生きるということ、死ぬということ
2007年 12月 01日

でも、現役の学生や同僚の教授たちの追悼の辞を聞きながら、ほんとうに良い先生だったなあという思いを新たにしました。
私の心の中にいる恩師たちの中で、いちばん大きな存在でした。
もしもできるなら、今からでも先生の爪の垢を煎じて飲みたいところです(←非現実の仮定)
奥様の挨拶には胸が詰まりました。
「夫のいない日々は、呼吸をすることさえ苦しい」と。
日頃から健康そのもので、健康診断もきちんと受け、水泳が趣味でタバコも吸わなかった先生が、まさか肺を患うとは、誰しも想像だにしていなかったことだそうです。
7月末に行われた、オープンキャンパスのときには元気に活躍していたのが、突然体調を崩し、入院したのが8月末。夫婦して肺のCTスキャンを見せられたときに、「すべてを理解した」のだそうです。
私にとっては語学の師でしたが、先生のご専門はフランス思想・哲学でした。哲学とは生きることと死ぬことを探求する学問であり、入院してからの日々は、それを実地で追求することになった。それを医師も驚く精神力で乗り切り、最後の最後まで崩れることがなかったそうです。
以前、何かの本で「告知の是非」を読んだことがあります。
宗教的な後ろ盾がある人なら告知されても大丈夫かと言うと、そうでもない。高僧と言われるような人ががたがたと崩れたこともある、というような話もあったかと思います。
若き日の先生が敬虔なカトリック信者だったことを知る私にとって、奥様の「夫はathee(アテ=無神論者)だった」という言葉は驚きでした。
献花の後の懇談の会で会った友人にそのことを言うと、「奥様にはそう言っていたのかもしれないけれど」と、興味深い話をしてくれました。
友人は大学卒業後、西洋史に転じ、専門書を何冊か翻訳しています。
その関係で、先生の研究室に足繁く通ったことがあるのですが、キリスト教史に関する本を扱っていた折りに、先生が「教会というのは人間が作った組織ですから」と漏らしたとか。
つまり、「既成の教会という枠組みの中には自分を置きたくない」というスタンスだったのではないか。でも、「神そのものは信じている」ということだったのではないだろうか。
追悼の会で流れた音楽が、先生がお亡くなりになるときに聞いていたという、ロッシーニ作のミサ曲「アニュス・デイ(神の子羊)」だったことを思い、友の言葉に深くうなずいた私でした。
by foggykaoru | 2007-12-01 21:22 | ニュースから | Trackback | Comments(4)