鈴木成高著「中世の町---風景」(東海大学出版会)
2006年 12月 17日
ヨーロッパの古い町の路地裏をこよなく愛する著者が、よりによったお薦めの町は
・サン・ジミニアーノ(イタリア)
・シエナ(イタリア)
・ディンケルスビュール(ドイツ)
・コルドバ(スペイン)
・ブリュージュ(ベルギー)
・ヴェズレー(フランス)
ディンケルスビュールは行っていないから、なんとも言えないが、残り5つは確かにお薦めの町。この人とは趣味が合う(笑)
古い小さい町では、中央広場を駐車場にしているところが多くて、興醒めさせられることが少なくない。著者の「そのことが『都市の滅亡』を象徴するかのように思えてならない」という言葉に、大きくうなずいてしまった。
著者がフランスのブルゴーニュを訪れたときの拾いものはトゥルニュス(Tournus)。そして、バスの車窓から見かけて、よっぽど途中下車しようかと心を動かされたのがスミュール(Semur)なのだそうだ。覚えておこう。
つくづく思ったのは、行ったことがある場所ばかりの紀行文というのは、今ひとつ感動が薄いものだということ。掲載記事の初出は1970年代。私が初めてヨーロッパに行った頃であり、現在の海外旅行ブームの黎明期である。その当時、あるいは、遅くともこの本が刊行された1982年当時にこれを読んでいたら、ほとんど知らない町ばかりだったはずで、「ここに行きたい、あそこにも行きたい」と、さぞかし触発されたことだろう。
そのあたり、文学の評論とは正反対である。後者は、自分が読んだことがある作品に関して、共感させられたり、新たな視点を与えられたりするところが面白いのである。知らない作品を論じられてもわけがわからない。
私は以前、海外旅行のサークルに入っていたことがある。情報を得られるというメリットがあったが、インターネットで同じことができるようになると、会員でいる必要性を感じなくなり、自然退会してしまった。「同じところに行ったことがある」という人と話をしても、それ以上別にどうということはないのだ。
そして現在は、某児童文学作家のファンクラブに入っている。ネットは趣味を同じくする人との交流を容易にするし、第一、私がそのファンクラブのことを知った(正確に言うと、「ずっと忘れていたのを思い出した」のだが)のもネットのお陰だった。ネット上で交流できるのだから、わざわざ入会する必要はないのではないかとしばらく迷ったのだが、結局入会した。正解だった。「同じものを知っている(なおかつ、その同じものが好きである)」仲間からの刺激は、他では得られない貴重なものであり、会員であるほうが、それをより多く得ることができるからだ。
脱線しすぎたが、とにかく、紀行文としてのこの本は、(私にとっては)新味に欠けたのである。そしてそれが旅行記や紀行文の宿命なのだと感じてしまい、趣味の旅行記書きとしてはちょっと悲しくもあった。
この本の中で今も変わらぬ輝きを帯びていたのは、田舎のバスが時刻表通り来なくて、ヒッチハイクもどきのことをしなくてはならなかったというくだりである。要するに、トラブルネタ。
どうやら旅行記においては、限りなく個人的な苦労話こそが、いちばん長い命を持つということらしい。
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by foggykaoru | 2006-12-17 09:18 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(0)