「危ない」世界の歩き方
2008年 10月 08日
熱帯雨林のレビューでは酷評されているけれど、私はけっこう面白く読みました。
旅は出会い。
人との出会いこそが旅の醍醐味であることは間違いない。
観光地を要領よく見て回ったことよりも、地元の普通の人々と交流したことのほうが、よっぽど印象に残るものだ。
でも、「地元の普通の人々」の範囲というのは、どこまでなのだろう?
著者の岡本まい氏(ブログはこちら)は、普通の人々どころか、いわゆる「ヤバい人」ともどんどんお近づきになるし、「ヤバい場所」にもどんどん足を踏み入れるのだが、それは彼女が、旅をしてなくても、つまり日本にいても、あえて「ヤバい人たち」とか「ヤバい現場」に飛び込んでいく人であるせいなのではないだろうか。
たとえば、歌舞伎町の風俗に飛び込むとか。
なにも自分自身が風俗嬢になるということではなくて。
たとえば、取材対象にするとかね。
日本にいるときに、そういう世界に首を突っ込まない人が、旅先だからと言って、わざわざ冒険する必要は無い。いや、自分のガラじゃないことをいきなり海外でやったら、大ケガをするだけです。
インドのバラナシとか、マザー・テレサ創設の「孤児の家」「死を待つ家」あたりは、自分でも行ってみたいという気になりました。
by foggykaoru | 2008-10-08 20:44 | エッセイ | Trackback | Comments(6)
それこそ旅、ですよね。
実はなかなか欧州デビューできなかったのは、地元の人と話せる語学力がなかった(今でも、ですが)から。英語以外、からっきしダメ。
ただ、国内旅行で、行った先のやさしい方言に触れていると、段々自分の東京弁がキツ過ぎて、嫌になってきたりします。我ながら、なんか いかにも冷淡でイジワルに聞こえてくる。丁寧に話そうとすると、今度は慇懃無礼みたいな。
foggykaoruさんは そんな経験ありませんか?
この本は読んでいませんが、内容紹介から想像すると生活の中に危険があるところを旅されているようですね。上記の「危険」な場所には行けますが、生活の中に危険がある方が怖いですし、あまり行きたくはないですね。
テロ等の滅多にない事よりも、強盗や殺人の方が怖いから。
>地元の人と話せる語学力
あったほうが楽しいですよね。
去年、今年と2年続けて夏にスペイン語圏に行っているのですが、いつも現地に着いてから「もっとちゃんとスペイン語が話せたら楽しいだろうな」と思います。
「いくら?」が言えて、その答えがわかれば、とりあえず困らないんですけど、それだけじゃあね。
頭がいいか、怖いもの知らずか、頭が悪いか・・・
でもとりあえず、この人は「自己責任」という感覚は持っているようですよ。だからいいんじゃないでしょうか。(親にとってはよくないけれど。)

