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『懐かしい「東京」を歩く』

古本屋で見つけた。森本哲郎著。

内容は、非常におおざっぱに分けて、
1.著者の幼少時ゆかりの地(巣鴨・渋谷・杉並・中野あたり)
2.芭蕉ゆかりの地、江戸(深川・日本橋あたり)
3.著者若き日、つまり戦後の銀座・渋谷あたり

1は私にもゆかりのあるエリアが中心なので、ふむふむと読んだ。

2はあんまり・・・
古文の引用があると読む気がしなくなる。困ったことだ。

3の、戦後の銀座の生々しい描写が胸に迫る。
どのビルも、火にあぶられてどす黒く煤け、ガラス窓は破れて、蜂の巣のような窓のひとつひとつにベニヤ板が打ち付けられて・・・(中略)・・・ボロ切れをつぎ合わせたテントのような「屋根」を、棒でささえた露店に並べてあるのは、三角形の小さな新聞紙の袋に、ひとにぎりの「南京豆」をつめたのとか、ブリキのようなガソリン・ライターとか・・・(中略)・・・古着、古靴、そんなものばかりである。

これは昭和21年の晩秋の情景である。
戦争が終わって1年以上たっても、そんな状況だったのだ。
2年前、私は旧ユーゴを旅し、ボスニアの銃弾の跡の生々しい建物などに目を見張ったのだが、私の親の世代の日本人は、あれと同じようなところで貧困にあえいでいたのだ。
大学に入っても、食べるためにバイトに追われ続ける著者。
私の父も、学生時代は祖父の収入だけでは暮らしが立たず、バイトばかりしていたと聞いている。
こんな東京で生活に追われていたんだ・・・。

苦労して生き抜いて、配偶者を得て、私を作って育ててくれたのに、親不孝な娘でごめん。

実は、著者のお父上は、私の父の中学時代の担任の先生だったそうで。
この本は父にプレゼントすることにします。

この本に関する情報はこちら


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by foggykaoru | 2008-07-05 21:07 | エッセイ | Trackback | Comments(16)

Commented by むっつり at 2008-07-05 22:48 x
ゆかりのある方だったんですね
私も話には聞いていますが終戦直後は惨々たる有様
朝鮮特需が起こるまで、どん底だったそうです
Commented by ケルン at 2008-07-05 23:09 x
ちょっと話題が違ってすみませんが、戦前の銀座は運河が埋められていなくて、水路が縦横に走って美しいところだったそうです。
吉田憲一『東京の昔』にいくつも描写があります。

今日、たまたま、「選べるとしたらどの時代に行きたいか(生きたいか)」という話になりました。
私は、「第二次大戦前のドレスデン他ヨーロッパの街、それと東京」といいました。高くて四角いビルがまだあまりなく、空襲も受けていなかったはず。

>苦労して生き抜いて、配偶者を得て、私を作って育ててくれたのに、親不孝な娘でごめん。

かおるさんが親不孝かどうかはわかりませんが、私も同じような気持ちで暮らしています。。
Commented by ラッコ庵 at 2008-07-06 00:40 x
どこで読んだか忘れましたが、外国の日本研究者の間で、もし好きな時代の日本に行けるとしたらいつがいいかというと「大正デモクラシーのころの日本」という意見が多いそうです。
「大正」ってぜんぜん印象薄いけど、大戦の合間に咲いたあだ花のようないい時代だったのでしょうか。

最近「虚無への供物」を読み返したのですが、戦後というか昭和30年代でもこんなだったのかなあ、と、感慨深かったです。
Commented by infinitelight at 2008-07-06 02:11
森本哲郎さんは、一時とてもはまってしまい、ほとんどの著作を読んだと思います。
やっぱり旅についての著作が良かったです。あの森本毅郎アナウンサーの兄、
というのが何となく不思議(笑)同じ兄弟でも、視点が違っているような気がしました。

夏になると、授業は国語、英語とも原爆のお話になるのですが(国語は「黒い雨」で
英語は「Red Ribbon」)年月とともに薄れていくものが多いので、記録された作品は
貴重ですね。
Commented by foggykaoru at 2008-07-06 09:08
むっつりさん。
ゆかりがある、とまではいかないです。
父ならそう言えるけれど。

そう、朝鮮特需。
あれは日本にとっては恵みだったんだな、とこの本を読んでつくづく思いました。
Commented by foggykaoru at 2008-07-06 09:11
ケルンさん。
そう、東京は水の都だったんですよね。森本さんもしきりにそのことを書いています。
親不孝というのは、、、
ろくすっぽ実家に寄りつかないし、用事がなければ電話もかけないし、しょっちゅう旅行にでかけるけれど、親と一緒にでかけることがない、、、等々、非常にかわいげのない娘だから。
「こんなはずじゃなかった」と思ってるんだろうなー
Commented by foggykaoru at 2008-07-06 09:13
ラッコ庵さん。
私も過去の東京に戻れるなら、大正時代かな、と思います。
厳密に言えば、関東大震災前の東京。
東京は戦争によって過去を失ったけれど、その前にまず、震災で過去の多くを失ったのではないかと思います。
永井荷風の「おかめ笹」を読んでから、「つゆのひぬま」を読んで、そう感じたんです。
Commented by foggykaoru at 2008-07-06 09:17
infinitelightさん。
森本毅郎さんのファンでもあるので、哲郎氏の本にも親しみがあったりします。

このお二人の間にはさまれた人は、神奈川の某ミッション系女子校の国語の先生で、毅郎さんと顔がとてもよく似ていて隠しようがないんだって、、、と友人が昔言っておりました。
お父上も国語の先生でした。
3人兄弟がみんなそのDNAを受け継いでいるんですね。
Commented by KIKI at 2008-07-06 19:19 x
住んでた時はよく図書館で東京の昔の写真や地図が入った本を借りて読んでました。
もし旅できるなら昔の東京って魅惑的ですよねぇ。
江戸時代、明治、大正、昭和初期・・全部行ってみたいものです。

私が言っても全く説得力はないですが
かおるさんがちゃんと自立されてて、あちこち旅されて活き活きと生活されてる
ことだけでもはげみになってると思います。
Commented by ふるき at 2008-07-06 23:41 x
 戦前の東京の写真。桑原甲子雄の写真に魅せられました。その当時は東京に水がありました。
 亡くなった祖母もやはり大正が良かったと言っていました。明治30年生まれの祖母は奉公で大阪に行っていたそうですが、それと大正が重なっていた事もあり、良い時代だったそうです。
Commented by ケルン at 2008-07-06 23:50 x
今更ですが、吉田健一(憲一ではないの『東京の昔』でした。

そうか、関東大震災前の東京は、確かに見てみたいです。

>亡くなった祖母もやはり大正が良かったと言っていました。明治30年生まれの祖母は
私の祖母が小学校に通っていた当時、四谷の駅の近くから市電に乗って通っていて、そのあたりは高い建物がなくて新宿のほうまで見渡せたという話でした。皇居も見えたのかな?

Commented by foggykaoru at 2008-07-07 20:47
KIKIさん。
東京って面白いですよね。
私、「海外」も好きだけど、「東京」もかなり好きなんです。
いちばん興味が薄いのは「日本」。どうしてなのかなー

みんなから慰めてもらっちゃってすいません。
ま、海外旅行すらしなかったら、親はもっとがっかりしてたかもしれないです。
ただ、最近は「危ないから行くな」なんて言うようになっちゃって。(それでも行くけど)
あの海外好きの父が。
老いたなあとしみじみ思います。
Commented by foggykaoru at 2008-07-07 20:48
ふるきさん。
大正はほんとによかったんですね。
明治生まれの祖父母にもうちょっとよく聞いておけばよかったです。
Commented by foggykaoru at 2008-07-07 20:50
ケルンさん。
四谷から新宿なら見えたんじゃないかしら。
中村屋が新宿に拠点を置いたのは、ほんとうに先見の明があったらしいです。
それぐらい、何もなかったんですって。
Commented by とーこ at 2008-07-08 12:49 x
横レスですが、

江戸東京博物館に行くと、ちょっと前の東京の絵はがき(復刻版)を売ってます。
ちょっと前って昭和30年代なんだけれども、あっちもこっちも驚くばかりで、これは買ってみる価値ありですよ。新宿駅から伊勢丹の方を見た写真なんてびっくり。
おすすめです。
Commented by foggykaoru at 2008-07-08 21:55
とーこさん。
その絵葉書のこと、なんとなく記憶があります。
かなりそそられたような。
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