角山栄著「茶の世界史---緑茶の文化と紅茶の社会」
2005年 07月 12日
読んだ本のことを早く書かないと、内容を忘れてしまうので。。。
RotKの方は完璧に頭に入ってるから、1日2日おいても大丈夫(苦笑)
前半はヨーロッパ人が茶と出会ってからの歴史、特にイギリスの歴史。
後半は日本茶の歴史、おもに開国以来の歴史。
西洋史好きの私が面白く読んだのはもちろん前半です。
緑茶を乗せて航海中に、自然発酵して紅茶になった、というのは真実ではないそうです。真実が何なのかは書いてないのですが。
当初、薬として輸入された茶が、オシャレな飲み物として広まったのは、チャールズ2世にポルトガル王女キャサリンが嫁いできたこと。彼女がイギリスに東洋趣味を持ち込んだ。
加えて、イギリスの水は、大陸の水と違い、茶を淹れるのに適していた。
ほぼ同時期に入ってきたコーヒーもかなり流行したが、ジャワとセイロンでコーヒー栽培を始めたオランダとの国際競争に敗れ、イギリスは紅茶一辺倒になる。
そのうち、茶にミルクと砂糖を入れる飲み方が考案される。
砂糖を得るために、西インド諸島にプランテーションを作る。そのために必要になったのが奴隷。
イギリスへの茶の貿易に対して、外国船を排除してきた「航海条例」が1849年に廃止されると、アメリカを始めとする外国船がどんどん参入し、クリッパー船が建造され、ティ・レースが行われる。スエズ運河ができると、茶貿易の航路が変わり、ティ・レースも消滅する。「カティーサーク号」が進水したのは、スエズ開通6日後なので、この有名な船は、なんと一度もティ・レースに参加できなかったのだそうな。
茶は中国から輸入していたのだが、この東洋の大国は、何が無くて困っているということがない。だから、貿易が今ひとつ活発化しない。そこでアヘンを売りつけることにする。
それと平行して、どこかで自前の茶を作れないものかと探しまわっていたら、ついにインドで茶の原木を発見。こうして、インドは茶の一大産地となる。
インドにもともとあった優れた綿産業は壊滅させられていた。産業革命以降、イギリスで綿製品を作ることになってから、邪魔な存在になったから。
というわけで、うまい具合に失業した織布工を茶園で働かせることができた。
イギリスが「日の沈まぬ帝国」として世界に君臨できたのは、植民地の維持・管理がうまかったからで、要するに悪辣だったからだということが実によくわかります。
その原動力が「お茶を飲みたい」ということだったとは。イギリス人って、決して口がおごっているタイプではないのに・・・(←非常に控えめな表現だ(爆))
現在のインドの貧困は、イギリスの植民地支配にその端を発しているところが少なくないと言われます。
謝罪と賠償、しなくていいんでしょうかね。。。
実をいうと、私にとって、この本の最大のツボは、茶とは関係ないことでした。
当時の船乗りの最大の敵は壊血病。
そのうちに、柑橘類が壊血病に効果があることがわかってきた。
でも、ただでさえ狭い船。柑橘類のジュースを積み込むのは、なかなかできることではない。
それをいち早くやったのが英国海軍だった。
水夫たちにはレモンジュース入りラム酒が配給されるようになる。レモンジュースが高価だったからラム酒で薄めたのであり、それは「グロッグ」と呼ばれた。。。
どうです、面白いでしょう?>ランサマイトの皆さん
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by foggykaoru | 2005-07-12 22:24 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)
まぁイギリスはヨーロッパ・中東・アフリカのこじれの原因を作っていますね。あんまりEUでは好かれていませんが、日本では評価が高いようです。

いくら身体に良いからと言ったところで、レモンジュースだけだと、酸っぱすぎて飲めないでしょ。きっと水夫が飲まずに捨てることが多かったから、ラム酒を混ぜることにしたんじゃないかしら。