ベルヴィル・ランデブー(2)

ベルヴィル・ランデブー(1)の続きです。

「指輪物語」に登場する"Sackville-Baggins"は、瀬田貞二氏の訳では「サックル=バギンズ」。あれも「サックヴィル=バギンズ」のほうがいいのかな?と思ったあなたはかなりの幽鬼です(笑)

一昔前までは、多くの日本人にとって、「ヴ」という音はなじみがなく、ちょっと前までは"Beethoven"は「ベートーン」でした。
最近は、英語の影響で"v"の音を発音できる人が多くなってきたためか、「ベートーヴェン」になりつつあります。

さて、言語学の立場では、これをどう考えるのでしょうか。

答えを読みたい方はこちら
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# by foggykaoru | 2005-02-10 19:38 | バベルの塔 | Trackback | Comments(4)

ベルヴィル・ランデブー(1)

フランスのアニメ映画「ベルヴィル・ランデブー」を観ました。なんと2回。
1回目に観たときは、奇想天外な筋立てにびっくりし、大笑いしている間に終わったのですが、2回目はしみじみと楽しみました。非常に丁寧に作り込まれているし、グロテスクにデフォルメされたキャラクターたちが、見れば見るほど可愛く見えてくるのが不思議。傑作です。お時間があったらぜひご覧下さい。

ところで、今回のテーマは映画の内容ではなくて、タイトルです。

この映画の原題は"Les triplettes de Belleville"(ベルヴィルの三つ子)。それを日本では「ベルヴィル・ランデブー」というタイトルにしたのです。

"Belleville"という町の名前は、パリに実在する庶民的な地区の名称を借りたもので、それを「ヴィル」と書くのは、今や普通です。
問題は、残りの「ランデー」のほう。
これは"rendez-vous"、英語の「デート」に当たる単語です。
なぜこれを「ランデー」と書かないのか?

私が小さかった頃、「ランデブー」という外来語は、今よりもっと使われていたように思います。
そして、その当時は、「ランデー」ではなくて「ランデー」と表記されていました。と思います。断言できるほど、記憶が定かでないので。だって私はとても小さかったから。ほんとですよ。(←くどいって)

ランデ
ランデ

あなたはどちらで書くべきだと思いますか?
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# by foggykaoru | 2005-02-09 20:49 | バベルの塔 | Trackback | Comments(3)

美しい光景

c0025724_21472276.jpg新宿紀伊国屋本店にて。
アーサー・ランサム全集、久しぶりの勢揃いです。。。と思ったんですが、よくよく見たら、7巻が抜けてます(^^;;  
写真撮り直しに行かなくちゃ。

図書館の書棚に並んでいてもなかなか気づいてもらえないのは、このケースを取っちゃうせいだと思うんですけど。
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# by foggykaoru | 2005-02-08 21:48 | ランサム・チェック | Trackback | Comments(6)

インフォーマント

前項で書いたように、ある国や地域の言語の現時点における様相を知りたければ、インフォーマントを相手に調査することになります。
で、そのインフォーマントは、言語学の知識などない、普通の人のほうがいい。
そして、何が調査のポイントなのか、知らせてはいけない。
知らせると予断を与えることになり、その人が本来持っている言語感覚を左右することになるからです。
だから、「歌うとき『ん』の音をどう発音するか知りたいのだ」などとは、口が裂けても言ってはいけない。

また、こんなことも。
方言調査の際には、決して「方言調査をしています」と言ってはならない。
言ったが最後、インフォーマントである田舎のおじいちゃんやおばあちゃんは、堅く口をとざしてしまう。
ではどうしたらいいか?

大学の先生はこうおっしゃいました。

「そういうときは、私どもは『里ことばを学ぶ会』のものです、と言うのですよ」

ふーん、なるほどねえ、、、と、若かかりし私は感じ入ったのでした。
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# by foggykaoru | 2005-02-07 21:14 | バベルの塔 | Trackback | Comments(4)

「ん」について

日本語の「ん」という音は不思議です。子音なのに、単独で1音節となる。
わかりにくい言い方してごめんなさい。つまりたとえば、歌詞の中に「ん」という音、というか、文字があった場合、作曲家はこれに音符を1つ与えるのです。(例外はあります。つまり、「おん」とか「さん」とか、「○ん」という音を1つのまとまりとして、作曲することもあります。)
そして、同じ「ん」で表記されても、日本人は場合に応じて発音しわけます。

たとえば

ふーじは にーっぽいちのー やまー

「にーっぽいち」の場合は、口をとじずに、だからといって、"n"の発音のように舌先を上あごにつけることもせずに、私たちは歌います。ごく当たり前に、難しいとも感じずに。でも、これって外国人には難しいことなのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。

ゆうやーけ こやけーの あかとーーぼ

の場合は、次に「ぼ」つまり"bo"という、口をとじる音がくるから、当然口をとじます。

こんな例があります。都はるみの「北の宿から」です。どうも出す例が古くてごめんなさい。

なー ごころのー
みれんー でしょう

最初の「」は、舌先を上あごに付ける"n"の音として発音します。当然、口はとじない。これは次に「な」つまり"na"が来るから。
面白いのは次の「んー」。こっちはしっかり口をとじる。つまり"m"の発音をする。
次に来るのが「で」つまり"de"の音なのに。"d"という音も、"n"と同様、舌先を上あごにつけ、口をとじないで発音するのだから、「未練でしょう」と普通に喋るとき、私たちは「ん」では口をとじないのです。
つまり、「みれんー でしょう」と歌うときに口をとじる理由は、「ん」を長く伸ばすからという一点のみ。だと思うのですが、以前、このことを友人に話したら、「都はるみだから、うなるために口をとじるということでしょ」と軽く言われました。
でも、都はるみでなくても、この歌を歌うときは、みんなそうなってしまうのではないかと思うのですが、カラオケで歌う方、いかがですか?

ところで、これはいかがでしょう?

みーあーげてーごらんー よるのーほーしをー

この「んー」は口をとじるのでしょうか? あけるのでしょうか?

日本人は歌うとき、「ん」の音の高さと長さによって口をとじたり、あけたりするのではないか。

これは言語学の立派な論文になるのではないかと思うのです。
そのためには、「ん」が入っているさまざまな歌を用意して、何人もの実験台(=インフォーマント)に、実際に歌ってもらわなければなりません。

その際、インフォーマントは西洋式の声楽にほとんど触れたことがない人でなければならない。

実を言うと、この駄文を書くにあたり、私は「ん」で口をあけるかとじるかで、かなり混乱してしまいました。そのため、この記事は最初に書いたものを、大幅に書き直してあります。
なぜそんな混乱をしたかというと、私は学生時代合唱部に所属していて、指揮者から「ここの『ん』は口をとじるな」というような指示をしばしば受けたことがあり、日本人としての素朴な感覚を失っている面があるからです。そういった体験が土台にあってこそ、このテーマを思いついたわけなのですが、思いついた本人は、インフォーマントとしては不適格なわけです。

言語の歴史をたどるタイプの言語学の場合は、文献を読むことが研究の中心となります。
それに対して、現代の言語のありようを分析するタイプの言語学の場合は、文献は研究の一助にすぎない。そして、テーマを見つけるためには、ある種のセンスが必要だけれど、結論を導き出す際は、自分の感覚があてになるとは限らない。

こんなところに言語研究の難しさがあるのだということに、改めて気が付いた今日1日でした。学生やめてから「ん」十年もたった今になって気が付くなんて遅すぎるって。
でもまあ、年をとっても新しい発見があったのはよかったのかな、ということで。
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# by foggykaoru | 2005-02-06 18:30 | バベルの塔 | Trackback | Comments(6)

「バベルの塔」カテゴリーについて

私は「元」言語学徒です。
言語のことをあれこれ考え、感じるのが好きなのですが、言語学という学問を究める力も粘りもなかったので、さっさと単なる「語学マニア」の立場に退却し、趣味でいくつかの外国語をかじったりしました。それも今は昔。せっかく習い覚えたこともどんどん忘却の彼方に消えていきつつあり、ついには、「語学マニア」の前にも「元」を付けなければならなくなってしまいました。

「バベルの塔」は(言)語学や翻訳に関するカテゴリーの名称として選びました。

この塔が作られた頃までは、人間の言葉は1つだけだったのに、今やたくさんの言語があって、お互いに通じ合わない。というと、言語がたくさんあるという事実が、ネガティブなことのように思えてしまうのですが、果たしてそうなのでしょうか? 

確かに外国語を覚えるのは大変ですけどね。
でも、言語が1つだけしかなかったら、この世界はひどく退屈なものになってしまうでしょう。
言語はロマンなのです。
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# by foggykaoru | 2005-02-05 10:31 | バベルの塔 | Trackback | Comments(2)

肉うどんと種入り菓子

ケストナーの「雪の中の三人男」(創元推理文庫)を読みました。
これは児童書ではなくて、大人向けの文学。ケストナーに興味があるのなら、ご一読を。

ところで、この作品に「肉うどん」という料理が登場します。「牛肉入りのうどん」と訳されているところもあるのですが、とにかく、「うどん」なのです。
元のドイツ語では何なのでしょうね? 牛肉の煮込みのパスタ添え? 
日本語版の初版が1971年。訳者は小松太郎という1900年生まれの人。翻訳にとりかかったときは、すでに高齢だったのでしょう。
それにしても肉うどんとは… 舞台はドイツですよ、ドイツ。

もっとも、翻訳文学を読んでいると、こういうことはちょくちょくあります。

6年ほど前にランサム全集を読み直したとき、ダリエン岬でいきなり「コーヒー茶碗」が出てきたのには驚きました。これは原文では"mug"、つまりマグカップ。
子どもの時から謎だったのが「種入り菓子」。何かの種---大きさとしてはひまわりの種ぐらい---が入っているお菓子だと、漠然と思ってました。
大人になってからランサムを読んだ(=正確に言うと、私が読ませた)友人は、既に大人の教養があったから、「パンだね」の「たね」のことだと思ったそうな。

「エルマーのぼうけん」には「みかん」が登場します。これまたえらく日本的な食べ物です。原文ではオレンジなのではないかと思うのですが。ご存知の方、教えてください。

「ライオンと魔女」に出てきたプリンは「ターキッシュ・ディライト」。これは瀬田貞二氏があとがきで明らかにしています。この謎のお菓子を実際に口にすることができたのは、ほんの去年(おととしだったかも)のことでした。

これらの翻訳を笑ったり、一律に批判することはできないと思うのです。すべて、読む人の身になって、翻訳者が頭をひねって考え出した訳語なのですから。

食べ物というのは、その国の文化が最も端的に現れるものなのではないでしょうか。今、「種入り菓子」を笑えるのは、ここ数十年の間に日本社会と日本の食卓が急激に欧米化した証。
飲み食いの話題がやたらに多いランサム・サガを、1960年代に翻訳した神宮輝夫先生のご苦労は、並大抵のことではなかっただろうと想像します。

それに比べて最近の翻訳は…などと言えるほど読んでいないのですが、「ライラの冒険シリーズ」の翻訳は気に入りませんねえ。"Clouded Mountain"を「クラウデッド・マウンテン」と書いて済ませるのは、翻訳の名に値しないと思うのです。
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# by foggykaoru | 2005-02-03 20:53 | バベルの塔 | Trackback(2) | Comments(17)

アーサー・ランサムの影響について

児童文学作家の三輪裕子さんは、ランサムのような作品を書きたくて、作家になったのだそうです。なんと素晴らしいことなのでしょう。私は「旅」という触媒の助けを借りないと何も書けないし、しかも実際に見聞きしたことしか書けないので、三輪さんのように、創作ができる人が羨ましくてたまりません。
そんな私ですが、自ら書くとき、三輪さんとは違う形でランサムの影響を強く実感しています。もっと正確に言えば、意識してランサムを真似しているのです。

どう真似しているかというと…

第一に、何を飲み食いしたのかを、覚えている限り正確に書くこと。
食べ物の話に興味を持たない人はいません。
たとえその食べ物が、ゆでたまごやマーマレード付きパンなどといった、ごくありふれたものであっても、読者はよだれを垂らすものなのです(笑)

第二に、飲食物以外のディテールも、できる限り書き込むこと。
これが営業的(?)に正しいことなのかは、不明です。
「現代の子供は、ランサムのように物語の進展が遅い本は、根気が続かなくて読めない」という話を聞きますが、それはおそらく現代の大人も同じことなのではないでしょうか。実を言うと、私の旅行記は多くの人にとって長すぎるのではないか、もっと短くしたほうがアクセス数が増えるかもしれないとさえ思っています。思いながらも、書きたいように書いてます。趣味でやっているHPなのですから、自分の好みを追究しなくてどうする、ということです。

そしてもう1つ。
それは、地の文の中に、かぎかっこ無しで自分の感情を混ぜ込むこと。

たとえばこんなふうに。
 
火星人たちは、粛々と進んできた。
これは、ドロシアが思ったよりずっとやっかいな状態だった。
火星人たちがなにかいってくれるか、せめてほおんでくれるといいんだけど。
二つのグループは、斜面を三分の二ほどのぼったあたりで対面した。
(「長い冬休み」より)


テレビをつけ、ベッドに倒れ込み、そのまま眠った。ふと目覚めてテレビに目をやると、ローマ時代を舞台にした映画をやっていた。何という映画だろうかと耳を澄ませたら、台詞の中に「グラディエーター」という言葉が聞こえた。
とってもわかりやすいわ。
私は再び眠りに落ちた。
「マダガスカル旅行記---川の流れに身を任せ(16)」より)

これはランサムの影響というより、神宮輝夫先生の影響なのかもしれないけれど。でも、もとをたどればランサムの影響です。
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# by foggykaoru | 2005-01-31 20:59 | 児童書関連 | Trackback | Comments(6)