芸術のパトロンたち
2013年 05月 11日
高階秀爾著。
ルネサンスから現代に至る、芸術(家)とそのパトロンの歴史。
面白かったのは前半。
フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)の彫刻が、今で言うコンペで決定したのは知っていたけれど、2作品をしみじみ見比べることができた。新書だから小さい写真だけど。どっちがいいのか判断がつかなかった。高階さんも甲乙つけがたいと言っている。でも選ばれたほうは中空で、安く作れたんだって。なるほどね。
フィレンツェではメディチ家など、個人もパトロンになったのだけれど、彫刻など、費用がかかるものはさしものメディチさんでも手が届かず、個人はもっぱら画家のパトロンだった(「メディチ家の礼拝堂」はすごい彫刻づくしだけど)、、、というあたり、フィレンツェで見たさまざまの作品を思いおこしながら納得して読んだ。
「ラ・ボエーム」とか、モディリアニの悲劇などで知られる、芸術家の困窮は近代の産物。
昔の芸術家は、大物の工房で働いていて、とりあえず若くても食べることだけはできた。
そのかわり、宗教画とか、偉いさんの肖像画とか、仕事は選べなかった。
近代になって創造の自由を得た代わりに、保証を失ったわけ。
印象派が広く認められるようになったかげには、目利きの画商という存在がある。
そもそも画商というのは近代の産物。
近代以前は、優れた芸術作品は有力者の私有財産だったから、一般人の目に触れるチャンスはほとんどなかった。見るには相当なコネが必要だった。芸術家肌の庶民にとって、教会の宗教画は貴重だったのだろう。「フランダースの犬」のネロくんのように。あれすらネロくんは見せてもらえなかったんだけど。当然、流通だってしなかった。
美術館というのも近代の産物で、フランス人の発明(=革命の産物)だというくだりを読んで、「そうかやっぱり」と腑に落ちた。
私はメインサイトで「世界の美術館を斬る」というコーナーをやっている。普通に感想を書いただけなのに「辛口コメント」と評されることが多くて驚いたんだけど。そのコンテンツを作りながら「フランスは美術館の国だ」と、しみじみ思ったものだ。(それに対してイタリアは「美術の国」であって、「美術館の国」ではない。)
いくら革命を起こしても、国民挙げてかなりの美術好きでなければ、美術館なんて思いつかないはず。フランス人って根っからの美術好きなんだなあ。ある国や地域の文化とか国民性とか民族性って不思議で興味深い。
残念なことに、この本、時代が下るとどんどん退屈になる。あくまでも私個人の感想ですが。
やっぱり岩波新書はあんまり合わないのかも、なんて思ってしまった。
なんとなく中公新書のほうが好きなんです・・・。
この本はユーズドでしか入手できないようです。
by foggykaoru | 2013-05-11 09:06 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)
彫刻のパトロンで、やっぱりサンピエトロ大聖堂はトンデモナイと思いました。今、あんな大きさの大理石あるのかしら。
史上最強のパトロンであるローマ教皇のことももちろん書かれています。
なんだったっけな。。。
システィナー礼拝堂を作ったのはミケランジェロとラファエロと教皇誰それ(←忘れた・・・)である、とか。

