イギリスとフランスが、イギリスともフランスともつかなかった頃のこと
2005年 01月 21日
ところがなんと、「大英帝国とロンドン」に概略が書いてあったのです。感謝感激!
以下、古代におけるブリテン島の民族興亡史のおさらいです。
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大昔 先住民がちらほら住んでいた。ストーンヘンジもこの時代。
紀元前5世紀頃 ゲール人が来る。
紀元前3世紀頃 ブリトン人が来て、ゲール人は征服される。
その後 ベルグ人が来て、ブリトン人は征服される。これまで来たのはみんなケルト族。
紀元前50年頃 ローマ軍が来て、ブリテン島を占領。征服ではなくて占領。つまり服従しさえすればよかったので、案外平和な時代だった。
その後 ローマ人が退役すると、地元民によって補充されたので、占領軍は実質的にブリトン人の軍となる。ローマの混乱とともに、ローマ軍が退却していく。つまり多くのブリトン人が去る。
紀元4世紀以降 いわゆる「ゲルマン民族の大移動」の時代。防御が手薄になったイングランドに様々な民族がおしよせる。北部に押し込められていたケルト系民族、たとえばピクト人(!)が攻めてくる。すると、「北方蛮族からイングランドを守る」という名目で、サクソン人やアングル人が攻めてくる。
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このときサクソン人と戦った(ことになっている)のがアーサー王。
ということは、彼はブリトン人、なのですね、たぶん。
他民族がやってくるたびに、被征服民は、西へ西へと逃れていった。ウェールズの山間とか。
その後のイングランドの歴史を年表で確認しました。
( )内はフランスの情勢です。
とは言え、タイトルにあるように、英仏両国はまだまだイギリスともフランスともつかない状態。わざわざ分けるほうがおかしいのだろうと思います。
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(768年 フランク王国のシャルルマーニュ即位。)
789年 ノルマン人、初めてイングランドに侵入。
800年頃から約200年間 ノルマン人、ヨーロッパ各地を荒らす。
(843年 フランク王国三分。フランス・イタリア・ドイツの基となる。)
850年頃 デーン人のイングランド侵入始まる。
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この頃のイギリスで、デーン人と戦った人として、有名なのはアルフレッド王。
ノルマン人というのは「ノール(=北)から来た人」という意味。
ノルマン人のうち、今のデンマークあたりにいた一派がデーン人。
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(911年 デーン人の酋長ロロ、ノルマンディー公となる。)
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要するに、海賊(いわゆるバイキング)の長であったロロに、フランス国王が「もう頼むから略奪しないでくれ。その地方の領主にしてやるから。でも、国王は私だからね。ちゃんと忠誠を尽くしてくれ」と言ったのであります。
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980年頃 デーン人のイングランド侵入再び活発化。
(987年 ユーグ・カペー即位。カペー朝始まる。)
1066年 ノルマンディー公ウィリアム(仏名ギヨーム)、イングランドを征服、ウィリアム1世となる。ノルマン王朝の始まり。
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ノルマン王朝の名の由来は「ノルマン人」ではなくて、「ノルマンディー」なのです。
当時のフランスのカペー朝は弱体でした。ノルマンディーという一地方の領主がイギリスの国王になったという事実は、この後のフランスにとって大きな脅威となります。
ウィリアム1世の後をその息子が継いでヘンリー1世となります。
ヘンリー1世は嫡子を失ったので、娘のマティルド(またの名モード)を後継者に指名して死にます。マティルドの夫ジェフロワはアンジュー伯。アンジューはフランスの一地方。
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1135年 スティーブンの戴冠
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スティーブンはウィリアム1世の娘の息子、すなわち、ヘンリー1世の甥。彼が王位継承権を主張し、さっさとウェストミンスターで戴冠式を行ってしまったのです。スティーブンはブロワ伯。お父さんがブロワ伯だったから。ブロワというのは、ロワール河畔の町です。つまりこれもフランス。
ちなみに、ウェストミンスターを牛耳っていた高僧はヘンリーは、スティーブンの実弟。
ウィリアム1世の息子の娘(=マティルド)と娘の息子(=スティーブン)の王位をめぐる争いの始まりです。
この頃、シュルーズベリーにカドフェルという修道士がいて、数々の難事件を解決した(ことになっている)のです。
・・・ということで、次回はお薦め本のご紹介です(^^;
by foggykaoru | 2005-01-21 20:58 | 西洋史関連 | Trackback