海老沢泰久著「美味礼賛」(文春文庫)
2007年 04月 03日
辻調グループの先代校長・辻静雄の半生を描いたものだが、伝記ではない。というのは「架空の物語である」という著者自身の断り書きが付いているから。とはいえ、静雄本人に入念な取材をしてあるということで、大筋としては、彼の生涯をかなり正確に描いているのだろうと思われる。すごい人だったんだな。
というのが率直な感想。
月並みですが。
静雄は戦後の日本の料理界に種まきをして、育てたのだ。
料理学校の跡取り娘と結婚したことで、はからずもその後継者とならざるを得なかったのだが、それから後がすごい。
フランス料理というと、ステーキ、エビのカクテル、オードブル盛り合わせくらいしか存在していなかった昭和30年代に、フランス料理に関する原書を読みあさり、「本物はそんなものではない」と知り、渡仏し、超一流レストランの食べ歩きをし、その味を覚えて帰って、自分の学校の教師にそれを教えたのである。
もちろん、太っ腹な義父の経済的援助があってこその渡仏だったし、彼が仏文科出身であり(最初のうちはフランス語もそんなに上手ではなかったらしいが)、かつ、妻が英語堪能で、言語の障壁があまりなかったというのは大きいだろう。
でも、欧米のガストロノミーの大家や四つ星レストランのオーナーが彼を温かく迎えたのは、単に言葉が話せたためだけではないはず。ガストロノミーの大家の著作を原語できちんと読みこなした上でご本人に会ったというのがポイント。人に教えをこうときの正しい態度である。
さらにまた、「教えてやりたい」と思わせるものが、彼の人柄の中にあったに違いない。
彼は何かに興味を持つととことん究めないでいられないという、今で言うオタク心の持ち主であり、学生時代に凝ったクラシック音楽に関する造詣は、非常に深いものだったそうだ。そこが最大のポイントかも。
「外国の人と交流するには、単に語学ができるだけでは十分ではない。語れることを持っていなければ」と言われる。(もちろん、この場合の「外国の人」というのは、土産物屋のおばちゃんレベルを指すものではない。別に土産物屋を馬鹿にしているわけじゃないんだけど。)
「語れること」というのは、ひらたく言えば「教養」である。
要するに、「おおっ、こいつは大したものだぞ」と思わせるものがなくては、相手にしてもらえない。
静雄は好きなことばかりやっていて、受験勉強に身を入れなかったため、大学に二度も落ちたあげく、ようやく二部にもぐりこんだ。
でも、難しい大学に入れることと、知的で教養があるということはイコールではない。
静雄の成功の秘密は、彼が「本物の教養人」だったところにあるのではないだろうか。
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by foggykaoru | 2007-04-03 20:05 | 普通の小説 | Trackback | Comments(2)
私にも料理人の友人がいて、フランス国境に近いドイツ(ワインの地方)に修行に行き、フランスやイタリアへお料理を食べに研究に行っていました。

