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わが青春のハプスブルク

副題は「皇妃エリザベートとその時代」
「マリー・ルイーゼ」の著者・塚本哲也による歴史エッセイ。タイトルどおり、自らの青春時代も回顧してます。

塚本さんの本は読みやすいです。
ただ、このお方、「ブリリアント」という言葉が妙にお好きなんですよね・・・
「マリー・ルイーゼ」とかぶるところがもちろんあるけれど、思ったほどではありませんでした。
西洋史に興味がある人にはお薦めします。

シューベルトの生涯あたり、ウィーンに行ったときに彼の家を訪ねているので、興味倍増。
(その旅行記はメインサイトの「旅日記」の中の「のだめカンタービレの旅」に掲載してあります)

話題は現在のオーストリアとかハンガリー、チェコあたりだけではなく、ハプスブルク支配地域全体に及ぶので、イタリアやイタリア人の話題も出てくる。ヴィスコンティとか。
現在の国境で論じてはいけないんだな、という、当たり前のことを今更ながらに感じました。

実はハプスブルク文化圏の内陸部の街並みはそれほどツボでない私。
(あまり路地裏が無いので、路地裏フェチには物足りないのです。私のイチオシは地中海沿岸の路地裏)
でもザルツブルクとその周辺の自然の美しさを思い出し、今度はインスブルックに行きたいと思いました。

今までオーストリア関連の記事のタグを無理矢理「東欧」としていたのですが、やっぱりこれは単独タグが必要。「オーストリア」か「中欧」? うーん・・・

そうだ、「ハプスブルク」にしよう!

この本は・・・あらら、ユーズドでしか購入できないのでした。

by foggykaoru | 2015-05-16 08:20 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)

Commented by むっつり at 2015-05-16 09:10 x
戦乱が当たり前の時代に、その見事な政治力で権勢を確保したのがハプスブルク家というのが、私のイメージ
カエサルの子孫を自称するだけあって、その広大な領土はローマ帝国崩壊以降では、フランク王国ぐらいしか思い当りません。
神聖ローマ帝国の実質的な支配者でしたから、神聖ローマ帝国と言われても解らない人が多いですが、ハプスブルクと言えば多くの人が聞き覚えがあると言うのが現実ですよね
Commented by ふるき at 2015-05-16 10:44 x
18世紀末、様々な民族の人達が集っていたコスモポリタン都市ウィーン。領地に民俗や言葉の統一を迫らなかったハプスブルグだったので、民族衣装を着た人達がそれぞれの言葉を話していた空前絶後の街だったそうですが、想像するだけでワクワクします。
Commented by foggykaoru at 2015-05-17 09:24
むっつりさん。
この本の著者である塚本さんは「ハプスブルク帝国」と呼んでいます。
歴史の専門家もそう呼んでいるのかどうかはわかりませんが、そう呼ぶのが合っているのかな、という気もします。
Commented by foggykaoru at 2015-05-17 09:25
ふるきさん。
当時のウィーンは、今とは外観的には全然違っていて、今よりもはるかにしょぼかったのでしょうけれど、実質的には世界の都だたのですよね。
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