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「フランス中世歴史散歩」

著者はペルヌー姉弟。姉というのはフランス中世史の語り部レジーヌ・ペルヌー女史。彼女はこんな本も書いてます。その弟も物書きだったとは。インテリ姉弟なのねえ・・・。

人名・地名が容赦なく出てくるので、フランス史の入門段階を終えた人向き。

「この地方で最も美しいステンドグラスがある教会はどこそこ」といった記述が多いので、フランスのマニアックな旅のネタ本としてかなり役に立ちそう。

ただし、ちょっと読みづらいところがある。翻訳に難があるような気がしないでもない。ただし、あとがきによると、これは抄訳なのだそうで、読みづらい原因はそのあたりにもあるのかも。


以下は純粋に自分のための備忘録。

・中世の国王というのは、定住の地を持たなかったという話
中央集権化して初めて、国王は自分の宮殿で落ちついていられるようになったのであり、それまでの数百年間、家来や召使いをぞろぞろひきつれて、自ら諸侯のもとをまわっていたのだと。いやーご苦労様。

・パリ大学発祥のこぼれ話
当時の学生の共通語がラテン語だった。だから、ソルボンヌ界隈を「Quartier latin カルティエ・ラタン(=ラテン地区)」という。ここまでは知っていた。が、学生たちは郷里を同じくする仲間と仲良くなり、4つのグループができあがった、というあたりは初耳。しかも、その4つのグループというのが、フランス、ノルマンディー、ピカルディー、そしてイギリス。
フランスというのは、おそらく、パリ近郊のイル・ド・フランス地方のことだろう。
ノルマンディーとピカルディーというのは北フランスの地方なのだが、そこにイギリスが加わっているというのが、私にはツボだった。中世においては、やっぱりフランス北部とイギリス南部が一つの文化圏だったんだなあ。
さらに、学生たちの多くは貧乏暮らしで、下手をすればホームレス状態?だった。それを目撃したイギリスのお金持ちが「コレージュcollege」という寄宿学校を作った。つまり、イギリスのオックスフォードやケンブリッジの「コレッジ」の起源はパリにあった。
(英仏の大学の歴史が気になって、少し調べてみました。詳細はこちら

・フランス語の「チーズ」の語源
「形作る」という意味のformerの名詞形なので、ほんとうは「formageフォルマージュ」だったが、その後「fromageフロマージュ」になった。
・・・だからイタリア語の「チーズ」は「formaggioフォルマッジョ」だったんだ!!

・中世フランス・イギリス史のヒロイン、アリエノール・ダキテーヌに関して
彼女ゆかりの文化財が多いのは、アキテーヌ地方の中心地であるボルドー周辺ではなく、むしろポワトゥー地方なのだそうだ。

・ブルターニュのアーサーの悲劇
アリエノールの有名な息子はリチャード獅子心王とジョン欠地王。ジョンは四男。三男だったジェフリーはブルターニュ地方をもらった。彼の死後はその子アーサーがブルターニュを引き継いだ。リチャード獅子心王の死後、イギリス国王になる資格はアーサーにもあったわけだが、イギリス人はフランス育ちのアーサーでなく、オバカで性格の悪いジョンを選んでしまう。そして、アーサーはジョンの手にかかって死ぬ。


この本に関する情報はこちら

by foggykaoru | 2006-04-18 20:34 | 西洋史関連

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