人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「ロック・ユー」を観て英仏の歴史を調べる

映画「マスター&コマンダー」を観て以来、すっかりポール・ベタニーにハマってしまっている私でして、ポールの出世作である「ロック・ユー」も、いつか観てみたいと思っていました。
最近、テレビで放映されて、ようやくその願いが叶えられました。
観てしまったら、1回では物足りないし、ポール演じるチョーサーの口上を、吹き替えでなく、生声で聞きたい、、ということになり、DVDを買ってしまいました。
だったらもっと早く買えよって・・・思いますよね、自分でも思いますもの。

そして、またもや英仏の歴史を調べたくなってしまって。
今までにまとめたことはこちらこちら


1215 (英)マグナ・カルタ制定
1216 (英)ジョン欠地王、りんご酒の飲み過ぎと桃の食べ過ぎにより死去。ヘンリー3世即位
1223 (仏)フィリップ2世(尊厳)死去。ルイ8世即位
1226 (仏)ルイ9世(聖ルイ)即位
1253 (仏)ロベール・ド・ソルボン、パリに寄宿学校を作る(ソルボンヌ大学の前身)
1270 (仏)ルイ9世、十字軍(これが最後)に行って死ぬ。フィリップ3世即位
1272 (英)エドワード1世即位
1284 (英)ウェールズ併合
1285 (英)スコットランド征討始まる
*イングランドが着々とその勢力範囲を広げていった時代なのでしょう。十字軍をやめたお陰でその余裕ができたのか?

1285 (仏)フィリップ4世(美顔)即位
1312 (仏)十字軍の時代が終わって、フランスに本拠を移したテンプル騎士団、フィリップ4世にぶっつぶされる
*その結果、テンプル騎士団の財産は没収されたのだけれど、「いやいや、まだどこかに財宝が隠されているに違いない、そうあって欲しい」と思う人が少なくなくて、繰り返し小説や映画のテーマになっている。

1314 (仏)ルイ10世即位 (英)バノックバーンの戦い!(スコットランドの独立)
1316 (仏)ジャン1世即位、そしてフィリップ5世即位
1322 (仏)シャルル4世即位
*こうしょっちゅう国王が変わるなんて、フランスはジリ貧感が濃厚です。

1327 (英)エドワード3世
1328 (仏)シャルル4世死去=カペー朝断絶(カペー朝って? プランタジネット朝じゃないの?と混乱したけど、プランタジネット朝はイギリスだったのでした。ケルンさん、ありがとう)フィリップ6世即位=ヴァロワ朝の始まり
1338 (英)エドワード3世、ノルマンディ上陸。(英仏)百年戦争の始まり
1340頃 (英)ジェフリー・チョーサー生まれる
1347~1351 ヨーロッパ全域で黒死病流行
1358 (仏)ジャックリーの乱
*戦況は悪いわ、ペストは流行るわ、農民一揆は起こるわで、フランスはまさに泣きっ面に蜂。

1370 エドワード黒太子、リモージュ占領
*映画「ロック・ユー」によれば、この頃、ロンドンの屋根葺き職人の息子・ウィリアムが、身分を偽って馬上槍試合で活躍する。
30才くらいになっていたジェフリー・チョーサーは、半年ほど、ウィリアムの紋章官としてその弁舌の才を発揮。ウィリアムのことを「十字軍で活躍した」とか紹介したりする。(あくまでも「ロック・ユー」によれば)彼はこの半年の経験をもとに、後になって「カンタベリー物語」を執筆したことになっている。
ウィリアムのライバルであるアンジュー伯アデマーは百年戦争で忙しくて、槍試合の大会に参加できなかった時期がある。フランス語のAdhemar d'Anjouで検索しても、出てくるのはこの映画に関する記事ばかりなので、どうやら実在の人物ではなさそう。アンジュー伯ではないAdhemarという名前の貴族(Adhemar d'Angoulemeとか)は実在するようなので、いかにも「らしい」名前なのだろう。
大会が行われたルーアンやナントカ(←忘れた)・シュル・マルヌはフランス北部で、当時、実質的にイギリスの勢力範囲内にあったのだろう。ボルドーは南部だけれど、ヘンリー2世の王妃エレアノール・ダキテーヌの出身地なので、伝統的にイギリスが優勢な地域。で、パリは・・・? 大きな大会が開催されるときは、休戦したのかも。
ちなみに、当時のローマ教皇はフランス人ではない。イエス・キリストがイギリス人でないように。
ちなみに、当時のイギリス平民は英語を話し、貴族はフランス語を話していた。ウィリアムは子供の頃から12年もの間、師匠につき従ってフランス各地を回っていたので、それなりにフランス語を身につけていたことであろう。だからフランスの貴婦人とおつきあいできたわけだ。よかったね。
1376 エドワード黒太子死去

1377 (英)リチャード2世即位
1378 教会の大分裂。
(仏)アヴィニヨン教皇として、クレメンス7世即位←この人、確かフランス人

by foggykaoru | 2006-08-29 20:53 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(8)

Commented by ゆきみ at 2006-08-29 23:25
わ~、さすが、かおるサン。
エドワード黒太子は個人的にお気に入りなので、出てきたときちょっと心が躍りました。
ちゃんと、チョーサーと年代が会う人を選んだわけですね。うむうむ。

英国とフランスの戦況の良し悪しは、やはり一人の王様が長く王座にいられるかどうかで大きく違っているのだと思います。
ハプスブルグ家繁栄の初期のマクシミリアンのお父さん(名前を忘れました)は、並み居るどのライバルよりも長生きしたので領土を保って息子に譲り渡せたと聞きました。
体力も実力のうち…って、全然関係ないけど、エドワード黒太子はあんなにすごく強くて勇名だったのに、王さまになれなかったんですものね。(私の知識は、おおむねミーハーに基づいています。すみません)
Commented by foggykaoru at 2006-08-30 21:37
ゆきみさん。
DVDのコメンタリーによると、エドワード黒太子とチョーサーは顔見知りだった可能性がなきにしもあらずのようです。
コルベルの顔を見に行ったチョーサーがすぐに正体を見破ったというのはそういうわけ。

どこの国も、王朝の末期は王様がころころ変わりますよね。ローマ帝国しかり、中国しかり。末期だから変わるのか、変わるから王朝がもたなくなるのか・・・
>長生き
日本でも、鳴くまで待った人が勝ったんですものね!
>ミーハー
それは私もおんなじです(笑)
Commented by ケルン at 2006-08-30 23:59
いつもうろ憶えですが・・・

カペー朝はフランス、プランタジネット朝は英国での話だったんじゃないかと思います。。
Commented by Grog at 2006-08-31 07:34
さすがですね。今までまとめたのも読ませてもらいましたが、イギリスとフランスって、なんだかとってもごちゃごちゃな関係なんですね。

帆船ものを読んでいるとよく、イギリス側がフランス人のことを「カエル野郎」って呼んでいますが、長年の確執があって、仲が悪いってことなんでしょうか?

ところで、映画の中で、ギャンブルの借金取りのことをチョーサーが本に書いてやるといっていますが、彼らはカンタベリー物語に出てくるんでしょうか?気になっていたんですが、カンタベリー物語をちゃんと読んだことがなくて。
Commented by foggykaoru at 2006-08-31 20:39
ケルンさん。
そうだそうだ、プランタジネット朝はイギリスだった!
訂正しておきます。ご指摘ありがとう♪
Commented by foggykaoru at 2006-08-31 20:47
Grogさん。
フランス人はイギリス人のことを「牛肉食い野郎」って呼んでるんですって。
すぐ隣りの国同士って、英仏に限らず、いろいろありますからね。

だいたいにおいて、ヨーロッパの国々が今の形になっているのは、歴史的な偶然の積み重なりによるものだけれど、フランスとイギリスというヨーロッパの二大国が、下手をすると、1つの国になってしまっていたかもしれない、そして、その場合には、言語も今のものとはかなり違うものになってしまっていたかもしれない、、、と思うと、百年戦争以前の両国のからみあいの歴史に、私はたまらなくロマンを感じてしまうんです。

>ギャンブルの借金取り
あの2人の名前と職業は、もちろんカンタベリー物語から取ったのだそうです。DVDのコメンタリーで言ってました。
Commented by Titmouse at 2006-09-01 23:35
カンタベリー物語は大学の授業でやったけど、読んだのはしょーもない話だった(笑)。中世英語は、やっぱりゲルマン色が強かったんだなあと思った記憶があります。ロック・ユー、はじめからちゃんと見ればよかった。
Commented by foggykaoru at 2006-09-02 18:49
Titmouseさん。
そもそも、カンタベリー物語というのは、しょーもない話を集めたものなんじゃない?(爆)

ロック・ユーのコメンタリーで、監督が「当時のイギリス貴族はフランス語を話していたんだし、庶民は今の英語とは全然違う英語を話していたんだよね」と言ってて、ちょっと感心しました。
オバカで面白い映画は、そういう素養の裏付けがあってこそ作れるんだろうなあと思ったの。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 石井美樹子著「中世の食卓から」 パイレーツ・オブ・カリビアン/... >>