ウェブスター著「続あしながおじさん」
2006年 05月 31日
にわかに「あしながおじさん」を読んだのには、わけがありました。
この春、歴史おべんきょモードに入っていて、西洋史関連書を立て続けに数冊読んだのですが、ある日、自分が疲れていることにふと気づいたのです。
しばらくの間、歴史のお勉強から離れたい!
いわゆる普通の小説を読みたい!!
こうして、かねてから「大人になってから読むとまた面白い」という評判を聞いていた「あしながおじさん」を手にとってみたのです。
で、「続あしながおじさん」ですが、、、
主人公のサリイは、著者ウェブスターそのものなのでしょう。
言うなれば、これはウェブスターの自伝。
そして彼女はこの作品を書いた翌年に40歳の若さで亡くなっています。
早すぎる死であると言えますが、それでも、この作品を書くことができたのは、彼女にとって幸せなことだっただろうと思います。
さらに、アメリカにおける、社会福祉の歴史をかいま見た気がしました。
高等教育を受けて、高い能力と広い視野を持ちながら、自分で稼ぐ必要のない「いいとこのお嬢さん」たちが、大学で得たネットワークを生かしながら、実入りという点では決して良くない社会福祉の担い手として活躍したのです。
「能力があるけれど自分で稼ぐ必要のない人々」は、貧乏人のねたみとそねみの的になりがちですが、そういう人々の存在というのは、社会にとって案外有益なのではないでしょうか。
この社会にはお金にならないけれど必要なものはたくさんあります。社会福祉だけでなく。文学研究なんていうものも、「働かないと食っていけない」という庶民だけでは、今ひとつ深めていけないような気がします。
日本の場合は、明治維新後に高等教育機関ができ、良家の子女が女子大に行くようにはなったけれど、そこで学んだ女性がサリイのように活躍するには、第二次世界大戦が起こるのが早すぎたように思われます。
というようなことをいろいろ考えさせてくれたのです。
そういう小難しいことは考えたくないから読んだのに。
結論として、現在の私の精神状態に合っていたのは「あしながおじさん」のほうでした。
純粋な創作として軍配があがるのも、「あしながおじさん」のほうだと思います。
「続」は自伝的小説ですから。
でも、本というのは、読む人の好みによって、また、同じ人でも、読むときの精神状態によって、感動のしかたがが変わるもの。
あとになって読み返したら、今度は「続」のほうが気に入るかもしれません。
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by foggykaoru | 2006-05-31 21:30 | 児童書関連 | Trackback | Comments(3)
『続』のほうが小手先の細工が少なくて正直なような気がしませんでした?
ま、今読んで感想が変わらないかどうかは自信ありませんけど。(笑)
「あしながおじさん」にコメントを寄せてくださった方々の多くが、「続」のほうがお好きだとおっしゃっていたので、変に期待しすぎたのかしら・・・
でもやっぱり、主な原因は私。
小説を読んでいても、気楽に楽しまないで、歴史との関連を探したがるのがいけないんだと思います。
これはもはや「悪癖」かも。
『続』のほうを好きだというのは、人気のないほうに対する一種の判官贔屓なのかもしれません。

