更新を怠り、読んだ本がたまっております。
もう何がなんだかわからなくなりかけてますが、とりあえずこの1冊。
文化人類学者・梅棹忠夫の、言語学習の記録というか思い出というか。
文化人類学のフィールドワークのためには、研究しに行く土地の言葉を知らなければどうしようもないので、「道具」として言語を学習しなくてはならない。
というわけで、梅棹さんはどんどんいろんな言語を勉強するわけです。
頭いいなー
どうってことないエッセイだけど、言語に興味がある人には楽しめると思います。
そしてしみじみと、
高野秀行さんは、きっとこういう学者になりたかったんだろうなあ
と思いました。
言語学の大物・泉井久之助のエピソードもある。
忘れちゃったんだけど(涙) とにかくすごいなあと思ったことだけ覚えている。
そうそう、彼と外国人の誰かさんの共通語がラテン語だったから、ラテン語で交流していた、、、とかなんとか。もう目が点。
最後のほうで、梅棹さんは「日本語はローマ字表記にしたほうがいいんではないか」なんて暴論を吐いていらっしゃいます。あんなインテリでもそんなこと言うんだ・・・
それはそうとして、
彼の文章は妙にひらがなが多くて、かねてから奇異な感じを受けていたのだけれど、ようやくなぜそうしているのか、気がついた。
漢字は、あくまでも音読みをするときしか使わない。訓読み、つまり和語は全部ひらがなで書く、という基準を自らに課している。
気づくのが遅すぎる?
それはそうとして、ちょっと前に「京都ぎらい」なんて本を読んでしまったために、梅棹さんの名前を聞くと、あ、この人は京都人、それも京都の中の京都人で、京都のはずれの出身者に対しては理不尽な「いけず」な一面を見せていたんだよね、、、など思ってしまうようになった私なのでありまする。