、今や膨大な量にのぼります。文字言語は音声言語と違って消えないから、古いものを意識的に削除しない限り、ひたすら増えるばかりなのです。でも、なんでも増えすぎるのはよくないこと。「文字公害」とでもいうべきもののお先棒をかついでいるのではないか、という気さえしてきます。
ネットにおける言語活動としては、もう1つ、チャットがあります。
チャットに参加しているとき、なんとも言えない感覚を覚えます。文字を媒体としているのだけれど、記録されなければならないほどの内容ではない。本来、声を出して喋るべきことを書いているのは、現時点における技術的な問題からそうせざるを得ないのにすぎない。
でも、文字であるということは利点でもあります。
声だったら、誰が言ったのか、判断しにくいこともあるけれど、チャットの場合、いくらみんなが一斉に発言しても、個々の発言が誰のものであるかは、明白だからです。
「本来、音声言語としてその場で消えていくべきだったお喋りが、文字となる」ということは、人間の歴史において、文字の発明と同じぐらい、革命的な出来事なのではないでしょうか。チャットのログは消えていくけれど、それでも、一定時間、文字として記録されます。消えてしかるべきであることが残るということが、人間の精神にどのような影響を及ぼすことになるのか、私たちはまだ知らないのです。
by foggykaoru | 2005-05-12 20:23 | バベルの塔 | Trackback | Comments(2)
Blog, 今年知ったツールですが、その深さと広さにびっくりしたり・・・
インターネットができたのと同じくらい、Blogができたこと、文字業界・出版業界・広報、色々な分野に影響与えてますよね。プラス、、そう人々のライフスタイルにも・・・
大きな影響を感じながらも、まだまだ考えることが多いツールです。
チャットは一般的には井戸端会議という位置づけではないでしょうか。好きじゃなかったらやる必要なんてありません。
ただ、何かについて、遠く離れた数人で相談しなければならないときは、現段階において、最も効率がいいのがチャットなのかもしれません。
ウェブサイトを数年やってから、ブログを始めたので、その微妙な違いを興味深く思います。ブログの最大の利点はトラックバックできることではないでしょうか。他の人のブログを見ていて、「ああ、私のサイトに、トラックバックできる記事があるのにな」と残念に思うことがあります。