私的東北応援キャンペーン旅行(4)
2012年 05月 09日
今日のガイド兼ドライバーを引き受けてくださったのは仙台在住のfu-gaさんです。
まずは石巻の先の女川へ。
写真は撮れなかったのですが、石巻の海沿いの道の脇には廃車の山が延々と続いていました。あんなにたくさんの廃車を見たのはチェルノブイリ以来です。
女川と言えば原発。
女川原発と言えば「女川原発は福島原発とは違い、津波の被害を受けず、避難住民を受け入れた」という報道を聞きましたが。
行ってみて言葉を失いました。
町が無いのです。

家々が並んでいたと思われる平地には、土台、そして数えるほどの建物が残っているだけ。しかもその建物はひっくり返っています。

fu-gaさんによると、ここは液状化現象が激しかったそうで、しっかりした構造の建物だけがそのままの形でごろんと倒れたのでしょう。
市街地を見下ろす丘の上に医療センターがあります。
いくらなんでもここは無事だったのだろうと思いきや、津波は医療センターの1階まで達したとのこと。
丘を登りきっても、助からなかった人がいたのです。

津波はこれより高かった。
女川原発が津波でやられなかったのは奇跡だったのではないでしょうか。

医療センターのそばの仮設カフェでコーヒーをいただきました。こくがあってなかなかのお味でした。
女川港は、気仙沼と同じく「天然の良港」。
うっとりするほど美しい入り江でした。

fu-gaさんによると、市町村合併により石巻市の周囲の市町村はみな石巻になったそうです。
唯一、石巻と合併しなかったのが女川。
原発で潤っているから他と一緒になりたくないと。。。
私的東北応援キャンペーン旅行(5)へ続く
by foggykaoru | 2012-05-09 19:55 | ちょっとおでかけ | Trackback(1) | Comments(14)


犠牲になられた方々のご冥福を祈ります
私も行って見てみたいなと思いました。
時間が経つと復興も進んでくるだろうから、なるべく早いうちに。
でも東北って遠い・・・(ため息)
今年はお遍路さんをやっているから時間を作りづらいのです。
(海外旅行も行けなさそう・・・)


かつては多分、山間を抜けると広い町並みが見えたのだと思います。それが全部なくなったものですから、向こう側の山まで、ずーーーっと、建物の基礎だけ残っている真っ平らな土地があらわになっていました。
南三陸町では、人が集中して住める平たい土地は、津波に襲われた所だけでした(三陸海岸の他の地域も同様でしょうが)。家を再建するにしても、巨額のお金を投じて高い堤防を作るか、あるいは山を伐り開いて宅地を造成するか、なのではないかと思います。
私は東京ならあんまり遠いとは思わないんですよ。
飛行機で1時間ですから(^^)
でも東北は東京まで行って、そこで乗り換えなければいけないので、
行くのが大変だなあって思っちゃうのです。
以前は高松-仙台便があったんですけどね・・・。
お遍路はまとまった時間が取れるようになったときにどうぞ♪
そういえば今、足の不自由なフランス人が歩き遍路をしているらしいです。
石巻の海岸沿いの住宅地跡を見て、仙台の南のほうでしたでしょうか、海岸沿いの道路を走っていた車が逃げ道がなくて、見る見るうちに津波に襲われていた映像を思い出しました。
広い平らな土地だと、逃げる場所がなかったんですよね。
その点、平らな土地が少ない三陸の集落のほうが、かえって避難のしようがあったのかな、高台がそばにあるから・・・などと考えたり。

今回見た町はどこも大きな被害を受けているけれど、女川が「割合」としては一番のような印象を受けませんでしたか?
残った家屋は何パーセントだったのだろうか、とか、無事だった住民は全体の何パーセントだったのだろうか・・・とか、思ってしまいます。
なにしろあの高台に登っても無事でいられなかった人がいるくらいですから。

石巻は人口が多いので亡くなられた方も多いですが、三陸の町も被害は大きいですね。
また、あまりテレビで報道されない、宮城県南部の山元町も人口に対する犠牲者の数は多いです。
沿岸部の集落、一見残らずさらわれてしまいました。私のかつて住んだ家も土台だけです。本当に何も無くなってしまいました。本当にショックです。
女川の銀行。以前行った時はカメラを向けることが出来ませんでした。
若い頃、かすかに接点のあった方が、そこに勤務されていました。今回は、建物の撤去が新聞報道にあったので、一枚だけカメラに収めました。
もう、あんな災害は起こらないで欲しいです。