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小説のアニメ化について

友人と「ハウルの動く城」を観てきました。
この映画は最後のほうになるとわけがわからなくなる、と聞いていたのですが、原作を読んである私たち2人には十分理解可能なもので、納得の結末でした。
でも、「映画だけを観てわからないのだったら、映画作品としては失格」と言われても仕方がないのかも。
噂どおりハウルは思い切りかっこよかったし、噂どおり声優キムタクは素晴らしかった。
そして、倍賞智恵子のどこがよくないのか、私たちにはわかりませんでした。
ソフィーの実家の赤い壁、私にはツボでした。ああ、そうそう、これなのよ、ヨーロッパの路地裏にはああいう壁の家があるのよ。きれいに塗り込められていなくて、濃淡があるところが最高!

そして、十分予想はしていたけれど、ここまで原作を変えるのか!とびっくりしました。

以下、ネタバレです。なぜか最後はランサムの話まで出ますが、真面目なランサマイトはお読みになりませんように。



ソフィーは原作ほどドライで割り切ってる感じはしないけれど、悪くはありません。荒れ地の魔女に対する態度、なかなかイケてます。原作では、彼が美人の先生と関わりを持つあたりで、「私はおばあさんだし、関係ないんだけどさ」と思いつつ、「なんだかむしゃくしゃするわ!」となるのが私のツボだったのですが、そういう流れにならなかったのが、ちょっと残念。アニメでは最初からハウルのイケメンぶりが強調されていて、しょっぱなから胸キュンの体験をしてしまうので。あの飛ぶ場面は素晴らしいですしね。文句は言いません。

「女たらしで甘えんぼキャラ」のハウルは、そこそこ表現されていますが、そこそこです。日本では、あれ以上女たらしにするのは18禁なのでしょうか? ベーコンエッグを1人でさっさか作るより、ソフィーにやらせておいて、出されたのを当たり前のように食べるほうが、もっと「らしかった」かな、という友人の言葉に全面的に賛成。あの場面のハウル、私の脳内映像では、完全にビストロSMAPのキムタクになってました(苦笑)

カルシファーは可愛らしすぎ。あのまん丸な目は何? あれは最後に正体がわかるまで、もっと悪魔的なほうがいい。フランスのアニメだったら、もっと毒っ気があっただろうになあ。日本人はなんでも可愛くするのが好きな国民なのですね。

美輪明宏がハマり役なのは、当たり前と言えば当たり前(!)だけど、魔力を失ってからの声の演技がこれまた秀逸。

サリマン怖すぎ強すぎ。あなたは何者ですか? ほんとうに怖いのは美輪さんみたいな人じゃなくて、加藤治子みたいな女性なのよねー、、、ってほとんど現実と混同してる?(自爆)

マルクルを子どもの設定にしたのは大ヒット。しかも、子どもの声を大人が作ったのではなく、子役の声優を当てたのも素晴らしい。

それにしても、戦争があるらしいということは知っていたけれど、全編戦争とは思いませんでした。
なぜ戦争にしなければならなかったのか? 
反戦メッセージをこめたかったのかも、とは思います。
あと、ハウルを戦わせて、かっこよさを前面に押し出したかったのかな、とも思います。原作どおりだと、あまりにも家庭ドラマちっくな話だから。

というあたりから、話はランサムに脱線。

宮崎駿氏がランサムをアニメ化したら、絶対に戦争中の出来事にして、テッド・ウォーカーが戦地にいるという設定になるわね。飛行機がコニストンの上を飛ぶ。飛行機が戦争に登場したのは、第一次世界大戦なのだから、時代的にぴったりだわ。日本のアニメの常套手段として、動物キャラが出てくるはず。ハリ・ハウに犬がいてもいいわね。ベックフットでもいいし。あっ、ナンシイが愛犬を仕込むなんてのも悪くないわ。ところがそこに大おばさんが猫を連れてやってきて、可愛がられていた犬は殉難者状態になる。大おばさんは常に膝の上に猫を抱いている。胸から下しか画面には出なくて、大おばさんがなでると、猫の目がきらっと光る。または、常に背後からのアングルだったり、日傘の蔭になったりしていて、とにかく大おばさんの顔は絶対に見せない…。

いくら相手がネタ大明神だったとはいえ、私自身も相当なネタ大好き人間であることを、今さらながらに実感した1日でした(笑)

by foggykaoru | 2005-02-11 18:20 | 児童書関連

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