「ローマ教皇検死録---ヴァティカンをめぐる医学史」
2008年 06月 11日
以前この著者の「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」を読んだことがあって、それがまあ面白かったので、これも読んでみた。
「ヒトラー・・・」のほうは20世紀の指導者たちの晩年の病気の解説。それに対して、この本で取り上げられているのはほとんどがはるか昔の教皇たち。だから、たいしたデータはなくて、ちょっと肩すかしの気味があるのだが、それでも読ませる。このお医者さんはなかなか筆が立つ。
以下、私にとってのツボを列挙。
・ペルー原産の「キナ」という木から作られた「チンチョーナ」という薬がマラリアの特効薬となった。その貿易を引き受けていたのはイエズス会。マラリアにかかったイギリスのチャールズ1世はこの薬のおかげで治ったが、清教徒革命が起こり、クロムウェルによって処刑された。クロムウェルもマラリアにかかったが、不倶戴天の敵であるイエズス会が持ってきた薬を飲まなかったので死んだ。そしてカトリック教徒の国王チャールズ2世が帰ってきた。
・14世紀、クレメンス6世のころ、黒死病(ペスト)が流行し、不安からマゾヒズムが高まり、「むち打ち苦行」をする者が増えた。あまりにも増えたので、禁止令が出て、違反者は処刑された。ときにはむち打ちの刑に処せられた!!
・黒死病は東方から船に乗ってやってきた。1377年、ラグーザ(現在のクロアチアのドブロブニク)で、感染地からの船を30日間港外に留め置いて、感染者がいないことを確認した。これが検疫船の始まり。その後、40日間に延長された。イタリア語のquarantina(40)が英語のquarantineの語源。
・イエスが手をかざして病を治したように、中世の聖職者も手をかざしたりさわったりして治していた(と人々は信じた)。触って治すことがヨーロッパの王様は期待されていた。それを「ロイヤル・タッチ」という。ロイヤル・タッチをたくさんしたのはフランスのルイ9世(聖ルイ)、ルイ14世、イギリスのヘンリー8世、エリザベス1世、チャールズ1世。
・ローマ教会のお膝元であるイタリアよりも、遠く離れた地の人々のほうが、単純に教会や教皇様をありがたがる。だから、免罪符販売促進キャンペーンはドイツで広く行われた。それがあまりにひどかったので、ドイツのルターによる「教会なんかいらない」という宗教改革運動が生まれた。
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by foggykaoru | 2008-06-11 21:44 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(13)

検疫停船の語源、なんで「4」なんだろう、検疫船旗が四分割されているのと何か関係あるのかな、と思っていました。おかげさまで語源については、積年のナゾ解決。「40日の隔離」なんですね。ランサムの子どもたちは1ヶ月休暇が延びたんでしたね。そういえば、今、職場から見えるところに海王丸が停泊しています。
私のツボは、マラリアと輸血でした。輸血にいたっては、現代では考えられない力技(爆)です。マラリアのツボは、「マラリア原虫はヒトの体内では赤血球にもぐりこんで、無性生殖でふえる、つまり現代風にいえばクローンで、教会風にいえば無原罪で増殖する」でした。

むち打ち苦行をした罰がむち打ち刑って。、。。
痛さがちがうんですかね??むち打ち刑を体験したくってむち打ち苦行をする。。うーむ。


>積年のナゾ解決
あら~語源だけなら知ってたからきいてくださればよかったのに~
(フランス語ではquarantaineです。)
私にとってのツボは最初の検疫船がドブロブニクだったというところ。
あの旧港の外に停泊していたのかあ・・・
輸血もすごかったですねー
無限罪も覚えてます。
このお医者さん、ホントにうまいこと言いますよね。
あと、頭に怪我をした人が死んで、その死因が頭の怪我のせいかどうか、実際に別の若者に怪我を負わせて実験した・・・ってのもすごかった。
瀉血ネタもたくさん書いてあります。
私にとってはあんまりツボじゃなかったから書いてないけど。
私はイタリアの歴史ものをわりと読んでいるから、もうすでに聞いたことがある話が多かったんですが、あんまりイタリアの歴史ものを読んでない人にはこの本はものすごく面白いだろうと思います。

そうなんですよ~ 指輪なんですよ~
「王の手は癒しの手」だったということは聞いてましたけれど、こんなに具体的に名前が出ているのは初めてだったので、これはちゃんとメモっておかなくちゃと思ったんです。
