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アン・ブーリンが見たフランス宮廷

前項の続きです。

「ブーリン家の姉妹」の中で、アンは「フランスの皇太后がこう言った」という台詞を吐いています。

フランス国王=フランソワ1世。その母親って誰?

調べてみたら、ルイーズ・ド・サヴォワという人でした。
アングレーム伯に嫁いでフランソワを生んだ。
王家の直系の男子が絶えてしまったため、フランソワは王女クロードと結婚して国王になった。


この本によると、

アンはクロードの侍女だった。(クロードはとてもおとなしい女性。フランソワが女遊びに精を出している間に静かに早死にしてしまう。)

ルイーズは19歳のときに夫を亡くした。皇太后となってから、惚れた男(大元帥シャルル・ド・ブルボン)を追いかけまわしたりしていた。(でも振られた。) 
また、息子が愛人に夢中になるのを快く思わず、いろいろと陰で言っていた。
つまりは、元来かなり出張るのが好きなオバサンのようで。
そしてフランソワがスペインの捕虜になっていた1525年から26年にかけて、摂政として息子の代わりをやった。
しかも、フランス語版Wikipediaによると、その外交手腕はなかなかのものだったようです。

アンがイギリスに帰国したのは26年。
つまり、まさにルイーズの摂政時代のフランス宮廷で青春を過ごしたのです。
「女だって実権を持てる」とか思ってしまったかも。

もしもフランソワ1世が国王として常駐(!)していたら、その後のアンの生き方も違ってきたかも?
そしたらアンは王妃にならなかったかも。
そしたらエリザベスは庶子にすぎなくて、女王になんかなれなかったわけで。ひゃーーーー


妄想は果てしなく広がる・・・


この項、さらに続きます。

by foggykaoru | 2008-10-10 19:42 | 西洋史関連 | Trackback | Comments(4)

Commented by むっつり at 2008-10-10 21:57
時の権力者にして、外交手腕に優れた聡明な人物を振ってみせた大元帥に拍手♪
\(^0^)/
さすが軍人
勇敢です
Commented by foggykaoru at 2008-10-11 07:29
むっつりさん。
皇太后と大元帥の関係は、ちょっと怪しげなフランスの歴史の本に書いてあるだけなのです。
もしかしたらデマかも。。。
Commented by cheznono at 2008-10-27 01:22
「フランスの皇太后がこう言った」というセリフ、全然覚えていないので、今週もう一度観る予定なので、気をつけてみます。
アンがフランソワ1世のお手つきだったという噂もあるみたいですが、foggyさんの記事お陰で、フランス時代のアンの様子がわかって興味深いです。
Commented by foggykaoru at 2008-10-28 21:15
cheznonoさん。
フランソワ1世は女に目がなかったから、ありえない話ではないですね。
でも、その手の話を中心に書かれたフランス史の本には書いてなかったから、あくまでも噂に過ぎないのでは?と私は思うのですが。
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