「赤毛のアン」の秘密
2007年 10月 04日
レビューの評価がバラバラなのがおわかりでしょう。
この本の著者である小倉千加子氏はフェミニズム(女性学)研究者。
フェミニズムは、歓迎する人と、忌避する人の両極端に分かれます。そういう立場から、我が国で大人気の「アン・シリーズ」の作者であるモンゴメリの生涯を論じているのだから、読む人によって評価が天と地ほどに分かれるのは当然のこと。
私はと言うと、小倉さんのファンなのです。
彼女の著作の助けを借りて「自分がどういう人間なのか」を悟り、「ありのままの自分」を受け入れられるようになったのですから。(ちなみに、フェミニズムの第一人者として知られる上野千鶴子氏の著作は、私にとって、何の足しにもなりませんでした。)
「フェミニズムなんか何になる? 立場の異なる女性たちを対立させるだけだ。不毛だ」という意見もあります。それはわかるんだなあ。現に「こんな記事を書いたせいで友人関係が悪くなっちゃったらどうしよう?」と恐れおののいている私がここにいます。それでも、少なくともある種の人間にとっては救いになるのであり、それだけでもフェミニズムには存在意義があるのだと、言いたいのです。
で、この本についてです。
「年老いた祖父母を看取った後、ずっと待っていてくれた牧師と結婚。しかし、夫は神経衰弱になる。彼を支えなければならなかった彼女自身は大きな負担を強いられ、必ずしも幸せな晩年ではなかった」と言われるモンゴメリ。
その不幸の原因は何に由来するのか?
精神的に弱かった旦那のせいなのか?
原因は彼女自身。
彼女の生育歴にも大きく関係しているけれど、根本的には、「女性だったこと」が原因だと言ってもいい。
彼女が目指していたのは「アン」のような少女小説作家ではなく、「ほんものの文学者」になることだった。そのあたり、本当は歴史作家になりたかったのに、「ホームズ」で売れてしまったコナン・ドイルと共通しているけれど、ドイルにとっては「男性であること」が足かせになることはなかったという点が、大きく違う。
ビアトリクス・ポターも、その時代の女性に求められていた生き方ができなくて、悩み苦しんだけれど、自分なりの人生を選び取った。モンゴメリは自分に嘘をつき続けて、その苦しさのあまり、最後には精神的にのたれ死にした。
私は中学時代、「炉辺荘のアン」まで読み、「アン」に見切りをつけたのですが、実はこれ、モンゴメリの最後の作品だそうで。死の直前、よれよれの状態で書いたのだそうです。
『炉辺荘のアン』の結末部でのアンのセリフ「かわいそうな子なしのクリスチン」は、阿鼻叫喚の世界にいたモンゴメリの自己肯定の絶叫である。しかし、たとえ荒唐無稽な子ども向けの作品であっても、それは、言ってはならないセリフであった。
同感です。別に私がクリスチンと同じ「子なし」だからではありません。ヒロインにこんなセリフを言わせること自体が言語道断。「ヤキがまわった」とはまさにこういうことなのでしょう。モンゴメリにこそ、フェミニズムを教えてあげたかった、と思ったりもするのですが、彼女はちゃんとわかっていたのかも。それでも、偽りの人生を選んだ。別の人生を選ぶ勇気がなかった。
子どもの頃、「アン」が大好きだったけれども、読み進むにつれて「う~む、結局はこうなるしかないわけね」と微妙にがっかりした経験を持つ人なら、納得できる部分がある本だと思います。
by foggykaoru | 2007-10-04 21:44 | 児童書関連 | Trackback | Comments(15)
アンの青春までは良いのですが、それ以降は暗く、読み進めるのが辛い雰囲気でしたけれど、作者自身がそのような状態だったんですね
知りませんでした
「アンの娘リラ」に到っては、まるでオカルト…
第一次世界大戦の悲惨さの影響かと思っていましたけれど、苦しい人生だったんですね
ろーりんぐすとーんさんのお陰で、今更ながら自分自身の子供時代の読書力(?)を賞賛したくなりました。そんな作家の最後の方の作品が、子供に訴えかけるわけないですものねえ。ふむふむ。自己完結的な納得をさせて頂きました。どうもありがとうございました。
「アン」よりも「エミリー」3部作の方が、モンゴメリの自伝的要素が入っているという話は聞いたことがありました。「エミリー」は良い作品だと思いますけれど、暗いので、あまり再読していません(気力が尽きちゃって)。また再読したいのは「ストーリー・ガール」。文庫化されないかなあ。
私も、9冊目くらいになるとだれてきたなという印象はありますが、基本的には楽しんで読みました。好きなシリーズと言えます。それに、本でもなんでもそうですが「一度知ってしまうと、知らなかったときには戻れない。知らないままでいたかったこともある」もので、この本は、しばらくのところは読まないでもいいかな、という感じです。
女主人公がみんな結婚するのは、ただもうそういう時代だったからではないかと、受け止めていますが。。。
(著者の人生が暗いということでしたら、『メアリー・ポピンズ』のトラヴァースのほうが暗い...それこそ知る必要はないなという印象です)
フェミニズム、って話題にするのは女性だけなんですよね。文学でもなんでも、まだまだ「女性作家」のものを評価するのは女性だけ。そもそも、「女性作家」というくくりかたが続いていることをやめれば良いのに、と私は思います。
かおるさんが、ご自分について納得がいくようになったという本に興味があります~~
時代が時代だから結婚するというのも分かるのですが、何となく釈然としないのはポール・ギャリコの「まぼろしのトマシーナ」です。ローリーは、別に結婚する必要がなかったのではないか、・・・なんて考えちゃって。(すみません、また話がずれました)
モンゴメリは苦労が多かったという予備知識無しで、いきなりこの本を読むとショックが大きすぎるかもしれません。
「リラ」ってオカルトっぽいんですか?
「リラは面白いんだから、炉辺荘でやめるべきではなかった」と友人に言われたことがあるんですけれど。
私は大人になってからアンを読み直して、けっこう突き放して見られるようになったから、この本は実に面白かった。そうでない人には勧めません。
一昔前には、ある種の人間(女性に限るけど)にとってフェミニズムが大きな救いになったけど、今はそんなもの必要無くなってきているかも。ケルンさんの年代は必要とする年代と必要としない年代の境目ぐらい?
「女流作家」という名称は私も嫌いです。
ただ、いろいろな人の評伝を読んでいると、女性の作家が、その時代の「あるべき女性像」に合わせられない自分と折り合いをつけるのに苦労していたという話が、実によく出てくるのに驚かされます。
今の欧米や日本にはそんなことはないけれどね。
>「アンの世界にあこがれているというのは、実はアンではなくダイアナの世界にあこがれている」
そうなんですよね~!!
アンは「私はダイアナとは違う」と思っていたのに、同じになるんです。
だったら最初から「違う」なんて思わないほうが、ずっと精神衛生には良いのです。
この本は読んだことがありませんが、モンゴメリの不幸の原因は「女性だったこと」には大賛成です。でも、それに「牧師の妻だったこと」も原因じゃないかと思うのです。
あの時代、地方の牧師の妻は、行事の中心者&日曜学校の先生で、地方行事の担い手だったわけですから、そういう立場の人が、真実をえぐるような作品を書くわけにはいかないと思うのです。
モンゴメリって、結構、毒舌家でシニカルなのに、大人しい作品ばかり書いてますよね。
それから、時代を支配していた「常識」も、彼女を縛っていたと思うのです。牧師の妻が常識を打ち破る作品を書くわけにはいかないもの。
モンゴメリのことを特に好きなわけじゃないですが、あの時代なら仕方ないよ、と思います(点数甘すぎ?)小倉さんの気持ちもわかるけど、今のものさしをそっくり当てはめるのは、ちょっと気の毒…。
それから、夫の病気を隠しとおした、とモンゴメリは思っていますが、田舎ではそれはありえない。知らないふりをしてくれたんですよね。みんなモンゴメリが好きだから…。
>牧師の妻
それは彼女自身があえてそういう立場の人を夫として望んだから。
だからますます自分を追い込むことになっちゃったんです。
>あの時代なら
もちろん大多数の女性が「仕方ないよ」と諦めて、折り合いをつけることができたのですが、彼女はそうすることができなかった。
それはやはり彼女自身の個性というか、人となりのなせるわざ。
自分がそういう人間だということを見通すことができなかったこそが、彼女の悲劇なんじゃないかしら。

