名画で読み解くブルボン王朝12の物語
2013年 11月 04日
『怖い~』はいまひとつだったけれど、その後読んだ『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』はけっこう面白く、「もしかして、この人の本は美術ものではなく、西洋史ものとして読むべきなのか?」と思い始めたところだった。
そしてこの本。
これがとても面白い。
私自身が、西洋史の中でもいちばんフランス史に興味があるせいなのかもしれないので、客観的にほんとうに面白い本なのかはわからない。少なくとも、私程度にフランス史を知っている人には絶対にお勧めです・・・って言っても、みなさんには全然判断がつかないですよね、ごめんなさい。
読んだあと、『ハプスブルク家12の物語』とつきあわせながら再読しました。ヨーロッパの王家のつながりがとってもよくわかって実に面白い。
ルイ14世の父親はマザランだった可能性大だそうです。
優秀なDNAなくして太陽王は生まれなかったし、フランスの栄光の時代もなかった。
一方、スペインのハプスブルク家はが近親婚を繰り返しておぞましい終わりを迎えた。
スペインの宮廷の雰囲気が浮気を許さなかったのか?
スペインはカトリック化が遅かった。レコンキスタを果たしたら、わりとすぐにスペインの栄光の時代がやってきてしまった。だから宮廷が堅苦しかったのかな?
フランスの王侯貴族の女性は、結婚するまではがんじがらめだったけれど、結婚したら遊んでよかったのですよね。もちろん浮気相手の子供ができてしまったら、相当まずいだろうけれど、そうなってもうまくとりつくろえばいいのだ。たぶん。
そもそもリシュリュー、マザランは二人ともバチカンの枢機卿。
この二人が来たのはフランスにとって相当ラッキーだったようだ。
スペインにはそういう人は来なかった。なぜ?
フランスのほうがバチカンとつながりが深かった?
当時のスペインというのは地の果てみたいな存在だった、ということなのかも。なにしろ「ピレネーの向うはアフリカだ」なんて言われたぐらいだから。
だから王家に釣り合う結婚相手を見つけにくかったのかも。
考えてみれば、オーストリアのハプスブルク家では、バイエルンとかポーランドとか、同等ではないけれどまあまあ我慢できる程度(ポーランドは相当格下だったはずだけど)の結婚相手を見つけることができた。だから近親婚の被害者のような皇帝は出なかった・・・ということなのかな?
いろいろと興味がわいてきて尽きません。
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by foggykaoru | 2013-11-04 11:56 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)
さらに、フランスは「言うこと聞きますから地獄に送らないでください」的な?時代から、ローマ教皇にとって友だったり敵だったりしていますけれど、スペインが力を持ったのはルネサンス前夜くらいだったのでは?? お互いの関係性も違うのでしょうね。
楽しいですね~~
スペインの悲劇はスペインにまったく愛着を持たない人が君主になったからだ、というのはどこかで読んだことがあります。
あんな飛び地みたいな領土を治めるなんて、無理だったんですよねー>ハプスブルク家