ダリエンについて
2007年 09月 17日
あるいは、おおしきコルテスが
---部下のすべてがあやしみて、ののしりさわぐただなかで---
ひとり静かにダリエンの、頂に立ち、するどき目して、太平洋をにらむがごとく。
ご存知「ツバメ号とアマゾン号」の冒頭部分。ランサム愛読者は、訳がわからないまま「コルテス」「ダリエン」という名前を覚えてしまったという体験を共有しているわけです。
メキシコ旅行を決め、メキシコの地図をしみじみ眺めるようになって、「コルテスが立ったダリエンとはどこか?」という疑問に取り憑かれたのですが、解決できないまま旅立ちました。
そして旅行中にインカ帝国征服の歴史の本を読みました。
するとそこに、インカ以前のスペイン人の中米進出についての歴史も書かれていたのです。ダリエンが出てきたのですよ!
この本自体はメキシコの日本人宿に寄付してしまったのですが、内容は旅の手帳にしっかりと書きとどめてきました。
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ダリエン市は、パナマ地峡の付け根の「北」側にある。つまり、カリブ海に面している。(ピンとこなかったら地図を見てください。)
1510年、ダリエン市建設開始。アメリカ「本土」における、初の本格的なヨーロッパ人の植民地。
1513年、バルボア、ダリエンを出発し、パナマ地峡を横断して、太平洋を「発見」する。同行した部下の中に、後にインカを征服したピサロがいた。コルテスはいない。
1519-1521年、コルテス、メキシコのアステカ帝国を攻撃し、征服を果たす。
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ダリエン「岬」がどこにあるのかはわかりませんが、とにかく、ダリエン「市」は太平洋に面していなくて、太平洋をにらんだのはコルテスではなくて、バルボアなのです。
ではなぜこんな詩が書かれたのか。
詩人(←名前不明)の知識不足が最大の原因だと私は思います。
聞きかじった話を確認せずに使ったのでしょう。
あともう1つ。
中南米征服に関わったスペイン人というのは、そのほとんどがあまり生まれの良くない食いっぱぐれ。ならず者と言ってもいいくらい。その中にあって、コルテス1人が貴族出身。しかも大学出の教養人。(ピサロも貴族の血を引いているけれど、庶子だったし、ろくな教育を受けていなかった。) 要するにかっこいい。絵になる。だから、ここはどうしてもコルテスでなくてはならなかった。
あくまでも私の想像ですので、マジに議論をふっかけないでくださいね。
by foggykaoru | 2007-09-17 08:23 | 西洋以外の歴史 | Trackback | Comments(5)

大西洋側にあるのに、太平洋を望むというのはずいぶん無理な設定。
果たして詩人がいい加減だったのか、そんなのヨーロッパ人にはどうでもよかったのか。あるいは情報がきちんとい伝わっていなかったのか……

ダリエンって…異国情緒だけで書かれたのですね
暗闇の虹は、絶望の中でも希望がやってくると言う比喩ですけれど、太平洋と大西洋を入れ替える意味が判りませんね
どおりでダリエン岬で検索をかけてもランサマイトしか出てこない訳です

それで気が付いたのですが、訳注には「ダリエン」はパナマ地峡の旧称とありました
昔は、もっと範囲が広かったんだ(^_^;)
「ダリエン岬」と言い出したのはウォーカーきょうだいのオリジナル?
しかも『詩』では「ごとく」と表現されて、見たとは断言していない!?
誤解するようなトラップだらけのオープニングです
帆船になりきって間切ってくるロジャもやがてエンジン大好きになっちゃうし…なんだか、裏切りがいっぱい
(^^ゞ
太平洋と大西洋は、意識して入れ替えたわけじゃないのでは。
スペイン人が太平洋を発見したということを、ぼんやりと覚えていて、かっこいい詩が書けると思っただけで。
>しかも『詩』では「ごとく」と表現されて、見たとは断言していない!?
そうそう、そうなんです。「ごとく」なんです。
だからすべては詩人のイメージに過ぎないのかも。