『懐かしい「東京」を歩く』
2008年 07月 05日
内容は、非常におおざっぱに分けて、
1.著者の幼少時ゆかりの地(巣鴨・渋谷・杉並・中野あたり)
2.芭蕉ゆかりの地、江戸(深川・日本橋あたり)
3.著者若き日、つまり戦後の銀座・渋谷あたり
1は私にもゆかりのあるエリアが中心なので、ふむふむと読んだ。
2はあんまり・・・
古文の引用があると読む気がしなくなる。困ったことだ。
3の、戦後の銀座の生々しい描写が胸に迫る。
どのビルも、火にあぶられてどす黒く煤け、ガラス窓は破れて、蜂の巣のような窓のひとつひとつにベニヤ板が打ち付けられて・・・(中略)・・・ボロ切れをつぎ合わせたテントのような「屋根」を、棒でささえた露店に並べてあるのは、三角形の小さな新聞紙の袋に、ひとにぎりの「南京豆」をつめたのとか、ブリキのようなガソリン・ライターとか・・・(中略)・・・古着、古靴、そんなものばかりである。
これは昭和21年の晩秋の情景である。
戦争が終わって1年以上たっても、そんな状況だったのだ。
2年前、私は旧ユーゴを旅し、ボスニアの銃弾の跡の生々しい建物などに目を見張ったのだが、私の親の世代の日本人は、あれと同じようなところで貧困にあえいでいたのだ。
大学に入っても、食べるためにバイトに追われ続ける著者。
私の父も、学生時代は祖父の収入だけでは暮らしが立たず、バイトばかりしていたと聞いている。
こんな東京で生活に追われていたんだ・・・。
苦労して生き抜いて、配偶者を得て、私を作って育ててくれたのに、親不孝な娘でごめん。
実は、著者のお父上は、私の父の中学時代の担任の先生だったそうで。
この本は父にプレゼントすることにします。
この本に関する情報はこちら

by foggykaoru | 2008-07-05 21:07 | エッセイ | Trackback | Comments(16)

私も話には聞いていますが終戦直後は惨々たる有様
朝鮮特需が起こるまで、どん底だったそうです

吉田憲一『東京の昔』にいくつも描写があります。
今日、たまたま、「選べるとしたらどの時代に行きたいか(生きたいか)」という話になりました。
私は、「第二次大戦前のドレスデン他ヨーロッパの街、それと東京」といいました。高くて四角いビルがまだあまりなく、空襲も受けていなかったはず。
>苦労して生き抜いて、配偶者を得て、私を作って育ててくれたのに、親不孝な娘でごめん。
かおるさんが親不孝かどうかはわかりませんが、私も同じような気持ちで暮らしています。。

「大正」ってぜんぜん印象薄いけど、大戦の合間に咲いたあだ花のようないい時代だったのでしょうか。
最近「虚無への供物」を読み返したのですが、戦後というか昭和30年代でもこんなだったのかなあ、と、感慨深かったです。
やっぱり旅についての著作が良かったです。あの森本毅郎アナウンサーの兄、
というのが何となく不思議(笑)同じ兄弟でも、視点が違っているような気がしました。
夏になると、授業は国語、英語とも原爆のお話になるのですが(国語は「黒い雨」で
英語は「Red Ribbon」)年月とともに薄れていくものが多いので、記録された作品は
貴重ですね。
そう、東京は水の都だったんですよね。森本さんもしきりにそのことを書いています。
親不孝というのは、、、
ろくすっぽ実家に寄りつかないし、用事がなければ電話もかけないし、しょっちゅう旅行にでかけるけれど、親と一緒にでかけることがない、、、等々、非常にかわいげのない娘だから。
「こんなはずじゃなかった」と思ってるんだろうなー
私も過去の東京に戻れるなら、大正時代かな、と思います。
厳密に言えば、関東大震災前の東京。
東京は戦争によって過去を失ったけれど、その前にまず、震災で過去の多くを失ったのではないかと思います。
永井荷風の「おかめ笹」を読んでから、「つゆのひぬま」を読んで、そう感じたんです。
森本毅郎さんのファンでもあるので、哲郎氏の本にも親しみがあったりします。
このお二人の間にはさまれた人は、神奈川の某ミッション系女子校の国語の先生で、毅郎さんと顔がとてもよく似ていて隠しようがないんだって、、、と友人が昔言っておりました。
お父上も国語の先生でした。
3人兄弟がみんなそのDNAを受け継いでいるんですね。
もし旅できるなら昔の東京って魅惑的ですよねぇ。
江戸時代、明治、大正、昭和初期・・全部行ってみたいものです。
私が言っても全く説得力はないですが
かおるさんがちゃんと自立されてて、あちこち旅されて活き活きと生活されてる
ことだけでもはげみになってると思います。

亡くなった祖母もやはり大正が良かったと言っていました。明治30年生まれの祖母は奉公で大阪に行っていたそうですが、それと大正が重なっていた事もあり、良い時代だったそうです。

そうか、関東大震災前の東京は、確かに見てみたいです。
>亡くなった祖母もやはり大正が良かったと言っていました。明治30年生まれの祖母は
私の祖母が小学校に通っていた当時、四谷の駅の近くから市電に乗って通っていて、そのあたりは高い建物がなくて新宿のほうまで見渡せたという話でした。皇居も見えたのかな?
東京って面白いですよね。
私、「海外」も好きだけど、「東京」もかなり好きなんです。
いちばん興味が薄いのは「日本」。どうしてなのかなー
みんなから慰めてもらっちゃってすいません。
ま、海外旅行すらしなかったら、親はもっとがっかりしてたかもしれないです。
ただ、最近は「危ないから行くな」なんて言うようになっちゃって。(それでも行くけど)
あの海外好きの父が。
老いたなあとしみじみ思います。

江戸東京博物館に行くと、ちょっと前の東京の絵はがき(復刻版)を売ってます。
ちょっと前って昭和30年代なんだけれども、あっちもこっちも驚くばかりで、これは買ってみる価値ありですよ。新宿駅から伊勢丹の方を見た写真なんてびっくり。
おすすめです。